12 リヒトの目標
リヒトは暗い部屋の中、ベッドに横になって考えていた。アリシアが言ったことに嘘はないと感じていながらも、それを信じることができなかった。
一体どうして。そんな考えがいつまでも頭の中を駆け巡っていた。
これまでの全てが無駄になり、憧れた姉が敵になる。アリシアの行動原理が、リヒトには理解できなかった。
これまでも全てを理解できていたわけではないが、今回の行動は想像すらできなかった。
(お姉さま、あなたは一体何を考えているんですか?)
部屋には誰も入らないように言ってあり、誰もいない。どこに問いかけることもできずに悩む。しかし、誰かに聞くわけにはいかない。
目的を失ったリヒトは、自分で新たに目的を見つけなくてはならない。
「お姉さま……」
「呼びましたか?」
ビクリ、とリヒトの体が震えた。先ほど聞いたばかりのその声を、聞き間違えるはずがなかった。
恐る恐る声のした方を向いてみると、そこにはアリシアが部屋にある椅子に腰かけてリヒトを見ていた。
「お姉さま、どうしてここに?」
「少しあなたと話をしてみようと思ったんです。あなたは人族の中では特殊ですからね。そうでしょう、勇者?」
「……魔族にとって邪魔な存在、ということですか。僕を殺しに来たんですか?」
リヒトが深刻そうな表情でそう言うと、アリシアはきょとんとして、その直後にクスクスと笑った。
「まさか、そんなことはしませんよ。そもそも、そんなことをするのは、私の目的に反しています」
「目的、ですか?」
「はい。私が魔族側に属した目的です」
「それは一体……」
「それを話す前に、少しだけ付き合ってください。すぐに終わりますので」
「それでお姉さまの目的がわかるのなら」
先ほどまでリヒトは覇気がなかったが、今ではアリシアのことがわかるとなり、少しだけいつも通りに戻っていた。
「では、少し沈みますけど気にしないでください」
「沈む?うわっ」
アリシアの言葉の直後に、リヒトの体はその言葉通りに沈んだ。よく見てみると、アリシアの足元の影が広がり、リヒトはアリシアとともにそこに沈み込んでいた。
リヒトは最初は驚いていたが、すぐに落ち着いた。このまま部屋では話せないこともあるのでは、と考えたのだ。
二人の体が完全に影の中に沈み込むと、影は消え、部屋には人の姿は一切なくなった。
影の中は明かりがないのになぜか明るく、お互いの姿がちゃんと見えていた。
「さて、リヒト、少しだけ戦いましょうか。模擬戦です」
「模擬戦、ですか。それをすれば、お姉さまの真意を教えていただけるのですか?」
「真意というほどではありませんけど……そうですね。ついでに言えば、魔族軍の八色騎士の実力の一端を知ることができると思いますよ」
「なるほど。それはやる気が出ますね」
「とはいえ、この影の中ではいろいろと制限がかかります。まず、魔力が使えませんから、魔法は使えません。しかも、任意発動のスキルも発動できません。常時発動は別ですが。つまり、ほとんどステータスそのままの力の差が出ます」
「そのまま、ですか。魔族が相手ならともかく、同じ人族であるお姉さまが相手なら、どうにかなる気がします」
「あぁ、それと今の私は本体ではなく分身ですので、どれだけの攻撃であろうと本体は傷つきません。遠慮しなくてもいいですよ」
「では、そうさせてもらいます」
リヒトは気を引き締めて構える。武器は持っていないため無手ではあるが、それでもステータスは高いため戦える。
だが、それでもリヒトはアリシアが負ける姿など想像できなかった。しかも、魔王軍の幹部にまで上り詰めていることから、今の状態で勝てるとは思っていないが、それでも全力で挑もうと思っていた。
「行きます!」
勇者として剣ばかり扱ってきたために格闘はあまり得意ではないが、それでも波レベルの技量で突き出される拳や蹴り。慎重にやっていたのでは技術力の無さで不利になることはわかっていたので、速度と手数で勝負することにした。
しかし、それらの攻撃は全てアリシアに防がれ、払われ、受け流される。
アリシアは同じ場所に立ち続けているだけで、しかも片手しか使っていない。だが、それでもリヒトの攻撃に対して、何も焦ることなく全て対処していた。
「さすがですね、お姉さま。ですが、そちらから何もしないのですか?」
「安心してください。すぐにやりますよ」
急にアリシアの気配が変わると、突き出されたリヒトの拳を弾き、一気にリヒトの懐まで踏み込む。そしてもう片方の手で拳を握り、一気にリヒトを吹き飛ばした。
「がはっ!」
飛ばされ、転がったリヒトは起き上がろうとするが、一撃が重すぎて体に力が入らない。
「こんなところですね」
「い、いえ、お姉さま。僕はまだ……」
「やめておいた方が良いですわよ。今のあなたは追撃し放題でしたが、しませんでした。してしまえば、あなたは無事では済まないからですよ」
「それは……」
アリシアの言うことは、リヒトも十分に理解していた。それでもまだ続けたいと言うのは、ただのリヒトの我儘だ。それに、その我儘をしてしまえば、アリシアを怒らせかねない。それは避けたかった。
「それにこれは模擬戦。一度地に倒れたのならそれまで。そういうものでしょう?まぁ、地と言っても影の中ですが」
体がふらつきながらも立ち上がるリヒトにアリシアは歩み寄る。
「こうして戦ってもわからないことはあると思います。ですから、私のレベルだけ教えておきます。よく聞いておいてくださいね」
「はい」
「私のレベルは、最高レベルの500です」
「…………500って、八色騎士とやらは皆がそれほどなのですか?」
「500に到達しているのは魔王軍の中では魔王様と私だけですが、強さで言えば私よりも上の騎士はいますよ」
「そうですか……まぁ、魔族の強さは未知数と言われていますから、そいうこともあるでしょう。そんなことより、お姉さまが魔族軍にいる理由は何ですか?」
「魔族の強さをそんなことで済ませる辺りは予想外ですが……教えるという約束ですしね。とは言え、理由はシンプルですけどね」
「シンプル?」
「そうです。楽しみたいから。ただそれだけです」
アリシアが微笑みながらそういうのを見て、リヒトは絶句した。
まるで簡単なことでも言うかのように、当然のこととでも言うかのように言っている。
だが、それでリヒトがアリシアに失望するかと言えば、そんなことは全くない。むしろ、憧れは強くなった。
そして、そんなアリシアを越えたい、とリヒトは思った。
「リヒト、あなたには私の楽しみを埋める要素になってもらいます。結論から言えば、私を殺しに来てください。それを私が迎え撃ちます。元々は人族全てを敵に回すことが楽しかったのですが、どうせなら私を殺せるくらいの人族に現れてほしいとも思ったんです。そして、ちょうど弟がその才能を持っている。これは運命だと思いました。ですから、もし戦場で会うことになったら、私は本体で出ることにしましょう。あなたの全力でもって、人族を裏切った私を倒して見せてください」
「お姉さまを、倒す……」
「もちろん、私もただやられるわけではありません。勇者であるあなたを人族の私が殺せば、それだけで人族に相当なショックを与えることができるでしょう。ですから、その時は私もあなたを殺しましょう」
昼間にアリシアが言ったこともだが、今言ったこともリヒトには衝撃が強すぎた。しかし、それらを全て本気で言っていることがわかった。
だからこそ、リヒトは決意を込めた表情で頷く。
「はい。僕は来たるべきその時まで生き延び、そしてあなたを殺します」
それがリヒトの新たな目標となった。
そんなリヒトにアリシアは笑みを向ける。昼間に見せた、獰猛な笑みを。それをリヒトは真正面から見つめ返す。
「その時を待っていますよ」
すると、リヒトの体は徐々に上へと向いて行った。影の中から抜けようとしているのだ。
「それでは、また会いましょう、リヒト。戦場で」
「はい、お姉さま」
影から出た後の部屋、陰に入る前と全く変わりはなかった。だが、リヒト自身の気持ちは前よりも燃えていた。
憧れの人に認めてもらえるチャンスを手に入れたリヒトは、このままじっとしていられず、剣を手に窓から飛び出し、森へと走り出した。