147 とある狐とお姫様2
恐らくいきなりこんな事を言われても、理解は追い付かないだろう。
しかしそれでも彼女には、日和姫には選んで貰わなければならない。
それが僕と、今回の召喚主である狐との間に交わされた契約にして、賭けだった。
「さぁ、日和姫、君が決めるんだ。君は僕にどうして欲しい?」
そう、僕は問う。
僕と狐の間に交わされた賭けの内容は、日和姫が自らの口で助けを求められるかどうか。
この東州と呼ばれる場所では、女性が自らの意思を発する事はあまりない。
より正確に言えば、そうすべきでない、そうするのははしたない行いだと、教育を受けるそうだ。
女性は男性に庇護され、従い、当主を支えて家内を守る物だと教えられていた。
だから日和姫が僕の問いにキチンと決断を下して尚且つ言葉に出来るかが賭けになる。
そもそも僕を疑い、恐れ、立ち去れと発する様なら論外で、何も言えないままでも失格だ。
僕はこのまま魔界に帰るだろう。
狐から受け取った力は、まぁ賭けの対価として戴いて行く。
でも日和姫がちゃんと救いを求めたなら、僕はそれに応えよう。
例え狐から受け取った力では、鬼の王や軍勢を相手にするのに対価として足りずとも、賭けに負けたのなら仕方がないと言い訳をしながら。
多分狐は、今、祈るような気持ちで祠の中から日和姫を見詰めているだろう。
また僕も、実は同じ気持ちだった。
だって元より、鬼に狙われる少女なんて、出来る事なら助けてやりたいと思ってる。
しかも今の僕は召喚主である狐に影響されて、少しばかり日和姫に対して好意的だ。
故に、どうかその口から、願いを聞かせて欲しい。
「……皆を、どうか父様や母様や、城の皆を、お助け下さい」
そして小さく、けれどもハッキリと、その言葉は紡がれる。
それも自分が狙われている状況で、先に父母や戦っている兵等を助けて欲しいなんて言葉が出て来るとは、あぁ、とても良い子だ。
今、狐はさぞや誇らしい気持ちで、どや顔をしている事だろう。
なら仕方ない。
対価は少々足りないが、きっちりと面倒を見ようじゃないか。
「お安い御用さ」
僕は自然と湧き上がる笑みを浮かべ、彼女に対してそう告げた。
助けるべきこの城の人間は、外で戦う兵等も含めて三千四百十七名。
僕は指をバチリと鳴らし、その全てに保護の障壁を、ついでに怪我人には癒しの魔法を発動させる。
でもこの障壁は、鬼の攻撃から人間を守る物じゃあない。
まぁそれ等に対しても有効だが、障壁が彼等を守るのは、もっともっと怖い物からだ。
そうして皆が障壁で守られてから、僕は極々僅かだけに絞っていた悪魔の気配を、もう少しばかり開放する。
そう、障壁が皆を守るのは、解放する僕の気配からだった。
普通の人間にとって、強過ぎる悪魔の気は劇物だろう。
ましてや悪魔王の気配ともなれば、心臓が止まる程度では済まずに身体が消し飛んでしまいかねない。
それ故に僕はわざわざ障壁で皆を保護してから、自分の気配を解放し、
「この城を攻める鬼に告げる。日和姫の身は、悪魔王レプトが保護している。畏れを知る心があるなら退くと良い。この場は特別に見逃してあげよう」
魔法で拡大した声を、城攻めの戦場にばら撒く。
障壁の保護を受けた城の兵は兎も角、鬼達はまともに僕の気配を浴びる。
雑兵として攻め込んで来て居る餓鬼、一万一千三十八匹は、その大半がそれだけで倒れた。
牛鬼八百七十一匹は、流石に気配のみで倒れた個体は僅かだが、それでも理解出来ぬ畏れにパニックに陥り、大慌てで四方八方に逃げ惑う。
だけど指揮官である牛頭二十匹、馬頭二十匹は流石で、自分達の手に負えぬ事態になったと理解するや否や、即座に周囲に撤退の命令を下して北方への撤退を始めた。
実に正しく見事な判断だと思う。
予期せぬ相手、それも勝ち目のない相手に遭遇した時、即座に撤退の判断を下せる者は、実は少ない。
大抵は迷ってしまう物だが、その迷いこそが時に大きな被害を生む。
だから僕は是非あの牛頭と馬頭達の事は褒め称えたいと思うのだけれど、残念ながら今の僕と彼等は敵対関係だ。
素直に撤退してくれたから、彼等の住処はこれで知れた。
これまでのパターンだと次はまた一ヶ月後、満月の夜に何らかのアクションを起こすのだろうが、生憎と今回の僕にはそれをのんびりと待つ余裕はない。
城の者達は脅威が去った事を喜びながらも、僕を畏れて警戒している。
このまま一ヶ月、この城に僕が居座れば、まぁ面倒事も色々と起きてしまうだろう。
故に僕は日和姫を手招きし、遠い北の山を指で示した後、
「ちょっとお願いなんだけど、日和姫。焼いてって言ってくれないかな?」
彼女にそう頼む。
日和姫は不思議そうに首を傾げたが、一つ頷き、
「焼いて下さい?」
可愛らしい声でそう言った。
そして時枝領から、山が一つ消し飛ぶ。
まぁ、ほら、この場は見逃すと言ったけれど、逃げた後に殲滅しないとは言ってない。
単に多数の鬼を一つ一つ潰すより、本拠ごと纏めて薙ぎ払った方が省エネだったのだ。
それに時枝家にとっても、山一つ消えた位で鬼が全部いなくなるなら、きっと安い物だろう。
鬼の都合は僕は知らない。
何故日和姫を狙ったのかは結局謎のままだけれども、それこそが不運の切っ掛けだったと、鬼の首魁に気付く暇はあっただろうか。
さてその後の話だが、鬼が消えて憂いのなくなった日和姫は、しかし結局隣領、増地真久の元には嫁がなかった。
狐様に救われた命だから、狐様のお世話が出来なくなる他の土地に行くのは嫌だと、日和姫は精一杯に我儘を言ったらしい。
あの日、あの事態を自分では解決出来なかった時枝七政にはその我儘を説き伏せる言葉はなく、日和姫は家臣の一人に嫁ぐ事で時枝の地に残る。
それから命が尽きるまで、狐の祠を世話し続け、彼女の命が尽きてからはその子孫がやはり祠の世話をして、やがて解放された狐を暖かく迎えたそうだ。
めでたしめでたし、で良いと思う。
収支は割と赤かったけれども。




