第一章 王都ギルス 2-2
「ったく、なんなんだよ。アイツは……」
アルスと女性は、交番を出るとそのままラスフィルド百貨店の方に向かって歩いていった。
「ほんと、嫌になっちゃう。ウエストフィルドのおじさんもかわいそうだわ」
「あのオッさんと知り合いなの?」
「まあね。お父さんの同僚なの。あ、そういえば、自己紹介がまだだったわね」通りを歩きながら彼女はそう言った。「私は、マリアナール・レナーズ。マリアンヌって呼んでね。キミは?」
「……アルス、アルス・ヴィトス」
「アルスかあ……。ふぅん」
「なんか不満?」
アルスはマリアンヌを睨みながらそう言った。
「ううん。いい名前だって」
「そ、そう。へへ……」
アルスは、嬉しそうに顔を綻ばせながらそう言った。
「ふふ、可愛い……」
「えっ⁉︎」
「ううん。なんでもない。さあ、行きましょ?」
アルスはマリアンヌに手を引かれながらラスフィルド百貨店の中に入っていった。
ラスフィルド百貨店は、元々は王室御用達の問屋で、創業一〇〇年を超える老舗であった。戦前は高級織物を中心に扱っていたが、戦後になると一般大衆向けの商品を中心に扱い始め、更にその数年後には大きく業態転換を果たし、現在ではドラッズ街で一、二を争う百貨店へと成長していた。
アルスは、マリアンヌと共に八階の食堂街まで行くと奥まったところにある白い鯨という名前のパパラチア料理の店に入った。
薄暗い店内は黒と茶で統一されていた。窓の手前には薄紙を貼った白木の格子が水平状に連続して配されていて、薄紙を通してまろやかになった陽の光が辺りをぼんやりと照らしていた。
店に入ると好きに注文して良いとマリアンヌに言われたアルスだったが、何を選んでいいのか分からなかったので、彼女に任せる事にした。
マリアンヌが店員に何やら聞き慣れない名前の料理を二つ注文すると店員は料理名を復唱して確認した。マリアンヌが軽く頷くと店員は、軽く頭を下げて厨房の方に向かっていった。
「ねえ、アルスってエラローリア皇国の出身なの?」
「違うよ。生まれはフルビルタス王国。ま、その後、エラローリア皇国の孤児院に入ったんだけどね」
「……あ、ごめん」
マリアンヌは気まずそうな顔でそう言った。
「なんで、謝るのさ?」
「いや、孤児院っていったからさ……」
「気にしてないよ。それよりも、どうして俺がエラローリア皇国の出身だって、思ったの?」
「え、ああ……。キミの言葉に訛りが無かったからよ」
「訛り?訛りなんて無いんじゃないの?なんてたって、世界共通語なんだからさ」
「まあ、そうね。たしかにエラローリア語は世界共通よ?でもね、地域によっては、微妙な訛りがあるのよ?」
マリアンヌは生徒に教える先生のように聞き取りやすい口調でそう言った。
「そうなの?」
「そうよ。訛りが無いのはエラローリア皇国と帝国くらいだもの。で、フルビルタス王国の訛りは南部と西部と中部で別れてるけど、いずれも語尾を僅かに上げる特徴があるの。わかるかしら?」
マリアンヌはそう言った。確かに言われてみれば僅かだが、語尾が上がっているように感じた。
(言われてみれば、この前の列車の乗組員もアイツも語尾が上がっていたような……あれ?)
アルスはふと、イヅナが訛っていない事に気がついた。彼もフルビルタス王国の出身だと聞いていたからだった。
「でも、俺の知り合いはフルビルタス王国の出身だけど、訛ってなかったけどな」
「知らないわよ。そんなの。まあ、直したんじゃないかしら?そういう人もいるから」
「ふーん。あ、でもさ、訛りだけで判断するとエラローリアと帝国のどちらかの出身って事になるよね?なんで、エラローリアだって思ったの?」
「苗字よ。あなたの苗字がヴィトスだから。ほら、向こうって、未だに特権階級以外は地名由来の苗字しか名乗れないでしょ?向こうにはヴィトスって村もあるし、そうなのかなって思ったのよ」
「ああ、ヴィトスなら俺がいた孤児院のあった場所だよ。この苗字も先々月、貰ったんだ。わかりやすいようにって」
ヴィトスという苗字は、法の猟犬の為の訓練を終えた証として先々月に貰ったものだった。
「わかりやすいって……、なんか変な表現ね?ところで、アルスって何歳なの?」
「一五だけど?」
「一五か……。なんか、そういう風習があったわね。一五で一人前の大人だって」
マリアンヌが、納得したようにうんうんと頷くと同時に店員が料理を運んできた。
「お待たせいたしました。ミケラデコダワです」
「何、これ?」
マリアンヌは目の前に運ばれてきた木桶の中を見ながらそう言った。
木桶の中には、炊いた米が敷かれていて、その上に黒い魚の切り身らしきものが乗っていた。メニュー表によると魚はマグロのようだった。
「何って、マリアンヌが頼んだんでしょ?」
「いや、そうなんだけどさ……。入り口の模型と違うっていうかさ…」
「食べ物の模型なんてだいたいそんなものらしいよ?誇張や単純化をして美味しそうに見せてるだけだって、」
「ふーん、そっか……。じゃ、食べよ?」
マリアンヌがそう言うと二人は運ばれてきた料理を食べ始めた。
マグロは、甘塩っぱいタレにしっかりと漬け込まれていて、かなり食べ応えがあった。食感は、ねっとりとしていて、とろけるようなこってりとした後味が飲み込んだ後も舌の上に残り続けていた。
「うふ、おいし……。ねっとりとした歯触りととろけるような感じが…」
「さっきまでは、何、これ?とか言ってたのに?」
「べ、別にいいでしょ?」
マリアンヌは少し恥ずかしそうにしながらそう言った。
●ミケラデコダワ
得体の知れない料理に思えますが、単なるマグロの漬け丼です。
パパラチア王国の料理の一つで、炊いた米の上にタレに漬けたマグロの切り身を乗せています。米は冷ましています。また、出汁と薬味が付属します。
なお、ミケラデコダワはパパラチア王国の言葉です。
ミケラはマグロ、デコは浸す、ダワは乗せるの意味です。