閑話 遠い光景
アリスの一人称となります。
サルス・サルヴァがエクエスト・キニスミセリを討った。
暗赤が灰に打ち勝ったというその報告は、確かに皇国にとっては吉報だった。
なんでも、皇帝やエルレア枢機官にはもっと早く伝わっていたらしいわ。
今はお昼ちょうどだけど、未明にはもう決着がついていたみたい。
場所は、皇国と小国スェグナの国境。
エクエストがずっと皇国に立ちはだかっていた場所。
これまでに送り出した魔導人形が、ことごとく機能を停止させられた〈スェグナの防壁〉前。
サルスという魔導人形はずっと温存されていたらしいって、お父様が言ってた。
その理由は、力が強すぎるから。サルスが自らの力を悪用し始めたらとても手に負えないぐらいに強いから。
笑っちゃうわ。どうして自分達が制御しきれないような者を作っちゃうのかしら。
サルスとエクエスト、それにエルレア枢機官も、最初期の魔導人形に含まれているらしいの。〈古い方々〉って言われてる。後期に造られた魔導人形よりも強くて、怖い人達。
彼らが造られたのは、もうずっとずっと昔。
皇国が、今年で……えっと、創国130年だったから……。古い魔導人形達もその当たりかしら。ああでも歴史の先生は、魔導人形はそれよりも昔からあったって言ってたし……。本当に、ずっとずっと昔になるのかも。
どうして人は、魔導人形を造ろうと思ったのかしら。
戦争に勝つため? それとも、なにかと戦おうとしたから?
なにか、いったいなにかがあるはず。戦おうとしたと言っても、いったいどんな脅威が、あんなに力の強い魔導人形を造らせることになったのかしら。
話が逸れちゃった。閑話休題っと。
その日は皇国の勝利が確定して、家族もみんな喜んでいたわ。
アーヴァリティ家の中は騒々しかった。
お父様もお母様も、お手伝いの方々もみんな笑顔だった。でも、それも仕方ないのかも。
これまでずっと抑圧されてきたから。前々から勝ち戦のはずなのに、中々勝てなくて、みんなハラハラしてた。スェグナに気を取られている内に、ベイドやFEとかの国々が隠れて結託しようとしている、なんて悪質なデマも皇都内に流布されるし、なんというか混乱状態に陥ろうとしていたの。
でも、エクエストは倒された。
エクエストのいないスェグナは、魔石のない魔導人形みたいなものだってお父様は喜んでた。残ったスェグナは怖れるに足らない人の皮みたいなものなんだって。
夜にはお偉い方々がたくさん来られる、ってお父様は言ったわ。
その準備のために、お屋敷の中はお手伝いさんやお母様が準備のために忙しなく動き回ってた。
なにか手伝うことはない? って聞いたけど、大人しくしてなさいとしか返ってこなかったの。外は雨降り模様だったし、外に出たりなんかして服を濡らしちゃいけないとも言われたわ。
だから私、傘をさして外へ出ることにしたの。誰にも言わずに、ひとりで。
だって大人しくしてろって言われても、家の中うるさいんだもん。
行先は、一応決めてた。
皇都内をこっそりと出て、灰色の建物が並ぶ荒れ果てた街を目指した。
皇都からはそう遠くない場所にその街はあるの。今にも崩れそうな、けれども崩れない建物(ビルってお父様や先生達は言ってたわ)が並んで、そのすぐ近くに誰もいない住宅街がある街。
この街がどんな名前だったのかも分からない。戦争が始まる前にあったとか、始まってから出来たとか色々と言われているけど、結局真相がよく分からない街。
ここに私の秘密基地があったの。
この辺りは悪い人の溜まり場があるからゼッタイに来ちゃダメってお母様は言うけど、もう何度か来ちゃった。なんでか知らないけど、秘密基地がある住宅街の辺りには人がいつもいないし。
いつも通り、私はその家を目指した。
空屋の中でも特に状態のいい家だったから、一人になりたいときとか静かなところにいたいときとかによく来ていた秘密の家。
でも今日はいつもと違った。
人が立っていたの。家の前に。
背丈から男の人だと分かったわ。ボロボロの外套を羽織った、男の人。
その男の人は傘もささずにずっと雨に打たれて佇んでた。
ひとりで、ぽつんと。
その後ろ姿がとても寂しげで、見ている私が悲しくなってきたの。
私は、その男の人に近寄ってみた。お母様達が聞いたら卒倒しそうな話だけど。
悪い人には、とてもじゃないけど見えなかったもの。
私の足が水を踏む音に気付いたのか、その人は振り返った。
こっちを振りむいた彼の顔はとても悲しげな顔だった。
今にも泣きそうな程に、彼の顔は歪んでいた。
だから、私は思ったの。きっとなにかとてもつらいことがあったんだ、って。
「雨の中にいては風邪をひいてしまう。早く、家に戻りなさい」
疲れた調子で、その人は私に言うの。
もうなにもかもに疲れたみたいに悲しい声で、そう言ったの。
「おじさん、何かあったの?」
「……、」
「私でよければ、聞くから」
その男の人は、私の目をじっと見た。
私も、その男の人の目をじっと見た。
黒い、ちょっとだけ赤みを帯びた真っ黒な瞳だった。
彼はひとつ瞬きをした後、無理に笑顔を作ろうとして失敗したような表情で、人が泣き出す前の顔を硬直させたような表情で、ぽつりと言った。
「顔が歪んでしまって戻らないんだ。どうしても、戻らない」
今にも泣きそうな顔なのに、涙が一滴も出てなかった。
それがすごくつらそうに、私には見えたわ。
「……」
雨雲の浮かぶ空を仰いで、その人は声を震わせた。それでも涙は一滴も出ないで、嗚咽だけが雨音の間をすり抜けていった。
「誰かが、いなくなっちゃったの?」
今思えば無神経な質問だったわ。大切な人がいなくなって悲しんでいる人に、なんの慰めにもならない、それこそただの好奇心から生まれた質問をするなんて、って。
彼はそんな私の言葉に不愉快そうな素振りひとつ見せず、散々雨に濡らされた顔を一瞬だけ向けて、それから遠いところを見ているような目で、言った。
「親友だったみたいだ。俺とアイツは――それに気づいたのが、たった今だった」
顔中を水滴が筋を引いていたから、彼は泣いている風にも見えた。でも、そう見えただけでしょうね、きっと。ああ、この人は泣けない人間なんだ、って、私は最初から気付いてたの。直感って言うのかしらね、こういうの。
傘のおかげで雨に打たれずに済んでいたのに、私の頬には水が流れていった。
私が泣いてしまっていたの。まるで、涙の出ない彼の代わりとばかりに。
もう恥ずかしいぐらいに号泣しちゃった。私は、彼ではないのに。
彼じゃない私がこんなに悲しくなるのだから、当の彼自身は、いったいどれほど悲しかったんだろうって思ったら、もっと涙が出ちゃったの。
「……、」
傘の下で泣き続ける私を、彼はじっと見ていた。
少し戸惑っているようにも見えたわ。無理もないかも、いきなり目の前で赤の他人がボロ泣きし始めたんだから。
どう声をかければいいのか、悩んでいるみたいだった。
その表情からは歪みが解れていたわ。私が泣いたから、彼の代わりに泣いたから、涙を流せずに硬直していた彼の顔が元に戻った。そう考えるのはさすがに都合がよすぎるわね。もしそうであったら、嬉しくもあるんだけど。私が彼の救い――は大げさか、彼の手助けにちょっとでもなれたってことだから。
これが、私と彼の最初。
今でも時々夢に見るの。
いきなり消えてしまった彼との、最初の出会いを。
たった一年前なんだけど、もうずっと遠くなってしまった光景を。
「青色の空」を「雨雲の浮かぶ空」に訂正しました。




