11 再会と裏切り
クミニの細剣の切っ先がリヒトの喉元で止まる。これで決着なのだが、クミニは寸止めというルールだから止めたわけではない。突如感じた不穏な気配に、自然と手を止めてしまったのだ。
そして、それはその場にいる全員も感じていた。
「皆さん、こんにちは」
澄んだ声でかけられた言葉は普通の挨拶。しかし、そこから感じる気配が不気味なことと反しているため、それが恐ろしい。
全員が恐る恐る振り返ると、そこにはおそらく声をかけた少女。短い銀髪に青い瞳、アリシアがうっすらと笑みを浮かべて立っていた。その後ろにはコロクとフェンリルがいた。
さらにその後方では屋敷のメイドたちが青ざめた表情をしていた。それは明らかに、フェンリルの姿に恐怖している。それはガルドたち冒険者でも威圧を感じるほどだった。
しかし、それと同時にその場にいる誰もが気付いた。アリシアの容姿が、ミリアとそっくりであることに。
そして、十代という見た目を見て、ガルドの口から名前が漏れ出た。
「アリシア……アリシア、なのか?」
ミリア、リヒト、レミアもまったく同じことを思った。十年以上前に死んだと思っていた家族と同じ姿をしている存在が目の前にいるのだ。
しかし、同時に思い出す。少なくともガルドとミリアはアリシアの死体を見ている。その死体は間違いなく本物だった。嫌々ながらも確認したことを、二人とも覚えていた。
「いや、お前は一体誰だ?なぜ、娘の姿をしている!」
ガルドが怒りを面に出して怒鳴る。そんなガルドにアリシアは視線を向ける。
「誰だ、ですか。予想通りの反応ですね」
「一体誰なの?私たちの娘の姿をして……どうして……」
ミリアはアリシアの死体を見た時のことを思い出し、目に涙を浮かべ、アリシアから目を逸らす。
「お父様、お母様、リヒト、レミア、お久しぶりです。私は正真正銘、アリシア・ラインセル本人です」
「そんなはずはない!アリシアは死んだ!魔物に食い殺されて死んだんだ!貴様の正体を見せろ!」
ガルドは剣を抜き、アリシアに向かって突っ込む。それに対して何もしようとしないアリシアのことを見て、ガルドは苦しくなって顔をしかめる。しかし、唇を噛みしめ、強く剣を振り下ろす。
「ああぁぁ!!」
「下がりなさい」
コロクは一瞬でアリシアの前に立ち、短剣でガルドの剣を横に受け流すと、空いていた左手でガルドの襟首をつかんで懐に膝蹴りを加える。
「がはっ!」
体を鍛えていると一目でわかるほどガタイの良いガルドが、細身のコロクに力でうめき声を上げさせられるのを、ミリアたちは予想していなかった。
うずくまるガルドは憎々し気にコロクのことを見上げるが、コロクは冷たい目で見下ろし、その顔を蹴り飛ばす。
「ガルド!!」
吹き飛んだガルドに駆け寄るミリア。そしてリヒトとレミアは、強雨激な事態の変化にまだ追いつけず、ゴンダス、クミニ、ヘルガはコロクに武器を構える。
武器を向けられ、コロクは三人を睨みつける。このまま攻撃してくれば、主であるアリシアへと攻撃が向く可能性すらあるからだ。
コロクは向き直り、一歩踏み出そうとした。
しかし、それをアリシアは手で制した。
「下がりない、コロク。別に今日は戦いに来たわけではありません。事情説明と挨拶に来ただけです」
「申し訳ありません。出しゃばりました」
「構いません。それがあなたの役割ですもの」
そう言われ、コロクは下がり、アリシアは改めてガルドの方へ向く。
「お父様のその反応は想定しておりました。死んだ娘の姿をした者がいきなり現れれば、そうなるのは至極当然。ですが、ご安心ください。私は間違いなく、お父様の娘、アリシアです。十三年前の死体は、私の分身です」
「分身、だと?」
「《時分身》」
アリシアは微笑み、本体の横に一体分身を出し、そして消す。
「あの時の死体は、こうして作りだした分身です」
いきなり現れ、消えた分身に、ガルドだけではなく他の全員も呆気に取られる。そして、その反応はアリシアの期待通りで、つい表情に出そうになるが、それはまだだ、と自分に言い聞かせて抑える。
「本当に……本当にアリシアなのか?」
「はい。最初からそう言っていましたが」
「生きていたのね。良かった」
ガルドとミリアは安心したのか、涙を流していた。
しかし、レミアは不機嫌な顔をし、リヒトに至っては呆然としていた。
レミアはずっと嫌いだった姉がいきなり生きていたということで、両親が安心して涙しているのが気に入らなかった。
一方、リヒトはこれまで生きてきた意味を見失った気分だった。アリシアを殺した魔物や魔族に復讐するつもりだったが、元々死んではいなかった。その一つのことで、リヒトのこれまでが全て否定されてしまった。
もちろん、憧れの存在であったアリシアが生きていて、嬉しい気持ちはある。だが、同時に迷ってしまったのだ。この先どうすればいいのか。
(もうすぐ魔族の侵攻が始まるっていう時に、こんな気持ちじゃ……)
リヒトは焦り、レミアは不機嫌ではあるが、それ以外はその場の空気は十分に祝福のムードだった。
それを感じ取ったアリシアは当初の目的であるもう一つの手札を切ることにした。
「さて、今回は挨拶も兼ねてここに来ました」
「ん?挨拶、というのはどういうことだ?」
「魔族の侵攻が始まる前にしておくべきだと思いましたので」
ガルドやほかの人たちも疑問に思いつつも、アリシアの言葉に耳を傾ける。
「挨拶というのは、私が今所属しているところに関してです。主の許可も得てここに来ています」
「主、ですか?お姉さま、それは一体どなたのことなのですか?」
リヒトがそう尋ねると、アリシアは全員を見渡し、微笑む。しかし、その微笑みは先ほどまでと違い、薄気味悪いものだった。
「私は今は、魔王様直属騎士の八色騎士、《銀》のアリシア・ラインセルと名乗っています。以後お見知りおきを」
「魔王、直属?ど、どういうことですか、お姉さま」
「言葉通りですよ、リヒト。私は魔王様の配下、つまり、魔族側の人間ということです。理解できましたか?」
「ちょ、ちょっと待て、理解が追い付かない。冗談で言っているのか?」
ガルドが頭を抱えながら動揺した様子でアリシアに尋ねる。冗談であってほしいと願うその言葉に返ってくるのは、無情な否定だった。
「いいえ、冗談ではありません。正真正銘、私は魔族に寝返ったのですよ。十三年前のあの日に、私は魔族に会い、そして魔族側に属することを決めました。それが事実です」
その場の空気が沈黙する。
ガルドやミリアはショックで動けず、レミアは嫌悪を出し、リヒトはまたしても呆然とする。ゴンダスたちもどう動けばいいのかがわからなかった。
誰一人として、人族が魔族側に寝返るなどと言うことを想定していなかった。もしや無理やりやらされているのでは、と考える者もいたが、魔王直属騎士ということからその可能性は低かった。操られているだけの者が、そんな高い地位に着くことはできないはずだからだ。
そうして全員が動けないままなのを見て、アリシアはコロクに合図した。すると、アリシアたちの体が影に沈み始めた。
「皆さん、精々抗ってみせてください。そうしていただいた方が、私としては楽しいので。他の八色騎士たちも、すぐに決着してほしくないと思っているでしょうから、死に物狂いで頑張ってください」
アリシアの言う言葉が、その場にいる全員の頭にこびりつく。
「さて、ではこれにて失礼いたします。次に会う時は戦場であることを期待しています」
影に沈み込みながら笑うアリシアの声は、不気味に響いていた。