42 黒の剣士と派遣の悪魔
黒い革鎧に身を包んだ、鋭い眼差しの男と僕は相対する。
男の腰に吊るされるのは、刀。
それも日本刀の類じゃなく、僕の知識ではシャムシールとかシミターって名前の、三日月刀だ。
そう、今回の派遣召喚の召喚主は彼……、ではなく彼の師、邪剣士バスタール。
僕は今からそのバスタールの依頼で、彼の弟子である目の前の彼、黒の剣士ラスターと戦う事になっていた。
全く以って僕向きではない派遣召喚だけれども、引き受けた以上は受注した悪魔王グラーゼンの派閥の評判を落とさぬ様に努めねばならない。
「では今日はよろしっ?!」
礼儀として先ずは挨拶をと思った瞬間、僕の喉は裂かれ、言葉の代わりにひゅっと空気が漏れる。
驚きに目を見開けば、何時の間にかラスターは僕の間近に立っていて、そして僕の視界に升目が走った。
いや、違う。
僕の目が、身体が細切れに寸断されたから、視界がバラバラになっただけだ。
「……ぬるい」
僕を斬ったラスターは、その言葉だけを残して何時の間にか元の位置へと戻っていた。
成る程、確かに彼は本当に、紛れもなく剣の天才である。
……僕がこの、あまり僕向きでない派遣召喚を受ける事になったのは、
「友もそろそろ、己の苦手に向き合った方が良いかも知れんな」
悪魔王グラーゼンの一言が切っ掛けだった。
僕の苦手は色々あるが、この場合はまあ間違いなく戦闘、それも特に近接戦闘の事を指している。
本当に、何処までこの友人は鋭いのだろうか。
つい先日、僕はヴィラとその苦手分野である戦闘への対策を講じ、あまり良い結果が出せなかったばかりだと言うのに。
頷く僕に、笑みを浮かべたグラーゼンが勧めて来たのが、この邪剣士バスタールからの召喚だった。
何でもこのバスタールが受け継ぐ邪剣術は代々、習得の際には師がグラーゼン派閥の悪魔を召喚して、弟子と戦わせて来たそうだ。
グラーゼン派閥から回される派遣召喚は、師が弟子に何かをってパターンが結構多いけど、僕はこの話を聞いて少し納得する。
確かに師が弟子の為に悪魔を召喚する事が慣習化されていたら、定期的に召喚需要が発生するだろう。
恐らくはそうなる様にグラーゼンが仕向けて、その慣習が出来たのだ。
まあさて置き、バスタールの受け継いだ邪剣術は、呪われた武具の力を引き出して身に纏う邪道の剣術らしい。
そして邪剣術の習得の際には、死の間際に追い込まれる事が必要だとか。
勿論その死の間際に追い込むのは、師の召喚する悪魔である。
絶大な敵を前に、状況を打破する力を得る為に、弟子は精神力で抑え込んでる武具の呪いに身を任せて一度狂う。
けれどもその狂った状態から自力で戻って来れたならば、呪われた武具の力を引き出して身に纏う邪剣術を習得出来るのだそうだ。
人間って凄いね。
取り敢えずそんな剣術を最初に考えた開祖は間違いなく馬鹿だろう。
そんな物を代々受け継いでる連中も同じくだ。
この世界では他の追随を許さぬ最強の剣術らしいが、そんな事までしてて負ける様なら逆に驚く。
しかし今回、バスタールの弟子のラスターが邪剣術の習得に挑戦するにあたって一つ困った事態が発生する。
ラスターは今までの邪剣術の歴史の中でも最も優れているとさえ言われる男で、呪いを抑え込む精神力もさる事ながら、特に剣才が飛び抜けていた。
そう、並の悪魔では絶望的な脅威にならず、ラスターを死の間際まで追い込めない程に。
最初は大袈裟だなあなんて思っていたけど、実際に切られてみて実感した。
こんな一瞬で細切れにされたら、下位や、下手をすれば中位の悪魔でも、現界した肉体を破壊されたと認識して、魔界に帰還しかねない。
使用武器が呪われている為に多少のダメージが入るのも、肉体破壊の認識を強める要因だ。
中位クラスの悪魔に勝てるのは、聖剣の加護を受けた勇者とかくらいだと思ってたけれども、こんな桁外れの人間も居るのだと、思わず感心してしまう。
人間って本当に凄い。
まぁ高位悪魔に分類される僕ならこの程度なら、まだ大丈夫なのだが。
細切れになった身体を即座に繋ぎ合わせ、僕は魔法を一つ発動させた。
と言っても攻撃魔法なんかじゃない。
多分そんな事はない筈だけど、この黒の剣士、ラスターならもしかしたら魔法も細切れにしそうで怖いし。
もしそんな光景を見てしまったら、流石の僕も少し心にダメージを受けるだろう。
身体を繋ぎ合わせた僕を見て、ラスターはほんの少し眉を顰める。
面倒だと感じたのか、自分が敵を屠り損ねた事が不満だったのかは不明だが、スッと再びラスターの姿が僕の眼前に現れた。
目にも止まらぬ速さだが、でもその速さは先程、既に体験済みだ。
ガキンと硬質の音を響かせ、僕の爪がラスターの剣を弾く。
驚愕に顔を歪めるラスターだが、されど攻撃の手は休めず……、結果二度、三度と僕の爪がラスターの剣にぶつかって火花が散る。
ラスターの驚きの表情が、戦意に満ちた物へと変わり、彼は大きく後ろへ飛ぶ。
そして飛び退るラスターが剣を振ると、僕の喉が再びぱっくりと裂けた。
……飛ぶ剣閃。
これはまだ見ていなかったのだから仕方ない。
でもこの程度の傷は僕にとっては何の意味も無く、この攻撃も一度見た。
だから続く剣閃は、僕の爪によって阻まれる。
ちなみに、当然だけど本来僕にこんな動きは出来やしない。
例え切られた傍から修復出来ても、相手が疲労で動けなくなるまで粘れるだけだ。
防ぐなんて出来る筈は無かった。
なら今起きて居る現象が何なのかと言えば、これこそが先程使った魔法の効果。
先日、ヴィラと講じた戦闘への対策の効果である。
まぁ尤もその効果は完全とは言えず、多少のリスクも孕む未完成の魔法だけれども。
この魔法の正体は、元AIであるヴィラの組んだ、戦闘用プログラムに身体を任せる魔法だ。
発動中は僕の肉体は完全に戦闘用プログラムの支配下に置かれ、僕の意思とは無関係に動く。
そしてこの戦闘用プログラムは一度見た相手の攻撃を分析、理解し、即座に対応出来る様に自己進化を行う。
では何故この魔法を未完成だと思うのかと言えば、僕とヴィラはそれぞれ一つずつ違う点を問題視している。
僕が思うこの魔法の問題点は、戦闘用プログラムを走らせる為に魔法を使用し続ける関係上、攻撃魔法や防御魔法の使用が出来ない。
身体強化や反応強化等の常時発動の魔法は一緒に組み込めたのだが、その都度発動するタイプの魔法は一切使用が不可能だった。
この魔法の停止にも一呼吸以上の時間は必要となるので、咄嗟の切り替えにも難がある。
一方ヴィラが問題視するのは、敵の攻撃に対応する為に行う自己進化の部分だ。
状況を判断し、攻撃を分析し、その意味を理解し、自己進化するプログラムは、つまり人工知能、AIと言えるだろう。
ヴィラは以前、自分が創造者である人類に反旗を翻したAIだった事から、この魔法が走らせる戦闘用プログラムが進化し、意思を持って僕を乗っ取りやしないかと心配しているらしい。
僕もその可能性は皆無じゃないと思うが、でも例え自我を持ったとしても、そうならない可能性だって充分にある。
いや寧ろそうならない可能性の方がずっと高い筈だ。
ヴィラが構築し、僕の中で学習して育ったAIなら、先ず最初の一手は確実に対話を選ぶ。
その時に自由に動ける身体を望むなら、新たに作ってやれば良い。
だから僕はリスクに関しては然程の心配はしていないのだ。
ラスターが新たな攻撃を行っては僕の身体が傷付き、でもその一撃以降は対応して防ぐ展開が続いていたが、もうそろそろ良いだろう。
どうやらラスターも攻撃手段が尽きて来ていた。
僕は防御一辺倒だった戦闘プログラムに、新たな目標を設定して指示を出す。
『攻撃対象:黒の剣士ラスター。注意事項:殺害せずに追い詰める事』
そしてその指示を出した瞬間から、互いの攻防はまるっきり引っ繰り返る。
多分ラスターにとっては悪夢のような時間だっただろう。
全ての攻撃に対応され、攻防が入れ替わり、今度は防御パターンも学習されて行く。
無論天賦の才の上に努力を積み重ねたラスターの技量が、戦闘用プログラムに即座に上回られている訳じゃない。
だがそもそも、身体能力や反応速度は悪魔の肉体を魔法で強化した僕の方が圧倒的に上なのだ。
それ等が十全に活かされ、更に相手の動きを学習したなら、例え技量で劣ろうと圧倒する事は可能だった。
戦闘用プログラムによって振るわれた僕の爪が、ラスターの革鎧を引き裂いて、彼の胸を傷付ける。
遂に防御を突破した。
ラスターの顔色は既に真っ青だ。
彼も既に理解しているのだろう。
これから先の攻撃は、全て防御をすり抜けて、ラスターの肉体を傷つける事を。
そう、それを理解してしまったなら、今居るその場所こそが、ラスターにとっての死の縁だった。
戦闘用プログラムが次の攻撃を繰り出そうとした時、僕は思わず魔法の停止準備に入る。
この魔法は僕の肉体の支配権を完全に戦闘用プログラムに譲り渡す為、魔法の停止に一呼吸と少しばかりの時間が掛かってしまう。
爪がラスターの肉体に届いた瞬間、戻ってきた肉体の支配権に僕は思い切り後ろに飛んだ。
噴き出した血飛沫すらを飲み込んで、剣や防具から浸み出した黒い影が彼を覆う。
「Gaaaaaaaaa!!!」
その声はもう人間の物じゃ無くて、獣の咆哮にしか聞こえない。
僕は防御魔法を展開しながら、この日何度目かの感想を抱く。
本当に人間って凄いな!
狂気に身を委ねてるせいだろうか、呪いの武具の力が滅茶苦茶に増幅されて、中位悪魔並の出力を出していた。
あの状態の彼の攻撃を受けたなら、多分僕でも結構痛い。
繊細な剣技は失われただろうから、早々喰らう事は無いだろうけど、でももしあの剣技と今の力を兼ね備えたなら……。
それこそ遠距離から周辺ごと吹き飛ばす位しないと危険な相手だ。
他の追随を許さない世界最強の剣術って謳い文句も当然だろう。
多分暴走状態が収まれば、もっと出力は落ちるのだろうけど、でも人間としては破格も破格である。
全てはちゃんと彼が自我を取り戻したらの話であるけれど。
まあ、でも、この状態に追い込んだ事で僕の仕事は完了した。
ラスターの未来はほんの少し気になるけれど、所詮はほんの少しである。
あんな怖いのは相手し続けるのもしんどいし、取り敢えず次の攻撃を防いだら、それに紛れてもう帰ろうと思う。




