62 悪魔は集う
「ふぅん、成る程、そんな事になってたのね」
僕の入れたお茶を口に含み、女悪魔、アニスは納得した様に頷く。
此の世界、僕が知る現代日本とは少しだけ違う、でも良く似た日本に召喚されてから、一ヶ月が経っていた。
今の僕と巧の住処は、巧の叔父である良治に用意させた、二人で暮らすには大き過ぎる一軒家だ。
そして僕自身も、普段よりは少しだけ年齢を重ねた、成人男性の姿を取っている。
良治は、再び眠った巧を抱えた僕が彼の屋敷を訪れ、そして顔を合わせた瞬間に舌打ちをしたので即座に暗示を掛けて洗脳した。
消してしまいたい衝動は多少あったが、巧の未来の為にも、今は良治が存在してくれて居た方が都合は良い。
僕がこの世界で伝手を得て、社会的にも巧を守れるようになったなら良治は不要となるけれど……、まあ其れは其の時に考えよう。
安全の為に暗示以外にももう一つ、良治には呪いも掛けておく。
僕や巧に害意を抱けばその心臓に負荷がかかり、害意の程度が余りにも強ければ心臓は破裂する。
そんな極々ありふれた呪いだが、此れなら万一暗示が解けた際にも、僕や巧に向けた殺意で良治は自らを殺す。
我ながら非道な手を取っているとは思うけれども、巧の安全には変えられない。
「私達も、此の世界に来た方が良い?」
アニスの問いに、僕は首を傾げて少しだけ悩む。
ベラが居れば、僕が巧から離れる事が出来る為、活動範囲は飛躍的に広がる。
ピスカは、此の世界での情報収集に大いに活躍してくれるだろう。
ヴィラがサポートしてくれるなら、僕の能力は飛躍的に向上するのだ。
そしてアニスは、元人間の、子育て経験のある女性として、巧の成長に良い影響を齎してくれると思われた。
……とても悩ましい。
「今は未だ良いかな……。此の世界って皆の容姿は酷く目立つんだ。男一人で育てるよりは、皆が居てくれた方が良いとは思うんだけど、ね」
ソファーで昼寝をする巧に、僕はちらりと視線を送る。
この一ヶ月で、否、最初から、巧は僕に凄く懐いていた。
多分僕も感じてる繋がりを、同様に巧も感じてるのだろう。
でもだからって、僕とだけ過ごせば良いって訳では、決してない。
「そうね、でも目立たない様にって考えるなら、外向けにも母親役は居た方が良いわね。なら私は一度戻って、ヴィラと容姿を弄る練習をして来るわ。でもベラちゃんもグラモンさん……、巧君とは会いたがると思うけど?」
確かにヴィラのサポートがあれば、既に高位悪魔となったアニスなら多少容姿を弄る位は直ぐに可能になる。
アニスの申し出は、正直とても有り難かった。
遠縁の親戚が男手一つで育てていると言うよりも、子供の居ない若い親戚夫婦に引き取られたって話の方が、周囲にだってずっと受け入れられ易い筈。
問題があるとすれば、僕がアニスと夫婦役をするのが少し気恥しい事位だ。
そして確かに、ベラはこの話を聞けばグラモンさんの生まれ変わりである巧との再会を望むだろう。
僕も、ベラは巧に会う権利があると思ってる。
僕と、ベラと、グラモンさんで、あの七つの月の世界で一緒に暮らしてた時、僕等はきっと家族だったから。
「犬に変身出来る様になったら呼ぶって伝えて貰えるかな?」
僕の言葉に、その意図を理解したのであろうアニスは苦笑いを浮かべて頷いた。
ベラならその気になって練習をすれば、直ぐに変身は身に付けるだろう。
彼女は戦闘に関係する事以外の鍛錬は厭うが、しかし一度必要だと認識した事柄の習得は異常に早い。
故に犬にだけでなく人間への変身だって、巧、グラモンさんの生まれ変わりとの再会を餌にすれば熱心に練習する筈だった。
では何故僕が、敢えて犬への変身に限定したのかと言えば、……ベラは多分人間の姿に変身しても服を着てくれなさそうだからである。
そんな状態で巧に会わせるのは、彼の教育に酷く悪いし、何ならそのまま散歩にでも行かれてしまえば、もうこの辺りには住めなくなること請け合いだ。
「きっとベラちゃんも喜ぶわね。そうね、後は私の変身の参考に、巧君のご両親の写真があれば見せてくれないかしら?」
そんな風にアニスが言い、少しずつ僕等の今後が決まって行く。
皆が変身の技術を向上させてくれるなら、呼び寄せる事に大きな問題は無い。
ヴィラも住み込みの家政婦って事に出来るし、そもそもピスカは人間に見つかる様なヘマはしない筈。
皆が居れば、僕も巧も、きっとより楽しく過ごせるだろう。
全員が一度に此の世界に押し寄せると、元からの知り合いで無い巧が疎外感を感じるだろうから、一人ずつ順番にだけど。
「大体はそんな感じでOKね。じゃあ今後暫くは、レプト君と私は夫婦ね。よろしく、アナタ」
話し合いの最後に、アニスはそう言って悪戯っぽく笑い、スッと魔界に向かって転移した。
僕はその不意打ちに、急に襲ってきた恥ずかしさに顔を抑えて……、大きく息を吐いて気持ちを整える。
……もしかしたら僕の最大の弱点は、戦い下手じゃなくて恋愛経験の乏しさなのだろうかとさえ思う。
そして本当に、自分でもどうかと思うのだけれど、其の時僕の脳裏を過ぎったのは、以前僕に恋心を打ち明けてくれた一人の女性。
イーシャの事だった。
だから、この暫く後に僕を襲う出来事は、或いは其の罰だったのかも知れない。




