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#018「手の内」

「お豆腐屋さんと聞いて、ふと魯迅の小説を思い出したのですが」

「職業病だな。豆腐屋が出て来る小説なんかあったか?」

「『故郷』に、かつて豆腐屋小町と呼ばれた、揚という中年女性が登場します」

「あぁ、そういえば、手袋をかっぱらっていく、陰険なババァが出て来たな」

「当時の中国で、荒廃した農村に生きる女性を風刺した登場人物です」

「当時って、いつだ?」

「二十世紀初頭。ちょうど、二度の世界大戦の戦間期に活動していた小説家です」

「大正から昭和にかけてか?」

「日本では、そうですね。中国は、まだ中華民国と呼ばれていた時代です。清朝のあと、人民共和国になる前ですね」

「コンパスのような脚って表現が無かったか?」

「ありますよ。揚おばさんの纏足姿を表したものですね。清朝では、女性は足が小さいほど美人だとする奇妙な風習が根強く残っていましたから、その名残です」

「中学の頃に、葉山みたいな国語教師に教わってたら、ここまで国語が嫌いにならなかったかもしれない」

「魯迅は、藤野先生という恩師に恵まれたそうですけどね。でも僕が国語教師になったら、余談ばかりで、授業としては成立しそうにありませんよ?」

「良いんだよ。試験の成績を上げる以前に、その教科を好きにならねぇと、どうしようもねぇだろう?」

「そうかもしれませんね。――明かりを消しても良いでしょうか?」

「おぅ、消してくれ。でも、全部は消すなよ」

「はい、はい。間接照明だけは、点けておきますね。お休みなさい」

「お休み。……なぁ、葉山」

「何でしょう? 全部、消しますか?」

「いや、そうじゃない。ダブルの部屋に男二人で泊まってると、あらぬ誤解を招きかねないと思うんだが」

「そうでしょうか? でも、誤解を招いたところで、そもそも偽名ですからねぇ」

「葉山は、そうだけどさぁ」

「心配要りませんよ。ただ、薫さんには、ご迷惑かもしれませんね」

「向こうだって葉山を騙ってるんだから、どっちもどっちだろう。それは、さておき」

「睡眠不足になりますから、もう何も考えないことですよ、蒼太さん。続きは、明日の朝に伺いますから」

「分かった。寝るよ」

「……ねぇ、蒼太さん」

「おい。一分前の発言は、どうした?」

「ふと、日頃の疑念が脳をかすめましてね。蒼太さんは茜さんのことを、どう思っていますか?」

「どうって、別に何とも思っちゃいねぇよ。迷惑で騒々しいとは感じるけどな」

「そうですか。そうだとしたら、茜さんの片想いなんですね」

「ちょっと待て。何か重大な思い違いをしてないか、葉山?」

「僕としては、茜さんは蒼太さんに気があると思っているのですが」

「節穴もいいところだな。しょっちゅう喧嘩してるのを見てるだろうが」

「喧嘩するほど仲が良いと言いますし、何かと蒼太さんのことを気に掛けている様子ですから、てっきり」

「しっかりしてくれよ、葉山」

「ごめんなさい。勘違いだったようですね。忘れてください。――お休みなさい」

「お休み」

  *

――口では笑ってたけど、目は本気だった。意外と嫉妬深いんだなぁ、葉山。


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