#002「腕押し」
「なぁ、茉莉。もう一回!」
「何度やっても同じよ。シツコイ男は嫌われてよ、芳郎くん」
「ただいま。――何をしてるん?」
「お帰り、茜。――腕相撲だよ。全然、茉莉に勝てなくてさ」
「お帰りなさい。――あら、茜ちゃん一人なのね。蒼太くんは?」
「帰りまで一緒に居るのは嫌やからって、自分の買うたものだけ持って、どっかアサッテに」
「自分勝手な奴だな。――冷蔵庫に入れておくものはあるか?」
「ホントよ。迷子になったら一大事なのにねぇ」
「まぁ、店はすぐ近くやし、このへんの道も覚えなアカンと思うてるトコやから。――おおきに。こっちに玉子と牛乳があるんよ。それだけ、入れといて」
「道案内なら、この芋洗坂の右に出るものは無い」
「芳郎くんは、都内の公共交通機関を、あらかた記憶してるのよ」
「あんなゴチャっとした路線図を、よぅ覚えられるもんやわ。特に地下鉄は、格子状の大阪と違うて、迷路かテレビの裏の配線みたい入り組んでる、カオス状態やのに」
「大阪の地下鉄は、八路線。東京の地下鉄は、二社合わせて十三路線」
「アタシは葵くんのマニュアル車を借りられるから、たまにしか利用しないんだけど、通勤通学で利用するには分かりにくいわよね。まぁ、首都高速も分かりやすいものではないけどねぇ」
「非首都圏の人間への嫌がらせかと思うくらい、相互乗り入れで、ジェー・アールや私鉄の電車が走っとったり、先発がこんど、次発がつぎ、次々発がつぎのつぎって書かれとったり、特快やら準特急やら何ちゃらライナーやら、訳の分からんもんが入り組んでるし、油断しとったら、下手しぃ熱海や高尾山まで行ってしまいかねへんし」
「慣れるまで大変なのは分かるけどさ。オイラ、腹減ってるんだけど」
「お腹が空いてるのは、いつものことじゃないの。食いしん坊ね」
「まぁ、愚痴を言うても、お腹の足しにはならへんわな。何か簡単に作るわ。冷蔵庫にキャベツある?」
「あるよ。この業務用冷蔵庫に、無い食材は無い。何たって、四次元空間に繋がってるんだから」
「出鱈目なことを言うんじゃないわよ」
「せやけど、そう豪語したくなるくらい、色んな食材が詰まってるんは事実や。よぅ、これだけのモンをストックしてるもんやわぁ」
「キャベツ、玉子、小麦粉、ベーコン。これで、何を作るんだ?」
「しかも、家にあるものは何でも自由に使って良いってところが、葵くんの懐の深さね」
「ホンマ、助かるわぁ。――お好み焼きを作るんよ。本場、大阪の味を教えたげる」
「お! それは良い」
「ちなみに。関東ではピザ切りすることが多いんだけど、やっぱり許せないものなの?」
「アカンとは言わへんけど、えぇ顔はせぇへんわ。格子状に切らな、コテで食べにくいと思うてまうんよ」
「大阪は格子状で、東京は放射状。交通網と同じだな」
「それなら、ここは郷に従って、格子切りで頂くことにするわ。何か手伝えることはあるかしら?」
「ほんなら、この自然薯を擂ってもらえます?」
「立派な山芋だな。茉莉の腕みたい」
「お黙り。サウスポーをお見舞いするわよ」