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2. 檻の中の一匹狼(2)

 少女は並木道を遠ざかっていく二台の馬車をしばらく眺めた後、短く息を吐いて手をぱんぱんと払った。


「あーもう、時間を無駄にした」


 くるりと後ろを向いて少女は屋敷の中に入った。

 正面玄関の扉を開け放つと、都心の邸宅を思わせる洒落たホールが少女を迎え入れた。とても深い森の中の一軒家とは思えないつくりだった。

 都会との違いは、家の主人を待つ者がいないことぐらいで、通いの使用人も帰った後ではしんと静まりかえっていた。


 誰もいない薄暗い家の中を慣れた様子で少女はずんずんと進んだ。ドアを開いた先でろくに見もせず壁のスイッチを入れると、部屋の電気がついた。


 少女が入った部屋は屋敷のキッチンだった。

 黄色っぽい灯りに照らされたキッチンの壁は床までひと続きのタイル張りで、その上をガス管と伝信管が這っていた。調理用のテーブルが大半を占める部屋だが、調理スペースとは別に使用人が待機できる空間もあり、小さいテーブルと椅子が備えられていた。


 少女は使用人が使う硬い椅子にどかっと腰を下ろすと、テーブルの上に行儀悪く身体を伸ばした。


「なぁ~~んで寄ってくるやつみーんな貧弱なのかなぁ」


 毅然とした若い女主人の外面をぺろっと脱ぎ捨て、少女はばたばたと地団駄を踏んだ。


「そんなに難しいこと言ってるぅ? ちょっと身体張れって言ってるだけなのにぃ」


 誰もいない部屋に少女の愚痴が反響した。


「ホントに危なくなったら、絶対助けるに決まってるじゃん」


 少女がテーブルに突っ伏して独り言を綴っていると、下からぴすぴすと音が聞こえた。

 足元に目を向けると薄い灰色の子犬――否、子狼が揺れるブーツにじゃれついていた。まだ生まれて半年経っていない子狼だが、既に小型の愛玩犬くらいの大きさがあった。

 少女が椅子を後ろに下げていたずら盛りの子狼を抱き上げるのと同時に、裏口横の小さな扉から、もう一頭子狼が顔を覗かせた。


「もうご飯の時間? はいはい行きますよっと」


 少女は腰のポーチから懐中時計を取り出し、時間を確認した。予定外の訪問者のせいで、日課の時間はとっくに過ぎていた。

 キッチンの裏口横に掛けられていた厚手のエプロンと長銃を手に取り、少女は仕事に戻った。


 まずは食料庫に入って両手で抱えるほどの大きなブリキ缶を二つ持ち出した。ブリキ缶の中身はたっぷりと詰まっていたが、少女は長銃を肩に掛けたまま、事もなげに片手で一つずつぶら下げた。

 少女の周りを子狼たちはうろちょろし、ぶらぶら揺れる缶にもじゃれつこうとした。いつの間にか、子狼は四匹に増えていた。


「シッ、シッ!」


 少女は鋭い声で愛らしい子狼を叱り、缶に取り付くのを許さなかった。

 遊びたそうな子狼たちをいなしながら少女はキッチンの裏口から外に出た。


 その先には森と屋敷を隔てる鉄柵と門があった。門の隙間は柵よりも少し幅が広く、子狼たちはそこから敷地に入ってきたのだろう。

 鉄柵の反対側に複数の影があった。少女の腰ほどの体高をもつ四つ足の獣の群れだった。

 濃い灰色の毛皮に尖った鼻先、三角の大きな耳を持った獣たちは狼によく似ていた。しかし、その身体は普通の狼と比較しても二回りほど大きく、二本足で立ち上がれば人間よりも遙かに大きいだろう。


 屋敷から出てきた少女をいくつかの黄色い目が捉えた。少女は獣たちの視線に臆することなく、門のかんぬきを抜いて開け放った。

 二重扉を抜けると、それまで寝そべっていた獣も立ち上がって少女の周りに集まった。その数はおよそ十数頭。一斉に襲いかかられれば、少女は簡単にばらばらにされてしまうだろう。


 だが、少女は獣の息づかいが聞こえるほど近づかれても、全く臆さなかった。


「待て」


 少女が低い声で命令すると獣たちは立ち止まった。

 全ての獣の目が自分に向けられていることを確認してから、少女はブリキ缶を開けた。


 ブリキ缶の中には、細かくした干し肉や骨粉が混ぜられた飼料が詰まっていた。

 目の前の御馳走にすかさず子狼がとびついた。


「めっ!」

「キャンッ!」


 少女は強めに子狼の頭を引っ叩いた。間髪入れずにもっと強い力で別の子狼の尻を叩いてブリキ缶から引き離した。

 子狼が鳴いても親たちは動じなかった。賢い彼らは、子狼がおいたをして怒られているのであり、危害を加えられているわけではないことを分かっていた。


 親の方にいたずら小僧共を転がしてから、少女は気を取り直してブリキ缶を持ち上げた。

 ブリキ缶の中身が長細い金属のトレーに流し込まれていった。こぼさないように、しかし手早く飼料が分配され、四つのトレーを満たした。


「よし!」


 少女の号令で獣たちは一斉に餌に群がった。

 餌を咀嚼する獣の顎には、立派な牙が二重に生えていた。


 ヒメヤツハオオカミ――人間がそう名付けたのは、かのモンスターに普通の狼にはない牙が生えているからだ。そして、同種の中でも比較的小型で狼のように賢いからこそ、人間の手で飼い慣らすことができていた。


 少女はこの森で飼われているヒメヤツハオオカミの群れを統率していた。餌を与え、子供をしつける――その行動に、彼らも少女を強い仲間として群れに迎えていた。


 餌を食べ終え、数頭のヒメヤツハオオカミが少女にすり寄った。

 少女はしゃがんでヒメヤツハオオカミと目線を合わせた。


 べろりと顔を舐められるが、少女は嫌がらない。生臭さと土臭さが混ざった獣臭が肌にまとわりついた。

 お返しとばかりに少女はわしゃわしゃとヒメヤツハオオカミの顔を撫でた。満足げな顔をする一頭の横から、他の個体が頭をねじ込んできた。こちらも少女は撫でくりまわした。

 ある程度甘えを許すことも大切である。


 だが、全ての個体が従順とは限らない。


 少女にそろそろと近づいた若い雄は毛を逆立て、挑戦的な目をしていた。

 自分に向けられた獣の目に、少女の顔から笑みが消えた。


「なによ、やろうっての」


 少女は撫でる手を止めて立ち上がった。争いの気配を察し、甘えていた連中はそそくさと散った。

 地面にそっと長銃が置かれた。

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