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5. 不吉の獣(2)

「運のいいやつ……」


 少女は屋敷の裏門の手前で立ちつくす人影の背中を見て、そう呟いた。絶対に相手に聞こえないよう、怒りの滲んだ声を最小限に絞っていた。


 まだ太陽の見える時間帯だというのに、その後ろ姿は真夜中のように真っ黒だった。膝下まで届く黒い外套を着て、フードをかぶっているせいで顔も性別も分からなかった。

 背丈は少女と同じくらいで腰に携えた剣以外に目立った持ち物はなさそうに見えた。


 その軽装に、少女の脳裏に『暗殺者』という言葉が浮かんだ。


 命を軽い気持ちで狙われる心当たりは沢山あった。

 今まで蹴ったお見合いは数知れず、結果的に恥を掻かせた子息も一人二人の話ではない。

 少女に言わせれば身の丈に合わない釣り書きを持ってくるなという話ではあった。


 少女は草陰にしゃがんで長銃を構えた。照準は黒ずくめの身体の中心に定めた。

 獣であれば大雑把な狙いだが、人間相手ならば動きを止め、殺すのに十分である。


 無音で安全装置を外し、息を止めて引き金に指をかける。

 人を狙うのは初めてだが、人の形の的と思えば指先は震えなかった。何より、勝手に猟区に入り込んだ時点で明確に少女の『敵』だった。


「っ!」


 雷鳴に似た音が森に轟いた。

 銃声と共に黒ずくめが倒れる――否、倒れるように身をかがめて弾丸を避けた。


 ざりっ、と地面を削って黒ずくめが振り返りざまに身を起こす。そのまま少女の隠れる茂みに一直線に駆け出した。

 反射的に少女は二発目を撃った。狙いは心臓、距離は縮まり確実に当たるとみた。


 銃口が火を噴く直前、突然黒ずくめは横に跳んだ。外れた弾が門に当たり高い音を響かせる。

 地面を転がり流れるように立ち上がって黒ずくめは再び少女へと距離を詰めた。フードの奥の鋭い眼光は獣の威圧があった。


 黒ずくめが剣を抜き放ち、無言で上段から少女に斬りかかった。

 少女は中腰の体勢で長銃を頭上に掲げた。間髪入れずに剣がぶつかる。鋼同士がかち合って鈍い音を立てた。


「このっ」


 頭上で受け止めた斬撃は想像よりも軽く、少女は刃を押し返し突き放して立ち上がった。

 立ち上がって即座に黒ずくめの脇腹へと蹴りを放つ。


 しかし、黒ずくめは押し返された勢いでさらに後退し蹴りを回避した。

 空振りの勢いで不安定になった少女に黒ずくめが即座に詰め寄る。小さくまとめた肘鉄が少女の左肩を抉った。


「――いっ!」


 少女の左手が長銃から離れた。


 痛みで顔をしかめるが歯を食いしばって視線を逸らさない。


 長銃を握ったままの右手で黒ずくめの横っ面を殴った。鈍い音には確かな手応えがあり、黒ずくめの身体がぐらりと傾いた。


 続く長銃の殴打を革手袋が掴んで勢いを殺し、放し間髪いれずに後ろへ身を引く。


 膝蹴りが空を切った。


 黒ずくめの動きは少女の思考を読んでいるように的確で、物理法則のように正確無比だった。

 人間らしさを極限まで削ぎ落とした挙動に背筋が泡立つような不気味さを感じたが、それで及び腰になるような少女ではない。


 少女が黒ずくめに長銃を投げつけた。弾は撃ち尽くした、戦いには必要ない。


 飛んできた鉄の塊を黒ずくめはさらにさがって避けようとしたがいかんせん距離が近すぎる。

 盾になった剣が手から弾かれて宙を舞った。


 剣と銃が地面に落ちる前に、黒ずくめは身体を低くして前へと突進する。最短距離で少女に迫る。


 黒ずくめの鼻先に小さな銃口が突きつけられた。


 長銃を捨てると同時に少女は拳銃を抜いていた。スカートの中に隠し持っていた、護身用の拳銃だった。

 回転弾倉式(リヴォルバー)の小口径銃、人間を殺すためだけしか役に立たないものだ。

 銃口と標的の距離は二歩と離れていない。撃てば当たる――当たっても止まるには近すぎる。


 紛れもない死の気配にそれでも黒ずくめは一切怯まない。向けられた銃口に迷わず手を伸ばした。


 小さな炎と爆発音が森に響いた。


 銃身を革手袋が掴んで逸らしていた。逸らすと同時に照準の中心から身体を捻って(かわ)していた。

 その動きで、身体の中心を狙った弾丸は背後の木へとめり込んでいた。


「なっ……」


 無謀すぎる回避手段に、少女は絶句した。


 明らかに引き金を引く瞬間を狙って銃身を掴み、銃撃を逸らしていた。銃口を正確に把握した上でだ。

 少女の呼吸すら読み切っていたとしてもまず仕掛ける筈がない、あまりにも分の悪すぎる賭けである。


 拳が少女の左側面を殴りつけた。衝撃に少女の足がふらついた。

 続いて黒ずくめが少女の胸ぐらを掴んだ。


 少女がしまったと思った瞬間には天地がひっくり返って地面に叩きつけられていた。春の下草の薄い冷たい地面に、少女は背中から着地した。


「うっ、がっ!」


 衝撃と痛みで肺の空気を追い出され、少女が呻き声をあげた。


 少女の上に黒ずくめが馬乗りの体勢になる。

 さらにもう一発少女の顔を殴る。少女の口の端が切れた。


 だが、少女はまだ拳銃を手放していなかった。


 少女は怪力で拘束を押し返して無理やり照準を合わせる。黒ずくめの腕力は少女の動きを完全に御せるほど強くなかった。


 殴られてくらくらとする視界の中、撃鉄を起こし、銃身を掴まれたまま強引に発砲。革が焦げる臭いが漂った。


 しかし、黒ずくめは少女を巧みに押さえつけたまま銃撃を反らした。少女が銃口を向ける方向に後押しし、引き金を引いた瞬間に射線を逸らした。至近距離の発砲でも焦る様子は一切見せなかった。


 五発の弾丸のうち、一発が黒ずくめのフードを掠めた。


 フードが後ろに落ち、黒ずくめの顔が露わになった。

 垢と泥に塗れた頬は土の色に染まっていたが、その鼻筋は人形のように整っていた。猫のようにつり上がった目尻に、ぎらぎらと輝く新緑色の瞳。血肉を感じさせない輝きは本物の(かん)(らん)石を埋め込んだようだ。

 (ほそ)(おもて)で男性らしさが薄く、年若いことが一目で見て取れた。


 砂埃と泥汚れでくすんだ頭髪を後ろに流していたおかげでその端正な造形が陰ることなく日の光の下に晒されていた。

 無機質な美であるのに、内部に宿した獣の熱い脈動をまざまざと感じた。


「……!」


 その殺し屋らしからぬ美しい顔立ちに少女は瞬間、目を奪われた。

 見とれる少女の顔を革手袋の拳が再び殴打した。こめかみを殴られた少女の頭の中から、一瞬の感情が吹き飛んだ。


「っの、やっろぉ……っ!」


 拳銃を捨てて少女は黒ずくめの胴をでたらめに殴った。


「ぐっ」


 黒ずくめが呻き声を漏らした。少女を殴る手が止まる。


 少女が黒ずくめの顔を正面からぶん殴った。

 端正な顔立ちを歪ませて、黒ずくめが後ろに吹っ飛んだ。


「うらあああああああっ!」


 良家の令嬢と思えない咆哮をあげて少女が倒れた黒ずくめに飛びかかった。


 黒ずくめは上半身を起こして少女が突き出した腕を掴み、再び投げ飛ばした。半円を描いて少女は背中から着地した。

 立ち上がろうとした少女の首筋に刃物が押し当てられる。


「終わりだ」


 黒ずくめが言葉を発した。乾いてしゃがれ、枯れ草の擦れるような声だったが氷を思わせる冷たさと共に耳の奥に滑り込んだ。

 形のよい鼻からつう、と赤黒い液体が滴った。


 刃先が少女の肌に食い込んだ。血の雫が首筋にぷつっと浮き出た。


「終わりなのはあんたよ」


 散々殴られ、赤く腫れた顔で少女は不敵に笑った。


 黒ずくめは周囲に視線を巡らせた。

 いつの間にか大きな影が周囲の木立に集まってきていた。


 森のヒメヤツハオオカミたちが、銃声と争いの音を聞きつけてきたのだ。

 二人を取り囲み、少女を襲う黒ずくめに対して数頭が低い唸り声をあげていた。


「私の可愛い下僕ちゃんよ。殺してみなさい、そしたらあんたも道連れよ」


 少女が息絶えた瞬間、オオカミたちは襲ってくるのだろう。森でオオカミに目をつけられたら振り切るのは不可能だ。

 目の前の屋敷に逃げ込む前に怒り狂った獣にばらばらにされてしまうだろう。


 黒ずくめは暗器を捨てて両手をあげた。


 解放された少女がゆっくりと立ち上がり、黒ずくめの横っ面を思い切り張り飛ばした。

 破裂音とともに黒ずくめが地面に転がった。


「どこに雇われたか知らないけど、ざまぁみろ」


 少女は息を切らせて吐き捨てた。


「……何か勘違いをしているようだ」


 地面に倒れ伏したまま、黒ずくめが口を開いた。顔の半分を泥に埋めてなお、その目の輝きが(くも)ることはなかった。


「ん?」

「君を殺しに来たわけではない」


 少女は目をぱちぱちさせた。


「……はぁ?」


「ボクは、ただの行き倒れの旅人だよ」


「そ、ん、な、わけ、あるかぁっ!!」


 少女の今日一番の怒鳴り声に、近くにいたオオカミがびくっとした。

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