9 ようやく
デクトとローギスはアリシアの言葉に耳を疑った。
「八色騎士、だと?」
「何だそれは!」
怒鳴り声をあげるローギスを、アリシアの後ろに控える男が睨みつける。その瞬間、ローギスは首筋に刃を押し当てられたような感覚に陥り、呼吸を忘れた。
アリシアは手で男を制して、男が深く礼をすると、ローギスはやっと息を吐き出して呼吸ができた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「大丈夫か、ローギス」
「あ、あぁ……」
デクトもローギスも、男から受ける圧力から、その強さは自分たちよりも上だと理解した。
魔族としてのプライドを持つ彼らにとって、人族の強さを認めるというのは屈辱的だったが、認めずに意固地になるほど愚かでもなかった。
二人が静かになったことで、アリシアが話し始めた。
「私は確かに人族だけど、これでも魔王様に認められた騎士の一人。あなた方にとっては七色騎士の方が耳慣れているのでしょうけど、今は八色騎士です。一応私の部下となるのですから、そこは間違えないように」
「わかった」
「了解だ」
二人は呆気に取られるように、口を聞くが、アリシアはため息を吐いた。
「……ため口というのを、私は気にしないけど、私たちは上下関係にあるんです。底はしっかりしていただかないと、あなたたち自身にも関わりますよ」
「わ、わかりました」
「申し訳ありませんでした」
「それでいいですよ」
デクトとローギスの返答に満足すると、アリシアは二人に背を向け、先ほどまで座っていた椅子に座り直す。
「お二人は今日は挨拶に来た、ということでよろしいですね?」
「は、はい。その通りです」
二人を代表して、デクトが答える。
人族が自分たちの上に立つ、という事実をいまだに受け止めきれていないのだが、魔王に認められたと言い、テルシーもそれを知っているとなると、二人が何を言ってもどうにもならないことなのだと理解していた。
「なら、今日はもう帰っていただいて構いませんよ。特にお願いすることもありませんし、今の段階で私たちの部隊に何か役目があるわけではありません。侵攻が始まるまでに、部隊の他の人員の掌握をお願いしますね」
「掌握、ですか。ですが、それは隊長自らすべきことではないでしょうか」
「もちろん、私もしますよ。ですが、いきなり人族の隊長が上に立つとなれば、反乱が起きそうで怖いのですよ」
デクトもローギスも、アリシアから怖いなどと言う言葉が出たことを不快に思った。二人にとって、魔王直属の騎士とは、恐怖とは無縁の存在で、最強の騎士たちなのだ。
所詮は人族。そういう認識が、二人の頭に浮かんだ。
しかし、すぐに二人はその考えが間違いだということがわかった。
「反乱を起こした部下たちを殺してしまいそうになる」
その瞬間にアリシアの口も地に浮かんだ笑みに、二人は恐怖した。
先ほど執事服の男に睨まれたときにも恐怖を感じたが、今感じたのはそれ以上だった。
男の恐怖は鋭く冷たい殺気が元だった。しかし、アリシアの恐怖は殺気ではなく、二人には理解できない歪なものだ。それを恐ろしいと感じずにはいられない。
アリシアは顔を窓の外へと向けていて、表情は見えない。辛うじて見えるのは笑う口元のみ。
それだけしか見えないからこそ、恐怖をより感じるが、二人は同時に顔の全てが見えなくて良かったと思った。見てしまったら、何かさらに恐ろしいものを見てしまうような気がしていた。
そして、この時に二人は悟ってしまった。
この人には勝つことができない、と。
「それでは、お願いしますね。副隊長さんたち」
「「かしこまりました」」
そう言うと、デクトとローギスは出て行った。
二人が出て行くのを見ると、アリシアは自分が他の人たちと同じように騎士となったのだと改めて自覚した。
「アリシア様、どうそ」
紅茶が淹れ直され、アリシアの前のテーブルに置かれる。アリシアはそれを飲み、相変わらずのおいしさに頬を緩める。
それは先ほどの恐ろしい笑みとは全く違い、優しい笑みだった。
「コロク、フェンリル、ようやくね。ようやく始まるわよ」
執事服の男、コロク・ヴィスプルはアリシアに頭を下げ、アリシアの足元にの転がる狼、フェンリルは小さく唸る。
二人とも、この十三年の間にアリシアが加えた手札だ。世話係、護衛、そしてちょっとしたリハビリ相手を兼ねている。
以前アリシアは世界各地に分身を散らばらせることで、レベルの急速アップをしていた。
しかし、今はそれらの分身をほとんど使っていない。その理由は、アリシアのレベルが上限まで上がってしまったからだ。
上限に上がってしまったからといって、さらに強く慣れないわけではないが、それをわざわざ大量の分身を使ってすることか、となるとアリシアは疑問に思い、あまり使わない。
そのせいであまり戦闘をしていないため、先頭のリハビリとしてコロクとフェンリルが相手になるのだ。もっとも、レベル差のせいで、ちょっとしたリハビリにしかならないが、それならそれでよかった。アリシアはそこに不満を持っていない。
「挨拶、ですか。私の方もしておきましょうか」
「アリシア様、そのまま行かれるのでしたら、わたくしがご一緒に参ります」
コロクがそう言うと、フェンリルは自分も、とでも言うように頷いた。
「そうね。分身で行くのならわざわざ二人はいらないけど……久しぶりだものね。本体の方で行きましょうか」
「かしこまりました。では、いつ参りますか?」
「明日の昼過ぎにします。それが妥当でしょう。一応、こちらに分身を残すことにしますよ。何かあった時のために。二人も準備をしておいてくださいね」
「かしこまりました」
フェンリルもコロクと同じように恭しく頭を下げた。
それを見て、アリシアは再び視線を窓の外、今は見えない遥か先へと向けた。
(本当に久しぶりです。一体どういう顔をするのか、見物ですね)
アリシアの口元には、穏やかでない笑みが浮かんでいた。