プロローグ 1-1
先ほどまで青黒い空に輝いていた月は分厚い雲におおわれ、辺りは深い闇に支配されはじめていた。眼下の街は闇を振り払うかのように煌々と輝き、客寄せの威勢の良い掛け声や酔っ払いの笑い声、それに店から聞こえる雑音が交じり合い不協和音を奏でていた。
しかし、そこから一歩、二歩と離れてた路地裏は、表の喧騒とは打って変わって、静寂と闇が支配する世界で、虫の音と風の音以外は何も聞こえず、何か、得体の知れないモノが暗闇から、ぬうっと出て来そうな、不気味な気配が漂っていた。
はっはっはっ……。
路地裏を荒い息を吐きながら何かに怯えたような顔つきで、走る走る一人の男。
ギョロリとした目つきの大男で、やんちゃなガキ大将がそのまま大人になったという印象の男だった。名前はロチキ・ヨーサン。この田舎町にある食品卸売会社の幹部だった。
この日、彼はいつものように会社の宴会に参加していた。
宴会は、午後一時に始まり、三時間後の午後四時に終わった。その後、気のおける仲間達と二軒目にハシゴをして、三件目に向かう途中で、事件は起こった。
(くそっ、なんだよ。なんなんだよッ!)
ヨーサンは心の中でそう吐き捨てた。
(なんで、なんで、アイツがッ)
「わっ、と……」
ヨーサンは、段差に躓き、転んでしまった。立ちあがろうとすると手や膝に痛みが走る。見ると手のひらや膝を擦りむいていた。
ヨーサンは痛みに顔を歪めながら立ち上がると、よたよたと力なく歩き始めた。
その時だった。
後ろで、カツン……と、小さな音がした。
どっどっどっ。体の中では高鳴る心臓の鼓動が大きく響いていた。息は徐々に荒くなり、体に緊張が走る。
(アイツが、いる……のか?アイツが、あのフランクがッ)
後ろで音はしなかった。しかし、何者かの気配は感じられた。
(どうする?)
逃げようにも足は、動かなかった。ヨーサンはポケットから折り畳み式の万能ナイフを取り出して、いつ襲われても反撃できるように構えた。意を決して振り返る。
しかし、そこには何もなく、ぽっかりと口を開けた深い闇があるだけだった。
「なんだ……」
ヨーサンは、ホッ…と胸を撫で下ろすと再び走り始めた。
ヨーサンは町のメインとなる大通りに出た。この道を左側に真っ直ぐ五〇〇グルードほど歩くとこの街の玄関口であるフィリア湖鉄道のパルザール駅があった。
今から走って行けば最終列車ぐらいには間に合うかもしれない。ヨーサンはそう思いながら等間隔に並べられた街灯を頼りに走っていった。