19 悪魔王と派遣の悪魔
イーシャの世界を退去し、自分の固有魔界に帰還してから少しの時が流れた。
否、固有魔界だと時間の流れが良くわからないので、もしかしたら大きく時が過ぎたのかも知れないし、まだ一瞬なのかも知れない。
どちらにせよ、最近僕は少し困った状態になっている。
と言うのも、悪魔は自分を召喚した者と繋がりが出来る為、彼等の影響を受けてしまうのだ。
別に悪い事ではなく、それはある意味で成長とも言えるだろう。
数多くの人間に召喚された経験があれば、そこに一人追加された所で然程は揺るがなくなるが、逆に召喚された経験に乏しいと影響は大きい。
僕は元のベースが人間なので多少マシだが、例えば生まれたての悪魔が悪人に召喚されれば、その存在は悪に大きく傾く。
悪魔の癖に何を言ってると言われるかも知れないが、悪魔にだって振れ幅も個性も色々とある。
つまり何が言いたいのかと言えば、イーシャから受けた影響が結構辛いのだ。
最初の召喚者であるグラモンさんは、大分枯れたお年寄りで、日向で大きく育った巨木の様な人だったから、受けた影響は穏やかだった。
でもイーシャは丁度思春期の辺りから花開くまでを一緒に過ごしたし、向けて来る感情も大分強烈だったので、僕の揺さぶられ方もまた激しい。
何よりも、女の子にもそう言った欲求はあるんだなってのを思い知らされた状態である。
つまり僕が受けた影響の一つに、性的な欲求が存在するのだ。
そうなると当然、あそこまで迫られて何もしなかったのは勿体なかったなんて考えが脳裏を過ぎり、そんな思考で思い出を汚す自分に自己嫌悪してしまう。
以前の枯れてた自分が少し懐かしい。
特に固有魔界ではする事が乏しく、どうしても己の内面をついつい眺めてしまいがちになるので、僕は自分の感情を持て余す。
しかしそんな僕を救ったのは、そんな事はあり得ないと思っていた、固有魔界への来訪者だった。
ある日、イーシャの世界で聖堂に落とした雷魔法をもっと効率化出来ないかと模索していた僕の前に、不意に一人の男……、男かな?が現れる。
固有魔界の中は、謂わば僕の体内みたいな場所で、そこに見知らぬ人が現れた事の衝撃と、何よりもその現れた人物の美しさに僕は暫し茫然としてしまう。
……美しいと言う表現が正しいのかはわからない。
だが僕の中にある語彙では、その存在を表現する事が出来ないのだ。
壮麗で、神聖で、邪悪で、暖かく、冷たく、激しく、静かで、虚無の如く、されど煮え滾るマグマのようでもあり、全てを感じさせるのが、目の前の彼だった。
或いは人間だった頃の僕なら、彼を見ただけで消し飛んでいたかも知れない。
そしてそんな彼は、茫然とする僕に微笑み、問うた。
「君、すまない。この魔界は我が友の領域だったと思うのだが、我が友は何処へ? そして君は誰だろうか」
問うた彼は、その問い掛けと存在に混乱する僕をじっと待つ。
ただ優しく微笑みながら。
どのくらい待たせてしまったのだろう、漸く落ち着いた僕は、彼の言う友に思い当たった。
僕に悪魔としての命をくれた人、人って言うか悪魔だけど、そう、儂さんである。
「失礼をしました。多分その友って人の話は少し長くなるので、良ければお茶を入れますけど、飲んで話をしませんか?」
だから少しだけ勇気を出して、僕はその来訪者をお茶に誘う。
「……ふむ、素晴らしい。そして不思議だな。私はこれと全く同じ物を無から生み出せるが、しかし自分で生み出した物を口にしたとしても、この感動は得られないだろう」
彼は僕の入れたお茶を優雅に口に含み、コクリと飲んでからそう言った。
別段作法が素晴らしい訳ではないのに、彼の所作は実に優雅に見える。
だが言ってる内容は実に超常存在らしいものだ。
「他人の手が入れた物だからですね。以前の召喚主は、魔術で自分が出した水を飲んでも喉を潤す以上の意味はなく、自然の水を取り込む事で成長すると言ってました」
僕もお茶を口に含む。
このお茶を入れた水は、イーシャの世界のあの湖の水を、魔法で浄化した物だ。
折角なので大量に採取し、劣化を防いで収納してある。
「成る程、面白いな、新しい友よ。しかしそうか、かつての友はもう居ないのか」
彼の呟きはとても寂し気な物だった。
僕は儂さんがこの身体をくれた経緯を語り、代わりに彼は儂さんがどんな存在だったかを教えてくれる。
驚いた事に、儂さんは単なる悪魔ではなく、高名な悪魔王だったらしい。
と言うより自分固有の魔界は単なる悪魔には持てず、悪魔王のみが所有するとの事だった。
普通の悪魔は己を生み出した悪魔王の魔界に住まうそうだ。
だから悪魔王グリモルこそが儂さんの正式な名前で、そんな儂さんを友と呼ぶ目の前の彼は、同じく悪魔王グラーゼンと名乗る。
ちょっと驚きだったけど、儂さんが凄い悪魔である事は薄々想像出来てたし、目の前の彼、グラーゼンが凄いのも一目瞭然なので、寧ろ当然かなと思う。
隣の悪魔王とのお茶会は続き、蜂蜜菓子を一つ摘まんで口に入れた彼、グラーゼンは満足げに微笑む。
「新しい友よ。君は面白い存在だ。単なる悪魔とも、悪魔王とも違う。私は君が気に入った」
お茶とお菓子で悪魔王に気に入られるって、何だか安上がりだなあって気はしなくもない。
けれど僕にとってもグラーゼンとの話は楽しく、良い気分転換になっていた。
そして更に、彼は僕にある提案をする。
「だが友よ。今の君は少しばかり力が弱すぎる。今のままでは他の悪魔王に目を付けられれば、簡単に滅ぼされかねないな。そこで一つ提案があるのだが……」
少し言葉を選びながら切り出されたグラーゼンの提案は、わかり易く言葉を噛み砕いて言えば業務の下請けであった。
僕のような中級悪魔が単独で待っていても、召喚は極偶にしか掛からない。
何故なら名が知られていない為、相性の良い召喚主が対象を定めずに悪魔を呼ぶのを、ただ待つだけになるからだ。
逆に言えば名が知られてないからこそ、グラモンさんやイーシャの様に相性が良い人からの召喚ばかりを受けれていたとも言う。
しかしそれ待つだけでは、当然ながら僕の力が上昇するには多大な時間が掛かる。
そこでグラーゼンは僕に、彼の所へ舞い込む雑多な召喚の一部、対価が固定された短期間の契約を回してくれるとの事だった。
もちろん僕に出来る範囲で構わないので、相性の良い人間に召喚で呼び出されている際は、別に引き受けなくても構わない。
そしてこの話を受ける最大のメリットは、グラーゼンから回された召喚を引き受けているという事は、その庇護を受けて居る悪魔だと周囲にわかり易く示せる。
グラーゼンという後ろ盾の存在は、僕に対する手出しを抑止する助けになるだろう。
正に至れり尽くせりの提案だった。
この話を断る理由は、特にない。
だって僕は何よりも、他の悪魔に滅ぼされたくないから。
他にもグラーゼンとは色々な話、特に僕が召喚された際の話をしたが、彼はとても楽しそうに聞いてくれる。
またグラーゼンからは悪魔として、悪魔王として活動する為のレクチャーも受けたが、その中に配下の生み方があった。
召喚主から得た対価を使って生み出すと言うので、今の僕は躊躇ってしまうが、そのうち試してみるとしよう。
他にも僕と縁が深い存在であるベラ等は、その身を悪魔に変じて貰えば、この魔界にだって住めるらしい。
これは次に会った時に、ベラに直接問うべき案件だ。
僕にとっては得られたのが有り難い知識ばかりで、逆にグラーゼンに返せる物が何もないのだが、
「気にするな友よ。またお茶を御馳走して話を聞かせてくれれば、それで構わない」
なんて風に彼は言った。
その言葉に感謝して、先ずは彼の名を穢さぬように立派に派遣を務めようか。




