vs code: Absorb3
跳躍。
十階以上はある灰の建物よりも高く、ラピスは跳び上がる。
予測は出来る、とサルスは彼女の身体を注視し続けた。
落下と共に大剣を振り下ろす。ただそれだけなのだろう。
避けるは容易く、受けるは困難の一撃。
避ける以外に手はない。
回避した先から、ロードに一太刀入れる。先程のようにロードは二の太刀を振り上げてくるかもしれないが、それよりも早く首を撫で斬ればよい。この暗赤の刃ならば、銀甲冑ごと斬るのは実に易い。
この予測は全て憶測にすぎないが、可能性は高く、かけてみる価値はある。
サルスはそう判断した。
銀騎士が太陽の輝きを浴びつつ落下してくる。目指すはサルスの脳天、両断の剣撃を加えんがために。
サルスは前に跳ぶ。
背後にラピスの落下音を聞き、振り返りつつその背面より首を刎ねんがための太刀を薙ぐ――
「Ab/Im」
ラピスが唱えるは、魔導人形が人と異質である一因とされる符号。
銀甲冑の身体が光る――血塗られたかのように可視化された衝撃波が、今まさに一太刀入れんとしているサルスの身体を吹き飛ばした。
空中で体勢を立て直し、サルスは着地する。
身に纏う、人に対して有毒性を持つ魔導素子を瞬間的に膨張させることにより発生させるその衝撃波は、相手が人であるならば決定打とすらなるだろう。だが、サルスは魔導人形であったために、それは一般的な衝撃波となんら変わらぬものとして終わった。
「衝撃波とは、意外と芸達者じゃの……」
感心したようにクダ様がひとりごちた。
ラピスは漸うと振り返り、再三の構えと共に言った。
「私の身体強化は、あと数分ほどで効果が切れる」
言う必要のないことだ、とサルスは思う。
けれどもラピスは、まるでそれを相手に宣言するのが当然のことであるかのように堂々と、続ける。
「一旦、強化が切れてしまうと、数日間のクールダウンが必要だ。無論、その間は符号が使えず、平凡な人間とそれほど――ほんの少し力が強いだけで他は全て人間と同様の身体能力で過ごさねばならない」
言ったところで、自らが不利になるほかない言葉を、彼女は紡ぎ続ける。
「つまり、私の勝機は、あと数分の間にしかないということだ」
なにがロードをそうさせているのか、とサルスは疑問に思った。
「私はこれから、死に物狂いで向かう。もし、それでも貴様が生き延びられたのならば、――好きに嬲り殺すがいいさ」
言葉の最後あたりから、ロードに笑みが生じているように思えた。
それが何を理由に生じた笑みか、サルスには分からない。早い諦観か、それとも自信の顕れなのか。
「ろぅどの矜持は、どうやら本物のようじゃの。そして筋金入りの阿呆でもある。……ただ、不快ではないがな」
矜持、とクダ様は言う。
矜持、とサルスはもう一度思考の中で繰り返した。
それが、ロードをあそこまで愚かにする要因なのか。
不思議な言葉だ。理解できない単語だ。魔導人形にそのようなモノは、不要ではないのか。
ただ決して、――不快な語句ではない。
「クダ様。俺も、そう思うよ」
サルスはクダ様の言葉に同意を示す。
「じゃろう? ああいう阿呆は、生かしておいても良いのかもしれんの」
そうだな、とサルスは口に出さず心の中で同意した。
「一分を切ってしまった。少し話し過ぎたようだな。ちょっぴり焦っている」
「だから早く始めよう」とラピスは言った。
「やはり阿呆じゃ」と呆れたようにクダ様は言う。それは苦笑だった。
「これから見せるは、――――」
ラピスは大剣を、より強く、握りしめる。そして力の限りの威風を込めて、叫ぶ。
「私の、意地だ!」
そして彼女は駆ける。サルスに向かい、真っ向から走った。
やはりラピスは正面からしか、敵に向かわない。
それしかできないのではない、“それしかしない”のだ。
正々堂々、真っ向勝負。それが、彼女が自らの意思で在らんとする在り方。
彼女の、魔導人形であるラピス・アルゲントゥムが唯一誇る、自らの指針とする矜持。
愚かだ、とサルスは思った。しかし、快い愚かさだとも思った。
ロードの矜持に敬意を払い、サルス自身もまた愚かな行動を、真正面からラピスを迎え撃つことを決めた。
サルスは笑う。
ロードの愚直さに、それに感化された己の滑稽さに。
両者は打ち合う。
正義を宿した銀の刃と、禍を抱えた暗赤の刃。
それらが、互いの存在理由に打ち勝とうとしているかのごとくに、激しく舞う。
ラピスの死に物狂いの剣撃は、重く、速い。
ひとつの剣閃をいなせたかと思えば、微塵の隙もなく次撃が閃く。
不断の連撃だった。目をそらせず、気も抜けない。
意地を、打ち勝たんとする意志を、ラピスはぶつけた。
ラピスの斬り上げを、サルスは力の限りで受け止める。
すぐさまラピスは体勢を立て直し、横に薙ぐ。それを、間一髪でサルスは後方に回避した。
それが最後だった。
ラピスは自ら薙いだ大剣の動きに引っ張られ、体勢を崩す。
そして、
「時間切れ、だ」
と微苦笑をしているかのような声音で言った。
「初めてだよ。負けたのは……全力を出して、敗北を味わったのは……」
それは、敗北を受け入れた、どこか爽やかな声だった。
「私の核は、左胸のところにある」
ラピスは、自らを起動させている魔石を指して、そう言った。
核を破壊されることで初めて、魔導人形はその機能を停止する。人が死ぬように、人形も死ぬ。
「そうか」
短く、サルスは答える。そして大太刀を構え、
ザンッ、とラピスの首を刎ねた。
彼女の首は飛び落ちて、コロリと地面を転がる。遅れて、胴体も空を仰ぐように倒れた。
切り口から、堰を切ったように銀煙が噴出する。それが彼女を動かす、高貴な銀色の魔導素子。
「ラピス様!」
白騎士たちが、ラピスへと駆けよる。
「しっかり、お気を確かに!」
必死になって、白騎士たちはラピスの身体から漏れ出る銀色を止めようとしていた。魔導素子は人体に有害であるのにもかかわらず、彼らは魔導人形のためにその煙を抑えようとしていた。
徒労でしかない、とサルスはその光景を眺めて思う。
手で抑えようとも、布で巻こうとも、魔導人形の中身は出ていく。やがて中身は空になり、幾つかの器官と皮しか残らない。
「兜を、とってくれないか」
生首となったラピスは、白騎士にそう言った。
「はっ!」
返事をし、白騎士の一人がラピスの兜を丁寧な手つきで外す。
中から現れたのは、美しいと形容するほかないような、若い女性だった。その銀糸のような髪が、風に吹かれてさらりと揺れる。
「情けをかけられたのか、私は」
銀色の眼で、ラピスはサルスを見つめた。
「脅威にならない、と判断しただけじゃ」
サルスの代わりに、クダ様がそう答えた。
「いずれ、後悔することになるだろう。私を、今この場で仕留めなかったことを」
「せんわ、貴様は楽勝な相手であるからの」
「いや、する。絶対後悔する」
「せん」
「する」
「貴様に負けるびじょんが、まるで浮かばぬ」
「そうか? 私はもう見つけたぞ。貴様らを殺す百の方法を、百のヴィジョンを」
「嘘つけ」
「ウソではない」
「じゃあひとつ言うてみぃ?」
「……それを言うのは今ではない」
「ほーれ! 嘘じゃ!」
「うぐぐ……!」
クダ様とラピスの子供じみた言い争いを、サルスは黙って聞いていた。
「サルス」
そう言い、ラピスはサルスの方へ瞳を動かす。ラピスの生首からは依然として魔導素子が抜け続け、徐々にしぼみつつあった。ただの人皮へと戻ろうとしていた。
「最後に一つ、答えてほしい――自らの矜持を優先する私は、愚かだったか?」
「ああ。――とても、人形とは思えないぐらいに」
サルスはそう答える。
「人形らしくない、のか。私は。……中々、悪くない言葉だ」
まるで待ち望んだ答えを得られたかのような柔和な笑みを、ラピスは浮かべた。
綺麗に笑える女性だ、とサルスは思う。まるで人間のように、彼女は笑う。
ラピスはサルスの瞳を見据え、最後の言葉を言い放った。
「どうやら私は貴様を好ましく思っているらしい。それこそ、この手でどうしても殺したくなる程に――」
そして、【銀糸卿】と称された魔導人形、ラピス・アルゲントゥムは一時の人皮へと戻った。