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 苦い記憶が蘇る。


 乱交事件の当該人として扱われ、たまたま居合わせただけと教師が認めてくれても、周囲の目は変わらなかった。


 傷ついた心に自分を見失い、殻に閉じこもって間もなく、圭司が女の子と手を繋いで歩いている姿を目撃した。


(圭ちゃん……あの時、圭ちゃんにカノジョができたって思って、あんなことが起きたあとだから、愛想を尽かされたと思った。うぅん、好かれているって自惚れてたんだと思って、つらかったの。だから背伸びして『おめでとう』とか言ってしまった。本当はイヤだってゴネて、泣きたかったのよ。あの出来事がそれを言わせてくれなかった)


 鞄のストラップをギュッと強く握りしめる。


(ホントは好きなのよ。だけど私は圭ちゃん以外の人と結婚して、子どもまでできた女よ。生まれてこなかっただけで。そんな私が、圭ちゃんを好きと言って、圭ちゃんの言ってくれる好きを簡単に受け入れることはできない。でも、でも……)


 目的地に到着すると、すでに圭司の姿があった。女二人と立ち話をしている。


 驚いて思わず立ち止まった紗希だが、圭司はすぐに気づいたようで、女たちに会釈をすると小走りに近づいてきた。


「紗希」

「…………」

「どうした?」

「今の……」


 圭司の顔に満面の笑みが浮かぶ。そして照れ臭そうに頭を掻いた。


「東京ってすごいな。俺、女にナンパされたの初めてだ」

「…………」

「一緒に食事でもどうですかって。これが噂に聞く逆ナンかぁってな感じ。明日、会社で話のネタに使う」


 紗希は改めて圭司を見た。


 一八〇センチの細身の体型。ふわりと柔らかな猫っ毛。大きめの目は優しげで、それでいて顔の輪郭がシャープなだけに男っ気を感じる。


 まだスーツは板についていないが、スラリと姿勢がいい上に、ネクタイもワイシャツもどこか洒落た印象を与える。


 圭司曰く、化粧品会社の営業だから身だしなみは特に要求されるそうだ。中にはモデルかと思うほどカッコイイ営業マンもいるそうで、毎日指南を受けているらしい。


 さらに柑橘系のコロンがやんわり香る。


(圭ちゃん、モテて当然かも)


 そう思うと、さっきまでのウキウキした気持ちが嘘のように消え、心は沈んだ。


(私みたいな女が圭ちゃんの横に立つのは相応しくないのかもしれない)


 急に俯いて黙り込んだ紗希を圭司は引っ張るようにして歩き始めた。


 そのまま目的の店に向かい、中に入る。シャンデリアが光を反射させ、店内は明るく輝いていた。


 ギャルソンに案内され、テーブルにつく。料理は予約しているので、あとは飲物だけだ。圭司は手際よくアペリティフを注文し、続けてワインリストに視線を落とした。


「紗希、ワインに好みはある?」

「どっちも好きだけど」

「まずは白ワインから。お薦めは?」


 圭司の質問に隣に立つギャルソンが丁寧に答えた。


「本日は南アフリカのカベルネ・ブラン種のものと、ドイツのシャルドネがお薦めでございます」


 圭司は「うーん」とこぼし、南アフリカ産のワインを注文した。


「圭ちゃん、詳しい」


 驚く紗希に圭司がウインクする。


「先輩に聞いてきただけ」


 世界に名を馳せる日本屈指の化粧品会社に入社した圭司は、社内に数多いるイケてる先輩たちにみっちり教授を食らったのだ。


 豪華なコース料理に合わせて白と赤それぞれのワインを注文し、圭司の誕生日を祝い、思い出話に花を咲かせた。


 食事が終わって精算すると、紗希は申し訳ないという顔をして圭司に割り感を頼んだ。


「奢らせてくれよ」

「だって、圭ちゃんの誕生日なのに、全部、圭ちゃんが出すなんて」


「一人で過ごさなきゃいけないところを、紗希が助けてくれたんだからこれくらい平気。それに来月、ボーナス出るし。やっと社会人になったんだから、いいトコ見せたいから。プレゼントも貰ったし。なっ」


 紗希が用意したのはキーケースだ。圭司はさっそく部屋と車のカギをキーケースに繋いでポケットに入れていた。


「……うん。ありがとう」


 微笑む圭司を眺めつつ、紗希は照れ臭そうに礼を言って頭を下げた。が、その体がグラリと揺れた。


「紗希!」

「…………」

「おい、大丈夫か!」


 ワイン二本を二人で飲み干した。その前にはアペリティフ。立ちあがった瞬間、一気に回ったのだろう。紗希の顔は真っ赤で、気持ち悪そうにして眉間に皺を寄せている。


「ちょっと休んでいこう」

「……う、ん。ごめ、ん」


 圭司のスーツを握りしめ、消えそうな声で答える。そんな紗希を支えながら、圭司は歩きだそうとした。だが紗希の足は動かない。


「ちょっとの辛抱だから」


 近くの花壇に紗希を引っ張って座らせる。するとホッとしたように息を吐きだし、圭司に凭れかかった。


「大丈夫か? 水でも飲むか? 買ってくるけど」

「……ヤ」

「紗希?」

「傍にいて」


 圭司のスーツを握りしめたまま、紗希はこぼすように言った。


「お願い……圭ちゃん、傍にいて」


 酔いが、いつも心にしっかりかけている鍵をあけてしまっていた。


 紗希は素の心をさらけ出し、圭司に寄りかかっていた。


「一人は辛すぎる……」

「傍にいるって言ったじゃないか。今度こそ、紗希を支えたいって」

「圭ちゃん」

「俺の前から飛び去ってしまったのは紗希じゃないか。やっと俺のもとに戻ってきてくれたんだ。今度こそって」


 潤んだ瞳を向ける紗希に圭司は微笑みかけた。


「俺は焦ってないよ。紗希の心がちゃんと癒えて、俺を受け入れてくれるまで待ってる。だから紗希、安心して」


 大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。




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