第二皇子に遭遇
クッソ嫌な夢を見てしまった。
どうにも眠気が取れなくて、私は無理矢理背筋を伸ばす。いよいよ舞踏会だというのに、夢見が悪すぎ、縁起悪すぎ、寝不足で眠すぎ。
「姉上、顔が怖いです」
「あら」
久しぶりに見たゲームの夢は、よりにもよってレナードエンドの断罪イベントだった。
シェリーのバッドエンドってさ、どれもこれもホンット最悪なんだよね。ルートによっては私だけじゃなく公爵家もお取りつぶしになっちゃうし、マシュウにいたっては生死不明、行方がデフォルトってどうかしている。
そもそもがあのゲーム自体、軽いノリの楽しい乙女ゲームではなかった。ドロドロした貴族社会、乱れ飛ぶ陰謀、いろいろときわどい描写も流血もアリよりのアリで、どうにか成人指定を逃れているレベルでしたもの。
『花冠のプリンセス』という可愛いタイトルに騙されて購入してびっくりしたもんね。ま、面白かったから結果オーライなのだけど。いや、オーライかな? もしもあのゲームを遊んでいなかったら、こうしてシェリーに転生することもなかったかもしれないし、微妙。
それでも前世ではヒロインに感情移入していたからよかった。しかし今の私は(元)悪役令嬢シェリーなのだ、自分の精神崩壊エンドを“見る”のはなかなかクルものがある。
「体調が悪いのでは?」
「平気よ。でも、心配してくれてありがとう」
仮に体調が悪いとしても、舞踏会は待ってくれない。
特に新しい情報もなく当日を迎えてしまった焦りが夢に出たのかしら。
前世の私にとっては(ゲームで)何度も通った道だけど、今夜はようやくリアルにヒロイン登場、つまりゲームスタートですものね。
本日の目標はヘレナをさりげなく守りつつマシュウを推せるだけ推し、一曲踊らせること。なにせ今日は攻略対象が揃うオープニングイベントだ。ここでスタートダッシュを決めれば今後の展開が楽になる。ただ、舞踏会には手強い“攻略対象”が勢揃いするので、油断しているとそっちの好感度が上がりまくるという可能性もあるから、ここは気合いを入れてマシュウを推さなければ。
「レナード殿下から依頼された件でしたら俺がちゃんと引き受けますから、無理はしないで下さい」
「マシュウ……」
やだ、うちの弟が優しい。
わりと反抗期で憎まれ口は多いし、いつもはそっけないけれど、時々こんなふうに心配してくれるからぐっと来るんだよねー。
いっそヘレナのことはマシュウに任せてみる?
……、いや、やっぱりダメだ。マシュウはそんなにぐいぐい押していくほうではないから、他の攻略対象を差し置いてヘレナと親しくなるなんて、一人では無理だろう。
やっぱ私がついていてあげなくちゃ。
私は長身の弟に向けてにっこりと微笑んでみせた。
「これでどうかしら、具合悪く見える?」
「……いえ、今夜も姉上はお綺麗です」
ごふぅっ、尊いぃ……、ありがとうございます。
毎日見ている顔なのに、なかなか免疫ってできないもんだなあ。いきなりのデレとか、お世辞でもにやけそうになるからやめてください。
ギリギリ耐えて余裕の笑顔をキープした私を誰か褒めて!
「ハーヴェイ公爵家ご令息、ご令嬢、ご到着」
立派な髭の侍従が大広間の入り口で参加者の到着を告げる。
広間の注目を全身で感じることももう慣れた。私たちが進むと、周囲の貴族は次々に頭を垂れ、道をあけてくれる。
なにせハーヴェイ公爵家は王家に次ぐ家柄ですから。
「マシュウ様、シェリー様、ごきげんよう」
「今日のドレス、とても素敵ですわ」
「シェリー様、どうぞこの後一曲お相手を」
次々とかけられる賛辞の言葉に、私はにこやかに応える。
悪役令嬢の名を返上するためなら、笑顔くらい安いものだ。というか、笑顔はタダ。笑っておいて損はない。
「皆様、ごきげんよう。いい夜ですわね?」
「本当に!」
「こんな盛大な夜会は久しぶりですわ!」
「それもこれも、王家とハーヴェイ家のお力があってのことです!」
ちょっと言葉を返しただけで、みんな大喜びで同意してくれる。こんなの、ゲームのシェリーが天狗になるのも無理はないよね。
『ホホホ、ひれ伏しなさい!』って気分になるもん、ヤバイよなーこれ。
あまたの男の申し込みも軽くあしらってちょっとイイ気になっていたら、突然目の前に敵が現れた。
「よう、マシュウにシェリー。今夜はずいぶん早い到着だな」
私たちに気安く話しかけてくる人物は限られている。すなわち帝家の人間だ。
というわけで、敵は第二皇子にして皇位継承権第二位、クリス様である。もちろん攻略対象のひとりで、ついでに私たちとは幼馴染みだ。マシュウがうちに来る前からの付き合いなので、ある意味気心の知れた相手でもある。
私は手に持った扇を盾に、軽く臨戦態勢に入った。
「ごきげんよう、クリス殿下。今宵は素敵な夜会にお招きいただいてありがとうございます」
「招いたのは俺じゃない。殿下もやめろ」
「ではクリス様。夜会にきちんと出席なさるなんて、珍しいのはお互いさまだと思いますわ」
「言うな。ロイに捕まったんだよ」
なるほどね。
兄弟とはいえ、第一皇子のレナード様とは腹違いで、あまり似ていない。クリス様は好き嫌いがはっきりしていて良く言えば自由奔放、悪く言えばワガママ、オレ様気質。何事もそつなく笑顔でこなしていくレナード様とは対照的だ。
「まあ、お手柄でしたね、ロイ」
「いえ、仕事です」
私はクリス様の後ろに控えている馴染みの騎士を見上げた。
クリス様より、そしてマシュウよりもさらに背の高い彼は、クリス様の護衛騎士だ。破天荒なクリス様に手をやきつつもうまく手綱を取れるという逸材である。
「まあいいさ。なあシェリー、今日新顔が来るって話をきいてるか?」
「ええ、噂は聞いておりますわ」
「俺、そいつの母親を知ってるんだ。小さいころに世話になった侍女で、面白いやつだった」
なるほど、クリス様の記憶にも残っているということは、ヘレナの母親は皇子たちによほど好かれていたとみえる。レナード様とクリス様の、ヒロインに対する初期好感度が高いのにも改めて納得。だから何故この設定をゲームで使ってないのか、ホント謎だ。
「俺、まだ小さかったけどさ、今でもうっすら覚えてる」
「まあ……、忘れっぽいクリス様が覚えていらっしゃるなんて、よほど優しい方でしたのね」
「忘れっぽいってなんだよ」
「あら、ではお母様に仕えている侍女の名前をいちいち覚えていて?」
「覚えてるわけないだろ」
「ほら、やっぱり」
「アンは別格だったんだよ。優しくて、すっげえ美人で、こう、胸がでかくてさ」
「……、」
ははーん、決め手は胸だな?
しかし公爵令嬢として、そんな突っ込みを入れるわけにはいかない。
「クリス殿下」
絶句した(フリをした)私の代わりに、マシュウの低音がクリス様の言葉を遮った。
「っと、そんな怖い顔するなよ、マシュウ」
「姉上の前でそういう話は控えてください」
「はっは、お前の姉貴はこんくらいじゃビクともしねぇよ」
ええもう、おっぱいの話なんて全然平気ですとも。しかしここは多少恥じらっておくのがご令嬢というやつなのである。めんどくさいから扇で顔を半分隠しとこっと。
そんな私の反応をどう受け止めたのか、マシュウはそっと私の背中に触れた。
「姉上、そろそろレナード殿下のところへご挨拶に」
言外に、もうクリス様は構うなという意思を感じる。マシュウは昔からクリス様が苦手なのだ。
「あら、そうね。ではクリス様、失礼いたしますわ。また後ほど」
「おう、後でな」
マシュウの様子に気を悪くしたふうもなく、クリス様がひらひらっと手を振る。
ホント、第二皇子は自由だなー。
あんな感じだけど、私はクリス様のことが嫌いではない。攻略対象云々は抜きとして、一番気の合う相手かもしれないとさえ思うくらいだ。
「あの方はあいかわらずですね」
低い声に思わず見上げると、マシュウがいつにも増して仏頂面だった。
基本真面目なマシュウには、クリス様の言葉も態度もなにかとカンに障るらしい。いかんいかん、帝家の方とは仲良くね、マシュウ。
姉としてここは一応フォローをしておかなくては。
「でも、悪い方ではないのよ?」
「……」
ええ、そこで沈黙かあ。眉間の皺も深くなってる気がする。
そりゃ私のフォローもイマイチだけど、そこまで嫌わなくても良くない? クリス様とは小さいころからよく一緒に遊んだ幼馴染だし、ゲームの悪役令嬢なシェリーに一番寛大だった攻略対象キャラでもある。
ああみえて剣の腕も確かなので、護衛のロイともども確実に味方につけておきたいんだけど……、この調子じゃ前途多難かな。