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8 最初の別れ


 この世界に来て八年。

 過ごした日々は楽しかった。

 優しく優秀な師が居て、生意気だったり甘えん坊だけど頼りになる番犬も居て、週に一度友が訪ねて来る。

 穏やかにお茶を飲み、魔術の話をし、時には森を探索もして、この頃の僕は間違いなく幸せだったと言えるだろう。

 だがそんな楽しい日々も永遠には続かない。

 最近、外の世界は俄かに騒がしくなっていた。

 魔術協会とその他の国の対立が激化し、戦争が起きそうな気配が高まって来たのだ。

 けれども僕等にとってはそんな事より、もっとずっと深刻な出来事が起きる。

 師匠であり、恩人であり、僕とベラにとっての召喚主でもあるグラモンさんが倒れたのだ。


 実の所、以前から兆候はあった。

 グラモンさんの発する生命力が少しずつ、しかし明らかに減少していってたから。

 でも僕はそれを深刻な事だと思わず、或いは深刻だと思いたくなかったのだろう。

 だってグラモンさんは凄腕の魔術師なのだ。

 彼なら自分の命くらいはどうにでもなると、気軽にそう信じてた。

 だけど現実はそうじゃない。


 倒れたグラモンさんを前に、僕とベラが頼ったのはアニーである。

 こんな時に頼れる知り合いは、僕等には他に居ないから。

 すぐさま駆け付けてくれたアニーには幾ら感謝しても足りないけれど、でも彼女から告げられた言葉は残酷だった。

 グラモンさんが倒れた理由は病気じゃなくて加齢、つまり寿命が間近に迫ったからだとアニーは言う。

 病気なら何とでもなったのだ。

 一般人なら兎も角、この塔には魔術や魔法の使い手が居る。

 並の病気ならば克服は別に難しい事じゃない。

 けれども尽きそうになっている寿命を何とかするには、方法は二つしかなかった。

 即ち、命の水や神の酒とも言われる幻の霊薬を飲んで身体を若返らせるか、或いは人間を止めるかだ。


 その話を聞いた時、僕は激しく安堵した。

 だって助かる方法が二つもあるのだ。

 確かに霊薬を見付ける難易度は高いだろうが、門の魔法を用いれば大陸各地を探索出来るし、ベラと僕なら並大抵の遺跡は踏破も簡単である。

 裏の市場にでも流れているなら、財力に物を言わせるのも良いだろう。

 或いはグラモンさんが望むなら、人間を止める手伝いをしたって良い。

 何といっても僕は悪魔なのだ。その手の力はこの身の奥に宿っている。

 悪魔を生み出す事は、悪魔を統べるその王にしかできないって聞いたけれど、僕には何故か、今ならそれができるって確信があった。



 ……なのに、グラモンさんはその二つの方法、どちらにも首を横に振った。


 彼は言う。もう十分に満足したと。

 僕が来て、ベラが来て、賑やかになったこの塔で過ごせて幸せだったと。

 そして、だからこの魂を譲り渡すと、グラモンさんは僕にそう告げる。


 何でそんな事を言うんだろう。

 僕の目からは熱い物が溢れそうになってる。

 悪魔でも泣けるのだと、僕はこの時、初めて知った。

 死を間近に、僕はあんなにも死にたくなくて悪魔に縋ったのに、何でグラモンさんは生きる事を諦められるのか。

 悪魔に魂を渡せば、人間として転生する事も叶わなくなると教えてくれたのはグラモンさんなのに、何でそれを僕に渡そうとするのか。

 納得出来ない。

 もういっそ、勝手にグラモンさんを人間でなくしてしまおうと、そんな風に考えた時だった。

 僕の身体は突然動かなくなり、激しい痛みが襲い掛かる。


 嗚呼、これは契約の効果だ。

 僕は召喚時の契約により、グラモンさんに危害を加える事は出来ない。

 ……つまり僕がしようと考えた事は、グラモンさんに害を与える行いになるのか。

 ただ僕は、グラモンさんにまだ生きていて欲しいだけなのに。

 哀しくて、哀しくて、僕の身体から力が抜けた。



「良いんじゃよ。私は今が一番幸せじゃ。レプトがこの塔に来てから少しずつ幸せは増して行ったからの。だから幸せなまま眠りに付きたいんじゃ」

 力無く、でも優しく笑うグラモンさんに、僕は何も言えなかった。

 彼はもうそうすると決めてしまっているのだ。

 僕じゃもう、その意思には介入出来ない。

「ベラ、良く塔を守ってくれた。お前の御蔭で私は安心して過ごせたわい。だがもう一働きしても構わないと思ってくれるなら、契約をレプトに譲って構わんかの?」

 ベラも哀しそうにクンクンと鳴くが、それでも彼女は首を縦に振る。

 グラモンさんはベラの頭を一つずつ撫でて、そして僕の方を向く。


「レプト、元人間のお前は、その心根が悪魔に全く向いておらん。だからこそ、私の魂を受け取るのじゃ。そうして力を増せば、不利益な契約からも身を守る事も出来ようて。……私が遺せる物はもうそれくらいしかないからの」

 再度、グラモンさんが僕に魂を譲り渡すと言って来た。

 悪魔に向いていない自覚はある。

 次の召喚者がグラモンさんのように優しい人だって保証もないし、寧ろグラモンさんが数少ない例外なのだと、これでもかってくらいにわかってるのだ。

 でもグラモンさんが自分の意思を曲げないのなら、僕だって自分の意思を曲げたりしない。

「嫌だ。僕が魂を受け取ったら、僕はその為にこの塔で過ごした事になる。この塔での生活が嘘になる。それは嫌だ。幸せで、幸せが増えて行ったのは僕も同じ、だから最初に交わした契約以上の物は、僕は絶対に受け取らない」

 だから僕は、首を横に振る。



 ……。

 長い沈黙の末、グラモンさんは僕の言葉に溜息を吐いた。

「本当に、レプトは悪魔に向いておらんの。……是非もない。だが私は、そんなお前さんと過ごせたことが何より嬉しいわい」

 そしてグラモンさんは、自分の手の小指を見詰める。

 僕とグラモンさんの契約では、彼の死後、僕はあの小指を受け取るのだ。

「悪魔レプトよ、召喚者グラモン・パッフェルは新たな契約を望む。私はこの小指に残る命と魔力を込めてお前に渡そう。この塔の全てもおまけじゃ。だから私が次に転生した時、私が危機に陥ったなら、その力で救って欲しい」

 伸ばされた手、伸ばされた小指に、僕は自分の小指を絡める。

 そう、指きりの形だ。

 新しい契約、約束を交わすのに、僕が知る限りでは最もふさわしい形。

 違う世界の人間であるグラモンさんはその意味を知らないだろうけど、でも僕の意図は伝わった。


 ……別れの時だ。

 グラモンさんは、この小指に残る命と魔力を込めると言った。

 グラモンさんは、今が一番幸せだと言った。

 だから、今この時、彼は逝こうとしている。


 グラモンさんの輪郭が崩れて行く、絡めた小指を除く彼の身体が、少しずつ塵になって行く。

「何時か必ず」

 崩れかかったグラモンさんの言葉に僕は頷いた。

 そう、何時か必ず。

 僕は悪魔なのだ。契約は守るし、その時を待つ身体も持っている。

「また会いましょう、グラモンさん」

 その言葉を聞いて笑みを浮かべたグラモンさんの身体が完全に崩れ去る。


 最後に、残った小指を胸に抱き、僕は大声で泣いた。



「……ベラ、出来るだけ早く喚ぶから、次も宜しくね」

 塔の全てを収納し、跡地で僕はベラを抱きしめる。

 ベラは心配げに僕に顔を擦り付けて来るが、名残を惜しむ時間は少ない。

 召喚者であるグラモンさんを失った以上は、僕はこの世界に残れないし、それは僕に契約を譲渡されたベラも同様だ。

 恐らく明日、この場所に来て驚き、そして心配するであろうアニーへの手紙を残し、僕は世界を退去する。

 僕は、嗚呼、この世界に来れて本当に幸せだった。

 夜空に浮かぶ七つの月が、薄れて行く僕の姿を最後まで照らし続けてた。


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