悪役令嬢はもういない
“花冠のプリンセス”
それは私が前世で夢中になってプレイしたゲームのタイトルだ。
貴族の養女となった女の子“ヘレナ”が身分の高いイケメンを落としまくるという、よくありそうでそうそう無いタイプの乙女ゲームだった。
私ことシェリー・ヴォーン・ハーヴェイはヒロインを邪魔する悪役令嬢。
そして弟のマシュウ・カルバート・ハーヴェイは攻略キャラの一人である。
やだ、私の家庭の事情、複雑過ぎじゃない!?
「姉上、こちらでしたか」
「マシュウ」
もの思いにふけっていた私は、開いていた本を閉じて可愛い弟を見上げる。
長身の弟は、わずかに首を傾げてこちらを見おろしていた。
「どうしたの?」
「レナード殿下がお見えになるそうです」
「まあ、殿下が?」
慌てて立ち上がる。
そんな約束があったかしら、と考えるけど思いつかない。
「わざわざ知らせてくれてありがとう、マシュウ」
私は立ちあがって手を伸ばすと、マシュウの頭をよしよしと撫でた。
弟とはいえ成長期も過ぎ、マシュウは背が高いので正直辛い。
でもね、コミュニケーションは大事でしょ? 決して可愛い弟の頭を触りたいわけではありませんわ、いえ、本当ですとも。
「姉上、いい加減子供扱いはやめてください」
マシュウは微妙な顔でくしゃくしゃになった髪をなおした。
それでも私の手を避けないところが可愛い弟なのですけどね!
「まあ、マシュウはおじいちゃんになっても私の可愛い弟よ」
「おじいちゃん……」
マシュウが文句を言わないのは未だに養子だというひけめがあるのだろう、立派に成長した今でも、家族にどこか遠慮が残っているのだ。ああ、いじらしい。可愛い、構いたい!
そう、マシュウは私にとって可愛い弟。
そして、前世からずっと最愛の推しキャラである。
本音を言えばもっとデレデレに甘えたりしてほしいけれど、そんなことをしたらマシュウがマシュウではなくなってしまう。こうして同じ家に住み、好きなだけ姿を眺められるだけで幸せだと思わなくちゃ。
「急いで着替えを用意するわ。それからお茶の準備をお願いして……、ええと、レナード様のお好きな焼き菓子はあったかしら」
「では、そちらは俺が確認しておきます」
「ありがとう! さすがは私の自慢の弟ね」
「褒め過ぎです、姉上」
そりゃ褒めるよ。
だって最推しですからね!
今の私にとってマシュウの幸せこそが人生の目的だといっても良い。
マシュウの幸せとはすなわち、ヒロインとのハッピーエンドである。
「じゃあ部屋で支度をしてくるわ。お菓子の確認、くれぐれもよろしくね」
「はい、姉上」
うんうん、素直でよろしい。
私は読んでいた本を仕舞って、部屋へと急ぐことにした。
「どう、エル。変じゃないかしら」
「どこから見てもお綺麗ですよ、お嬢様」
ものすごく迷ったせいか、エルは既に呆れ顔だ。
「とてもお似合いですし、殿下もきっとお気に召して下さいます」
「そう、そうよね」
鏡の前の自分をチェックする。
悪役令嬢、シェリー・ヴォーン・ハーヴェイはもうこの世界にいない。
鏡に映る私は、皇帝家に次ぐ格式高い家柄、ハーヴェイ家の一人娘だ。ゲームの中では悪役らしく赤と紫を好んで着ていた高慢ちきなシェリーだったけど、今やその実態はこのゲームをやりつくした生粋の乙女ゲーマーの生まれ変わり。メインヒーローにして第一皇子のレナード様の好みくらいはばっちり知り尽くしているのだ!
「シェリー様は、本当に殿下を敬愛しておられますのね」
頬に手をあてて鏡の中の私を見ながら、エルがほう、とため息をつく。
呆れているのか見惚れているのかは微妙なところだけれど、ここは良い方にとっておこう。
「そうね。殿下はご立派な方ですもの」
メインヒーローですからね。
顔良し、性格良し、家柄文句なし。なんでもそつなくこなす帝国の皇子様は、あまりに完璧過ぎて『前世の私』には受けなかった。ついでに言うなら人気投票も4位でしたわ。
だけどこの世界で生きるなら仲良くなっておいて損はない。マシュウの幸せのためなら皇子との婚約破棄ルートも、うっかり間違って皇太子妃ルートも辞さない覚悟ですとも。いや、できれば平穏な未来を掴み取るのがベストだけど、まあそこはそれ。
マシュウとヒロインをくっつけるためなら、皇太子妃だって婚約破棄だってどんと来いだ。
そのために人並み以上に努力もしてきたし、趣味の悪い派手なドレスも着ない。上から目線で威張り散らすなんてとんでもありませんわ。主だった貴族令嬢を集めてシンパを作ったりもいたしません。おかげで私の周囲はきわめて平穏、人間関係も良好だ。
「髪飾りはどちらになさいますか?」
「うーん……、エルはどちらが良いと思う?」
「そうですねえ」
大ぶりの青いダリヤをあしらった華麗なものと、白い花を散らしたような可憐な髪飾り。色味はどちらでも似合うし甲乙つけがたい。エルも迷っているのかふたつの飾りを交互に眺めている。
「白い方が良いと思います」
そのとき、背後から声をかけられて私とエルは飛び上がりそうになった。
振り向くと部屋の入口にマシュウが立っている。
「びっくりした。急に入ってくるなんてマナー違反よ、マシュウ」
「さっきからノックしていました。そろそろ階下へ降りてきたほうが良いかと、呼びにきたのです」
「あら、そんなに時間がかかったかしら」
時計を見ると、そろそろレナード皇子が到着してもよいころ合いだ。
「やだ、本当ね。ありがとう、マシュウ」
「お役にたててよかったです」
ああ、うちの弟まじでイケメン。
「えらいえらい」
「……だから、頭を撫でるのは止めて下さい」
「えー、いいじゃない。マシュウは可愛い弟ですもの」
私の口癖に、マシュウは少し首を傾げて微笑した。
「姉上はいくつになっても手のかかる姉上ですよね」
「ええ、どういう意味?」
「言葉通りです。さ、行きましょう」
少し釈然としないけれど、急いだ方がいいのは間違いない。エルに髪飾りをつけてもらい、私はマシュウと居間へと向かった。