第3話 取り乱すエルフ
「森の美女『ドリュアル』よ、ハイエルフ・ベランドナが命ず。我等への道を与えたまえ」
アドル山の森の入口付近、ベランドナが両手を正面にかざして詠唱すると、その手が輝きを放つ。
枝と枝、幹と幹が絡み合い行く手を塞ぎきっている。最早、美しい森などと形容する余裕を与えぬ程の光景。
しかしハイエルフの命に次々と動き始め、さながらトンネルの様に道を開けてゆく。
「『ドリュアル』……確か女性の姿をした森の精霊で、良い男や少年をたぶらかすとか」
「ジェリド様、流石に山の男。博識でございますね」
「し、しかしベランドナ殿。これなら馬を降りずとも進軍出来るのではないですか?」
ベランドナとジェリドが話をしている所に若い男性の騎士が割って入る。確かに馬すら歩けそうな程に大きな道が拓けていた。
「俺の話を聞いていないな? お前の様な優男が一番危ないって話だ」
「それもございますが騎馬は森を焼く戦を呼ぶモノ。その最たるは人間。200人の訪問を許すだけでも相当な無理難題なのです」
「た、大変失礼致しました……」
ジェリドとベランドナに諭された騎士は、顔面を真っ赤にして深々と頭を下げた。
「いえ…そして皆様に強いた装備も影響するのです。流石に武器までは奪う訳には参りませぬが」
ベランドナは素知らぬ顔で追い打ちを告げた。騎士達の殆どが本来の金属製の鎧ではなく、革製の鎧にブーツを履いて行軍している。
剣などの武器は鞘を革製にし、盾は……これも一見革製に見える。
なかにはカーボンで作らせた特注品を回せて貰った者もいるが極少数である。
これも森の精霊に刺激を与えない様にとの配慮もあるのだが、これは別の目的の重要度が高い。
「さあ、急いでアマン山側は抜けて頂きます。夜になると御神木との会話が希薄になってしまいます」
ベランドナは先を急がせる様に促す。行軍も軽量だから徒歩とは思えない程にスムーズだ。しかも盗賊一味の様に出来る限り音を立てない。
金属製の装備を出来る限り排除した理由の一つである。ジェリドの指導で山歩きでの隠密行動方法を徹底させていた。
暫く…少なくともアマンの森を抜ける迄は、このままやり過ごせる…目算であった。
突如、一本の矢が行軍の先頭を行く騎士の頭を貫く。そのまま次々と矢が打ち下ろしで飛来した。
慌てて盾を持ち出し、影に隠れる羽目になった。
(なっ!?)
(ど、どういう事だ、まだエディン領だぞ!? 対応が速すぎるではないか!)
一気に統率が乱れるが、しかし決して不要な声は上げない。本当にジェリドの命令が行き届いている。
それに革製の盾の割には、矢をキチンと弾いている所をみると、どうやら中身は金属製だが皮で包んでいた様だ。
(そ、そんな…私が精霊の力で穿った道をこうも短期に見つけて矢が届く範疇までやって来るなんて!?)
正直、今一番驚いているのは、普段物事に動じないベランドナであった。敵はあくまでもラファンのディオル山の砦を中心で仮に出張れても、ラファン側の山道で待ち受けていると想像していた。
だが完全にアテが外れてしまった形である。
なれどジェリドの兵達は決して怯まない。道幅一杯に盾を構えて進軍してゆく。
敵にしてもこれは一杯食わされた形であろう。革製の盾を構えてくる連中なんぞ上から矢の雨霰であっという間に壊乱状態に出来ると踏んでいたに違いない。
「ベランドナっ!」
「も、森の美女達よ。存分に弾けるが良いっ!」
ジェリドのたった一言が、彼女を平静に引き戻した。
「皆さん、伏せて下さい! 樹々が襲いかかってきます!」
「な、なんだ、これはっ!?」
「よ、よせっ! や、やめろぉぉぉ!」
ジェリドの軍は一斉に身を屈める。此方をここまで導いていた森の樹々達が、まるで蜘蛛の様にその枝を一斉に伸ばし、敵兵等に襲いかかる。
彼等はあっという間に絡め捕られると、阿鼻叫喚の顔をしたまま、木の一部になってしまった。
「ふぅ…」
「見事だなベランドナ。抑えていた『ドリュアル』達を一気に解放し、敵を襲わせるとは」
「いえ、ジェリド様のお声掛けに目が覚めました」
ベランドナは正直に白状する。それ程に焦っていた。敵の迅速すぎる動きに。
「速い、速すぎるな。君が創ってくれたこの道が出来るまで、敵兵達は確実にラファン側の山の中に身を潜めていた筈だ」
「そう…なんですよ。途端に此方を見つけて、まだ数kmはありそうな山を駆け降りて矢の届く位置まで。まだ1時間も経っていない筈」
「人間の成せる事ではないな……」
探知・接近・襲撃。いくら鍛えた兵士と言えどただの人間が熟せる範疇を超えていた。
「しかしこれで向こうも此方側に跳び込む愚を悟った事だろう。少し休憩したら再び森を開いてくれ」
「承知しました」
「さて、後はラファン側に入ってからのお楽しみだな」
この状況下を鼻で笑うジェリドを見て、ベランドナは心底頼りになる存在だと思い知った。
◇
「カルベロッソ様っ! 山の頂上付近に詰めていた弓兵10程が強襲に失敗! 敵の手に落ちました!」
「な、なんだと……」
味方の報告にラファン砦の長『カーヴァリアレ・カルベロッソ』は強かに唇を噛んだ。
「何と愚かしい事か。あれほど此方側で待てと厳命したのに」
(五感を強化しすぎたか。感じ取るのは良いが、功を焦る軽率さが露骨に出てしまった)
「良いですか、残った兵は決して持ち場を離れず死守する様に改めて伝令しなさい」
「はっ!」
カーヴァリアレは平静を取り戻し冷やかな目で命ずる。兵は伝書鳩の脚に文を縛り即座に飛ばした。
そんな聡明な彼でさえ背中に危機が迫っているとは、流石に予想だにしていなかった。