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12. 天使の真意(3)

 言い切った後で、リンは我に返った。自分の考えをまとめることに夢中になりすぎて、目の前にリーフがいることをすっかり忘れていた。

 リーフの瞳に人間らしさが希薄なこともあって、森の獣たちに話しかけているときと同じ心持ちで喋っていた。


 リンの目の前には、変わらずぼんやりとした顔のリーフがいた。



 リンは自分の顔が熱くなるのを感じ、リーフに背中を向けた。

 本当は大声を上げてその場から逃げ出したい気持ちだったが、何かに負けるような気がして意地で足を踏ん張っていた。


「つまり、君を(ろう)(らく)するという手があった、ということか」


 リンの内面の荒れ模様を知ってか知らずか、リーフは非常に平坦な声でとんでもないことを述べた。


「いきなり何言い出してんの」


 リーフのかなりずれた思考に、リンはぎょっとして振り返った。

 頭に冷や水をぶっかけ返されたような気分だった。


「君が言ったことだろう」

「それは……そう、かも、だけど」

「残念ながら、使えないし使うつもりもないけれどね」


 含みのある言い回しに、リンは反応した。


「なんでよ」

「ここに根を張るつもりがないから、今後君をものにする利点がない。それに、失敗すると致命的に恨まれるかもしれない」


 リンに今のところ生きて出すつもりがあるのであれば、後腐れのない関係のままがいい。情緒に欠けたリーフの言葉は、それでも筋が通っていた。



「何より残念なことに、ボクには君を懐柔するナニがない」


「は?」


「言葉通りだけれど。ボクは女だ」


「へ……あ……えええええええええええぇぇっ!」


 リンは今日一番の大声を出した。


「う、嘘だっ!」

「ここで嘘をつく必要性があると思うかい」


 リンの目の前の人物は、女性らしい丸い輪郭がほぼなかった。しかし、男らしい(たくま)しさとも無縁であった。

 背丈は村娘より頭一つ高いが、男にしてはやや小柄だった。

 細い喉から絞り出す声は落ち着いていて、少年のようでもある。

 顔立ちは天の裁量で整えられているが故の無性の美しさがあった。


 立ち振る舞いこそ常に男性的だったが、切り取った一つ一つの要素は何ら具体的な解を示していなかった。


「確かめてみるかい」


 リーフが立ち上がった。


 リーフの白い手がリンの指先をそっと引き寄せた。触れた瞬間、リンはびくっとした。

 三日間共にいて、素肌が触れ合ったのは初めてだった。


 掴まれて初めて、リンはリーフの手が自分よりも小さく、指が細いことに気づいた。


 リーフの手は旅をしているとは思えないほどしなやかでふっくらとしていた。

 庭仕事で爪先が泥で汚れているものの、銃を握りすぎて表面が硬くなったリンの指より、遙かに淑女らしい形と感触を保っていた。


 灯りが地面に落ちて音を立てた。


 導かれた指先がリーフの胸の下に触れた。そのまま身体の下の方へと下ろしていく。

 指先は下へ、下へとシャツ越しに身体の中心線をなぞっていった。布越しに感じる骨と筋肉、そして薄い皮下脂肪は猫のようにしなやかだった。


 (ちゅう)(ちょ)なく下腹部を通り過ぎ、ズボンのさらに下へ、その奥までたどり着き、リーフは強く手を押し当てた。


「ほら」


 涼しい顔でリーフは言った。

 しばしリンの顔が固まった後、一瞬で茹で上がった。


「あ……あわわわわわっ!」


 リーフの手を振りほどき、リンはリーフが行けない場所まで飛び退いた。


 『そこ』に触れてしまった手を持ってわたわたと右往左往した。

 (ぬぐ)うべきか、洗うべきか、そもそもそんなに()()()()のか、初心な少女には判断がつかなかった。


 それをリーフはただ眺めていた。


 とにかく気持ちを落ち着けようと、リンは何回も深呼吸を繰り返した。

 その甲斐あって、とりあえずスカートで手を()くことができた。


 気が済むまで手を(こす)って、ようやくリンの中に平常心が戻ってきた。

 落とした灯りを拾い上げ、リンは再びリーフの前に立った。


 むにっ、とリンの指がリーフの頬をつまんだ。ミチミチと音を立てて肉が引っ張られた。


「さいってー」


 涙目になりながらも、リンは抗議した。


「どにょあたりが?」


 頬をつままれているせいで、リーフの滑舌は怪しくなっていた。痛みも感じているはずだが、されるがままに引っ張られていた。


「全部に決まってんでしょーがっっ!」


 再び顔を真っ赤にしてリンは怒鳴った。




「それで、リンお嬢様はボクのことは諦めてくれたのかい」

「はいはい、分かりましたよーだ。好きにすればぁー? もう、あんたのことなんて知ーらないっ!」


 リンは灯りを振り回しながら吐き捨てた。


「でも、まあ……確かに、髪下ろしたら女の子らしさもあるし、でも身体細いしぺたんこだし、間違えても全然おかしくないし……」


 ちょっと髪ほどきなさいよ、とリンはリーフの髪を下ろさせた。


 腰よりも長い銀色の髪はふわりと広がり、灯りが発する温かみのある光を受けて優しく輝いた。

 身体の線に沿った輝きはまるで身体そのものが光を放っているようで、人ではない妖精か、あるいは天使がそこにいると錯覚させた。


 同性と分かったうえでリンは再び見蕩れそうになった。


「うん、確かにここまでしないと女の子に見えなくもない……間違えてもしょうがない……」

「悪かったな、ぺたんこで勘違いしやすくて」


 ぶつぶつと言い訳を連ねて自分自身を慰めるリンに、リーフは少し呆れていた。


「しかし、髪が長いと女性に見られやすいということも一理あるか……」


 そこでリーフは何かに気づいて少し考え込んだ。

 リーフは銀色の髪を一筋手に取った。


「よし、刃物を貸してくれ」

「一応聞いとくけど、何する気?」

「髪を切ってしまおうかと思って」


「ちなみに髪切った経験は?」

「ない」

「絶対駄目っ!」


 リンがびしっと顔の前で腕を交差させて拒否した。


「どうして」

「髪型崩れると台無しになっちゃうじゃん。だめだめだーめっ!」


 リンは激しく反発した。


「いい顔してて、髪もこんなに綺麗で似合ってるのに、自分から台無しにするとか正気?」

「君に関係ない話だろう」


「あるに決まってんでしょ! 私が切るんだから!」

「え?」


 話の飛躍にリーフはついて行けていなかった。


「台無しにする気なんだったら、私が全部整える! せめて……せめてっ、見た目くらいは私が()れて仕方ないくらいには保つのが筋ってもんでしょ」

「何の話だ」

「いいから私に全部任せなさいっての! 遠征中じゃ女同士で交代して切り合いしてたんだから! わざと変に切られそうになったら思いっきりつねってやってたけど!」

「だから、どうしてそうなる」


 リーフは本気で困惑していた。

 灯りを足下に置き、リンはショールを脱ぎ捨てた。

 獲物に食らいつく狼が如く、リンがリーフに飛びかかった。


「覚悟ぉーーーーっ!!」

「待っ――――」


 どったんばったんと外にまで音が響き渡った。


 不審な音を聞きつけたヒメヤツハオオカミたちが屋敷の近くまで集まったが、彼らのボスが先日捕まえた獲物を縄で屋敷へと引きずっていく光景が見えただけだった。



 その後しばらく屋敷の中から騒ぐ声が響いた。オオカミたちはすぐに飽きてまた森の中に戻っていった。

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