たぶん世界は悪役を求めている
バルティアの完璧皇子は伯爵令嬢の面白すぎる挨拶にもひるまなかった。
「ようこそ、ヘレナ。僕はレナード・グリフォン・バルティア。以後お見知りおきを」
にっこりと笑ってこの上なく優雅に礼をとる。
うーん、さすが皇子さま。正直、この人が一番底知れないかも。
一瞬ぽかんと殿下の顔を見上げて停止してから、ヘレナの顔からさーっと血の気がひいた。
「レ、レナードでんか、あっ、ああっ、殿下!? 大変失礼をいたしましたっ!」
「はは、そんなに緊張しなくても平気だよ、ヘレナ。レナードは優しいからさ」
横でジェロームが楽しそうに笑う。
こいつ、相手が皇子だと知らせずにヘレナをここへ連れてきたな?
可哀想に、おろおろしてるじゃん。
「ジェローム、人が悪いわ」
「平気平気。同じ人間だろ」
ポンポンとヘレナの肩を気安く叩きながらジェロームは軽口を続ける。
「ヘレナちゃん、こちらのご令嬢はシェリー・ヴォーン・ハーヴェイ。公爵令嬢で、俺の友人」
「はい、あの、ヘレナでございます。お会いできて、こ、こうえいでございます」
完全にテンパっておどおど頭を下げるヘレナに、私は精一杯優しく微笑んでみせた。
「そんなに緊張しないで。どうぞよろしくね、ヘレナ」
「はいっ、シェリーさま、どうぞお見知りおきをっ!」
「それから、ジェロームとはただの知人であって、友人ではないからよーく覚えておいて」
「え、……、あの?」
「はは、容赦ないなー。気を付けて、ヘレナ。この場じゃシェリーに敵うやつはいないから」
「ええ?」
「ジェローム!」
「ほら、怖いだろ?」
何も知らないヘレナに何を吹き込むんだ、何を。 ほら、ヘレナが困ってるじゃん。ヒロインに妙な先入観を与えて私が悪役令嬢になっちゃったらどう責任をとってくれるのよ!
「怒らない怒らない。美人が台無しだよ」
「そういう軽口は聞き飽きたわ、ジェローム」
「まあまあ、とりあえず殿下とシェリーを味方につけとけば安泰だろ?」
そう言って、パチンとウィンクをする。私に愛想を振りまいても無駄だっての。
でも、言っていることは正しい。いい加減なようで意外と考えているところが、また腹がたつ。
「ってことで、紹介はオワリ!」
そう宣言して両手を広げてから、ジェロームは60度ほど身体の向きを変えた。
ヘレナに向き合って、うやうやしくお辞儀をする。
「では、一曲踊っていただけますか、ヘレナ嬢」
しかも、この手のはやさだよ。
この場合阻止すべきか、黙認すべきか。
ファーストダンスはマシュウと踊ってほしいけれど、間の悪い弟はいま、傍にいない。ジェロームはマシュウに次いで攻略が難しいキャラだし、レナード殿下と親しくなられるよりはジェロームと踊らせたほうが……、
って、やばい。これ、またもや悪役令嬢っぽくなってる気がする……!
いつもはこんなふうじゃないのに、やっぱヒロインの影響とか?
この世界がゲーム通りヒロインを中心にまわっているとしたら、敵がいなくちゃ盛り上がらないものね……、どうしよう、私やっぱり悪役になっちゃう運命なわけ!?
「姉上」
涙目になっていると、背後からマシュウの声が私を呼んだ。泣きそうなくらいほっとして慌てて振り向くと、少しいぶかしげに首を傾げて可愛い弟が近づいてくる。
うん、そうだ、マシュウのためにも悪役令嬢になるわけにはいかない。
気を強く持つのよ、シェリー!
「こちらでしたか」
「マシュウ! あなた、どこへ行っていたの?」
「踊ってきました。舞踏会ですから」
「あ、そおう」
この私の目を盗んでマシュウを誘うとは、なかなか骨のあるご令嬢もいるじゃない。
あとで覚えてらっしゃい……、って違う違う、それじゃやっぱり悪役じゃん!
「シェリー、顔が怖いよ」
「少し寝不足なので」
「またまた。シェリーはあいかわらずだね。マシュウも大変だ」
「余計なお世話です」
もうほんと、ジェロームうるさい。
ひと睨みすると、ひょいと肩をすくめてようやく口を閉じる。そうそう、こいつに構っているヒマはないのだ。今こそヒロインにマシュウを売りこまなくては!
「そんなことよりマシュウ、紹介するわ。こちらはヘレナ・ボーフォート」
「ああ、なるほど……、」
ほんの一瞬レナード殿下を見て、それからすぐほぼ棒立ちのヘレナに向き直る。
「はじめまして、ヘレナ嬢。お取込み中失礼しました。マシュウ・カルバート・ハーヴェイです。以後お見知りおきを」
「ヘレナ・ボーフォートです。どうぞよろしくお願い致します」
お手本通りの落ち着いた自己紹介に安心したのだろう、ようやくヘレナも型通りの挨拶をクリアできた。あらあらあら、なかなか良い感じじゃない?
ここはこの私がもうひと押ししておこう。
「マシュウ、ヘレナに一曲踊っていただいたら?」
「ちょい待って、オレが先に申し込んでるんだけど」
知っていますわ。でも、知ったこっちゃありませんわ。
「最初のダンスのお相手がジェロームなんて、幸先が悪いにもほどがあるでしょう?」
「どういう意味だよ。な、レナード」
「はは、僕はシェリーに賛成かな」
「おい!」
レナード殿下の援護が入ったところで、私はマシュウの背中に触れた。
「ほら、マシュウ」
私のプレッシャーを受け止めて、マシュウはわずかに顎を引いた。
こういうとき、マシュウは絶対否とは言わない。
「では、改めまして」
マシュウはヘレナに向き直ると、彼女の手を取って微かに笑った。
うわーん、うちの弟がカッコイイ。
もちろんヘレナも頬を赤らめている。
「ヘレナ嬢、一曲お付き合いいただけますか?」
「はい……、わたしでよろしければ」
よーし、目標達成!
ヘレナとマシュウの親密度が7あがった!(たぶん)