第一話
◇◇
意識が覚醒した時、俺はなぜか草原に立っていた。
視界いっぱいに緑の絨毯が広がり、風が吹く度に波打っている。遠くを眺めてみると、森、そして雄大で美しい雪化粧の施された山脈が連なっている。
そう、例えるならば、綺麗な風景の例としてよく挙げられるヨーロッパの風景のようだ。まあ、俺自身は直接みたことはないのだが。
そんなことに考えを巡らせていると、ふと気づいたことがある。
「アレ、イツモヨリモ視線ガ高イ気ガ……ッテ何ダコノ声ハ!?」
目線の高さのみにとどまらず、声にもまた違和感を覚える。
最後に身長を測ったときが確か一六五センチだったはず……それにしては横に並んでいる木がやたらと小さく思える。
それにこの声。人に比べて低くはあったがここまで低くはなかったはず。俺の覚えている声よりもずっと低く、風邪をひいて喉を傷めたときのようなガラガラとした声である。この声の発声者である俺ですらも驚きを禁じえず、他に誰かいるのかと思って周りを見渡してしまったほどだ。
そしてさらには体にまで異変を感じてしまった。しかし悪い意味ではない。言葉では言い表せないのだが、体の奥底から力が溢れるように漲ってくるのだ。五感も普段よりずっと冴えているように思え、感覚的には数百メートル先の動物に動きさえ探知することができる。
これは明らかなる異常だ。
自身に何が起きているのかと、腕を目の位置まで持ち上げてみる。
そして、固まった。そこにあるものを理解することができなかったのだ。なぜなら、それは物心ついたときから慣れ親しんだ俺の手ではなかったからだ。
丸太のように太い腕。五本指の先にある、ナイフなどおもちゃだと言わんばかりに鋭利に見える真っ白な爪。黒褐色で艶がなく、傷ひとつ見られない鱗。鱗に所狭しと並ぶ白い線でできた幾何学模様。
そこまで見てから俺はあることに思い当たり、「空中に現れた真っ黒な渦」へと手を突っ込み、等身大の姿見を取り出して地面に突き立て、己の姿を眺める。
「……マジカヨ、ファンタジーダナ、オイ」
鏡に映っていたのは身長一六五センチ、黒髪坊主のイケメンとも不細工とも言えない普通の少年……ではなく、黒曜石のような輝きで美しさと禍々しさを両立させる二〇センチほどの一本角、爬虫類独特の構造の眼、整然と並ぶ鋭い歯、時折ピクピクと動き翼、そして強靭そうな手足よりもさらに太い尻尾を備え持つ二息歩行のトカゲであった。
そんな自分の姿に思わず言葉が零れ出てしまった。
そして、呟く動作と連動して同時に姿見に映るトカゲの口が動いていることによって、否応なく「コレ」が自分なのだということを知らしめてくる。
また、先ほどの「黒い渦」と中から取り出すことができた、豪華かつ質素さのある姿見から、自分が何者であるかの確信に近い予測もつけることができた。
「マサカ、《オッズ》ナノカ?」
《オッズ》とは、俺―――岡山県在住一七歳の高校生、河野 大和―――がVRMMORPG【フリーダム】において丹精込めて育てていたキャラクターのことである。
【フリーダム】とは前述の通りVRMMORPGで、設定としては陳腐ではあるが剣と魔法の世界というものだ。
名前の通りその自由度は他に数あるゲームの中でも群を抜いて高く、裁縫、彫刻、採掘、建築、調合、鍛冶などと、基本的になんでもすることができた。
また、俺をこのゲームが俺を夢中にさせたのは、職業・種族・スキルの三つのシステムだ。職業に就くことによってある一定の分野においての能力が跳ね上がり、相性の良い種族、そしてスキルを選択することでそれらは相乗効果を生み出し、格上のレベルのプレイヤーにさえ引けを取らない勝負をすることができるのだ。
多くの種族の中で、俺が選んだのは竜人族であった。
初期における全体的なステータスは頭一つ抜けているというメリットがある一方、レベル上げでの必要経験値が多いということで成長がかなり遅いというデメリットを孕んでいる。ほとんどのプレイヤーはそのデメリットを重く捉え、選ぶことはまずなく、地雷と呼ばれる始末であった。
しかし、それなのに俺は選んだ。それは何故か。答えは簡単、かっこいいからだ。
さて、こんなことを考えている場合ではなかった。今は何よりも懸念すべき事項がある。
「俺ハ何故ゲームノ中ニイルンダ?」
そう、今持つ疑問はこれに尽きる。ゲームの中だと考えれば自分を取り巻く大自然も説明がつくのだ。
しかし、俺は部活を終えてすぐに着替え、自転車に乗って塾に向かったはずだ。
それで、それで・・・・・・その後どうなったんだっけ。
腕を組みながら指で顎? を摩る。
確か……そうだ、友達に会って、自転車から降りて駄弁りながら歩いてたんだ。それで……ッ!?
「アア、ソッカ」
俺はすべてを思い出してなぜか妙に納得してしまった。しかしどうしても冷静ではいられなかったようだ。
鏡に映っているのは竜人の凶悪な顔であるため、表情を機微をうまく読み取るこてゃできないが、若干黒褐色の鱗に覆われた顔がやつれているように見えた。そんなことなんてあり得るはずもないのに。
俺は死んだ。
横断歩道へと踏み出そうとしたときに横から小学生低学年ほどの子どもが駆けていくのが見えた。そして視線の延長線上に、信号は赤だというのにスピードを緩める様子もなく、むしろ上げながら左右へと揺れ動いて迫ってくるトラックが見えた。
その時は無意識だった。ただただ助けないとと思い、トラックに気が付いた友達が危険だと静止するのを気にも留めず、自転車を放り出して飛び込み、子どもの背中を強く押して……。
「ハア、何ヤッテンダ俺ハ……見知ラヌ子ドモヨリモ自分ノ命ノ方ガ大切ダッテワカッテイタハズナノニ」
やり残したことは多くあるが、今さら言ってもどうにもならない。
地面に座り込んで胡坐をかき、両手を後ろについて空を仰ぎ見るようにして盛大にため息をつく。
家族や親せき、そして友達にもう会えないと思うと胸が張り裂けそうに痛む。せめて別れを告げてから逝きたかった。特に一緒に帰っていた友達には悪いことをした。トラックに轢かれてスプラッタな状態になった俺を見てしまっただろう。トラウマになっていないことを願うばかりだな。
ひとしきり感慨に耽り、もう終わったことだと割り切って現在とこれからのことについて考えていこう。
死んでしまった俺がなぜゲームの中にいるんだろうか。いや、まずここは本当に【フリーダム】の中なのか。
自由度が高いとはいえ限度がある。現在の技術では世界というものを再現するにも限度があるため、ある程度まで切り捨てられた情報がある。
それは味覚と臭覚だ。能力の一つとして組み込まれているのだが、それはまた別の話だ。
味覚の場合、それぞれの食材の味を再現しては情報量が大きくなりすぎるため、美味しいや不味いといった簡単な区別のみできるようになっている。臭覚の場合も同様である。
また、ゲームの中では視界の隅にマップ、HPバー、MPバー、現実時間とゲーム内時間を示す時計の四つがあったが、今でもそのうちのどれも存在しない。それにもかかわらず、なんと言えばいいのか、直感的に今のHPとMPの程度、現時刻、方角や位置情報などがわかる。
これらからも今の状態が異常であるのがわかるだろう。
植物のにおいに土のにおい。草をちぎり取って口に含んだときの独特な苦味。
そこで、ネット小説を読んでいた俺は一つの可能性に思い当たる。
「転生?」