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ちょっと長い。
恐る恐るドアを開け外に出てみると、すっきりとした空気が俺の肺に流れ込んできた。森の空気だ。森は見渡す限りずっと広がっていて、樹海という言葉が相応しかった。
此処は何処なのだろうか。百年前の人工知能の発明を契機に、世界から緑地はどんどん消え去り、そしてとうとう残された森は侵入禁止の保護地域とされた。だからこんな自然に囲まれるのは、初めてのことだった。
昔の人は自然の中の空気を美味しいと言っていたらしい。ぶっちゃけ俺は空気洗浄機の空気との違いがわからないが、なんとなく、自然に囲まれたこの空間は有難いものだということはわかった。
「地球上にこんな場所があったんだな……」
もしかしたら寝ている間に火星プロジェクトが始動して、その第一被験者として俺が送られたのかもしれないけど。いや、でも俺みたいなアンドロイドの才能しかないモヤシ野郎を送ったって仕方ないわ。アンドロイド大量生産して発達させろって? マジ無理。
俺はおもむろに空を見上げた。日が傾くまでに樹海から脱出、とまではいかなくとも、少なくても洞穴だとか、此処から離れる努力をしたい。いや、したかった。俺は明るい空を見て、自らの未来の仄暗さを悟った。
地球だったら、あり得ないよなあ。でも、火星だったら、そうだなあ……。太陽が二つあっても可笑しくないだろうしなあ。太陽と、あと場合によっては月が太陽に見えて、太陽が二つ、なんてあるかもしれないしなあ。
空には、眩い光を放つ太陽が二つ、浮かんでいた。
「此処は、地球じゃないのかな……」
とんでもない絶望である。太陽二つとか、あり得ない現象だ。例え俺がコールドスリープで、此処が俺の知る現代じゃなくて未来だとしても、タイムマシンが開発されて過去に遡ったとしても、太陽が分裂したり新しく創造された時点で地球はジ・エンドである。
此処は、マジで何処なのだろうか。火星か、それとも、やはり、古典小説よろしくトリップなのだろうか……。ああ、そういえば、従兄弟のゲームでは太陽が二個あったが、まさか。あれがフラグだとでもいうのか。
「……従兄弟の、モンスターでるんだよな」
俺は棒を強く握り締め、ゆっくりと前へ進み始めた。
森は地面に僅かに光が届くほど、うっそうと茂っていた。間近で見る本物の自然に俺は興味を引かれつつも、決して警戒を緩めない。棒の曲がった先っぽで、此処が木々に印をつけながらぐるぐる迷わないよう進んでいく。此処が本当に地球だったら俺は間違いなく大罪人になってしまう。トリップを願うばかりだ。
お、この木はシラカンバだったか? 白いし。陽樹と陰樹が木にはあるらしいが、さっぱり見分けがつかない。ホログラムだけじゃ本物には通用しないぜ、生物の先生。いや決して俺がアホだとかそういうわけではなくて。確かに生物は苦手だけど。
大体生物なんて何の役に立つんだ。生物やりたいやつだけやればいいのに。俺はアンドロイドだけやりたい。時代はアンドロイドだぜ。人間ができないこともアンドロイドなら出来る。勿論人間にしか出来ないことはあるが、いつかはアンドロイドだけが労働をして、人間の仕事は趣味のようなものとなれる。やってもいいし、やらなくてもいい。素晴らしいじゃん。
アンドロイドが反旗を翻す、だなんて怯えるやつもいるけど、あいつらは電源さえ切れば動かなくなるっていうのに。
「いい案だと思うし、やれないことはないと思うんだけどなあ」
現状、アンドロイドは隣人という扱いだ。自分好みの見た目、自分好みの性格をした動くお人形。恋人代わりにするやつもいれば、子供や家族のように扱うやつもいる。それで幸せになるやつもいるんだから正しいアンドロイドの使い方とは思うが、アンドロイドにはもっと大きな可能性があるはずだ。それを俺は知りたいし、広げたい。
っと、また思考がアンドロイドに行ってしまった。今はそんなことより目の前のサバイバルなのに。サバイバル本読んでおけばよかったなあ。木を使って火を起こす方法は辛うじてわかるんだけども。生物の解体方法だとかの食べ物系はわからない。最悪その辺の木の実を取ろう。……生物をまじめにやっていれば、その木の実が食えるかわかったのだろうか。いやばかな。
「うーん……そうだな、まずは人に会おう」
火星だったら人いないかもな。よくあるあの銀色のフォルムで、手足がすらーっとしてるやつかな。言葉通じるかな……。てかまず近づきたくないな。怖いもん。
ほぼ無いとは思うんだけど、それでもちょっとだけ考慮して此処が従兄弟のゲームなら人がいる。ああもう従兄弟のゲームでいい。人がいてくれるなら、それだけでいいわ。
従兄弟のゲームは「最後の選択」という名前のゲームだ。趣味で作ったRPGで、確か夏の祭典でそこそこ売れたといっていた。
舞台は「ラボ」と呼ばれる世界。主人公はある日突然異世界にトリップした高校生で、ラボ世界で冒険をしながら帰る道を探っていく。ギルド制とかもあって、そうだな、古典小説の世界をそのままゲームにしちゃった、みたいなものだった。
たしか、世界には秘密があった。「ラボ」は異世界人の持つ巨大な魔力を使って世界に結界をはり、安定を保っている世界で、主人公はそのために呼び出された、所謂生贄だった。ただ、運よく召喚場所の座標がずれていたからすぐに生贄にされずに済んだんだ。終盤でつかまるんだけど。
それで抵抗空しく生贄にされかかる、というところでヒロインが助けてくれるんだけど、誰かを生贄にしなくちゃすぐにでも世界は滅びに向かう。選択肢で、自分、ヒロイン、他の誰か、何もしない、ってあったな。
何もしない、ヒロイン、誰か、だと魔力が足りなくてもれなく滅びる。すごかった。四つ中三つが同じ結末迎えたな。世界の動きが停止して、自分一人だけになる。誰も彼も反応を示さず、自分は「ラボ」に一人きり。そして孤独で死ぬ。
自分を選ぶと、急速に自分に眠気が襲ってきてそのまますやぁ。気がつくと自分は病院のようなところで眠っていた。その後は何事もなかったかのように日常に戻る。
もちろんこの終わり方には理由がある。この「ラボ」という世界は「ラボラトリー」、「実験場」だったのだ。
自分が死ななければ愛する人のいる世界が滅んでしまう、そのような設定のなか人はどのような行動をとるのか。それがこの異世界へのトリップ、仮想世界への参入の理由だ。主人公はその被験者。どうして被験者になったのかと言えば、簡単にいえばどうでもいい存在だったからだ。
どこにでもいるありふれた存在。いてもいなくてもいい存在。万が一で死んでしまっても大きな損害のない存在。「ラボ」の主人公とはあまりに真逆で、真逆過ぎて主人公は憧れ、被験者に立候補した。そしてその経緯の記憶を消して、実験に参加した。
勿論そんな主人公の精神はぺらっぺらに弱い。水にぬれたティッシュペーパーよりもろい。だから、世界がとまった瞬間、その罪悪感で自殺してしまった。そこが実験場だと知らなくて、精神が死んでしまった。
以上が従兄弟のゲームである。なかなか凝っている、とは思うが、結末がとても悲惨だ。他人を選べば自分の心が死ぬ。自分を選べば本来の何でもない自分に戻る。
心が綺麗なプレイヤーは自分を選んだだろうが、まあ、ネタからすると他人を選んでほしいものだったね。俺は当然「他の人」を選びました。見事なバッドエンドだったね。
……。まさか、此処じゃないよな? 此処がラボじゃないよな? 俺は被験者になんか絶対ならないぞ。だって俺はアンドロイド学の天才、もともと世界に必要とされている人間だ。俺はそんな研究には参加しないし、他のどんな研究にだって参加しない。
そりゃ、参加したら何かすごい高いもの、俺が頼んでも手に入らないものだったら、もしかしたら参加するかもしれないが……。
怪しくなってきた。今自分が存在しているのは現実か、ラボか……。だが、此処がラボであろうとなかろうと、俺がこうして思考している限り、少なくとも俺にとってこの世界は現実だ。死なないに越したこと無いし、テキトーな選択をすべきで無いだろう。
「当分の目標は、この世界がどのような世界であるかを確認することだな」
ラボ世界の特徴は、太陽が二つあること、モンスターがいること、宗教があること。古典小説じゃよく宗教戦争があったが、「最後の選択」にも勿論宗教要素はあった。
世界最大宗教である「フュージャ教」と、マイナーで邪教とも呼ばれた「スーラー教」。意味は何なのか聞いたら特にないそうだ。語幹でつけた名前らしい。わかる、いちいち意味なんて考えてられないよな。
現状太陽が二つあることは確認されている。あとはモンスターと、その宗教が確認されれば此処はラボ世界だ。まあ、ラボ世界でなかろうと特殊宗教、モンスター、何れかさえあれば異世界決定だ。異世界じゃなくとも地球の現実じゃないことは確定だ。
うん、でも、たしか、「最後の選択」は仮想世界だから魔法があったな。ファイアやら唱えれば火が出た。よくあるRPGだからね、魔法くらいある。
「……ファイア」
試しにだった。特に深い意味とかなくて、なんだったら厨二病患っていたわけでもなかった。本当に、ただの興味本位だった。
もし此処がラボなら魔法が使えるだろうと思って、なら試しにやってみようかな、程度だった。結果は、火なんて出なかった。
なんだろう、すごい恥ずかしい。そんな魔法に夢見た子どもなんかじゃないんですほんとう。人としての好奇心なんだって。森の中には誰もいないのに、顔を赤くしながら誰かに言い訳する。ほんと、科学的好奇心だったんだって。
「でも、これで俺が魔法が使えないことは確定……いや、まて。魔法は呪文だけじゃ発動しない。レベルアップして手に入れるものだ……」
魔法が使えようが使えまいが、此処がラボだという証拠にはならない。既に地球外説は成立している。あとは、この世界がせめて俺の知る世界であれと願うばかりだ。