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灰の雨

「それで、ヨマ。あなたどうしてこんなところにいたの?」


 口論は終わったようだった。まだ眉を若干ひそめたアリスが、ヨマに問う。


「尾行していたのです」

「私を?」

「はい、アリスお嬢様を」


 立ち上がり、ヨマは答える。そして彼女は服についた多少の汚れを払い、鎌を拾い上げた。黒い柄と黒い刃で成った大鎌を軽々と持ち上げる。どんなに華奢な見た目であろうとも、やはり彼女も魔導人形の一体だった。


「私がアリスお嬢様にバスエの情報屋のことを教えてしまったのですよ。それでお嬢様が人さらいに拉致キャッチ売買リリースなどされたらと気が気じゃなかったのです」

「要らない心配だわ」


 ふん、と鼻を鳴らすアリス。ふっと笑い、ヨマは言った。


「そうは言われましても、アリスお嬢様は危うい立場にあったのですよ?」

「え、私狙われてたの?」


「はい」とヨマはしかつめらしい顔で頷く。だが、すぐに表情をへらっと崩した。


「アリスお嬢様の小さな御体をさらおうとしている不届きな輩がいましたので、少し」


 ヨマは含みのある笑い方をする。それがあまりにもっちゃったぜ、と言う笑顔だったため、アリスは瞬時に曲解する。


「こ、殺しちゃったの……?」

「鎌をちら見させて、威嚇しました」


 暴力は嫌いですので、と魔導人形らしからぬ言葉を口にし、ヨマは窓辺に近寄った。


「まあ、この小娘ならあのゴロツキどもにも勝てるじゃろ」

「勝てないわよっ」


 クダ様の言葉に、吐き捨てるようにアリスは答える。


「アリスお嬢様、しばらくここに留まることになりそうです」


 窓際で空を仰いでいたヨマがそう言った。アリスも窓際に近付き、同様に空を仰ぐ。


「雨、ね。まあいいわ、特に予定もなかったことだし」


 灰の空には、いつのまにやら雨雲が浮かんでいた。

 空を覆う雨雲が暗い影を落としている。やがて、ぽつぽつと窓ガラスに水滴が当たり始めた。

 その雨粒は、灰に薄く染まっていた。


「皇国内に降る雨はやはり汚いのう。極東に降る雨とは段違いじゃ」


 クダ様が言う。クダ様もまた、アリス達と同様に窓辺で外を眺めていた。もちろんサルスの手の中に握られた状態で。


「このために人々は、雨天時は家に引き籠ってしまうのです」


 言って、ヨマは鎌を壁際に立てかけた。ごとり、という重量感のある音が雨音響く静かな家中に鳴る。


「なぜじゃ? 皇国の者達はそんなに服が濡れるのを好まないのか?」


 クダ様の疑問は、サルスもまた同様に抱いた。雨を避ける。その理由に、雨粒に混じる灰色が確実に関係するだろうことを考えたのである。


「危険なのよ、この雨に当たると……人間は、ね」


 そんなアリスの言葉には、ある種の諦観がこもっている。まるで、どうにもならない事態と直面し続けたかのような、諦めが。


「魔導素子か」


 サルスの言に、「うん」とアリスは首肯した。そして、


「皇国は、呪われてるの。〈灰の呪い〉に、かかってる」


と言い、「自業自得だけれどね」と自虐じみた言葉を言い足した。


「誰が、呪った」


 サルスは続けてアリスに尋ねる。食い入るようなその形相に、アリスは頬を染めざるを得なかった。それを見て微笑ましそうにヨマは笑う。

 珍しいな、とクダ様は思う。サルスが、灰をあずかる者に対して並々ならない関心を向けていることが、とても興味深く感じた。

 

 えと、と多少口ごもった後、アリスは気を持ち直して表情を引き締める。サルスに対してその者の名を出すならば、そうするのが当然であると思ったのだ。

 この名は、彼にとって大事な意味を持つのだから。たとえ記憶を失っていたとしても。

 そしてアリスは、サルスにその者の名を告げる。


「エクエスト・キニスミセリという魔導人形だって、皇国は公表しているわ」


 その名を聞くも、サルスには全く憶えのない名だった。

 そしてその記憶にないという事実が、ひどく哀しく感じた。

 なぜ、憶えていないのか。自らに対してそのような幻滅を覚えてしまった。


 サルスの動揺を、アリスは見てとった。

 やはり憶えていないらしい。

 それが良いことなのか、悪いことなのか。彼女は少しの間量りかねた。だが、結論はすぐに出た。

 悪いことだ、と。

 サルスは、エクエストの名を忘れてはならない。

 それはなによりも、サルスのために。彼はエクエストの悲しみを、あの涙の出ない嗚咽を忘れてはならないのだ。あの、今にも泣きだしそうで、なのに涙が一滴も出なかったあの事実を――


 いけない、とアリスは首を振る。あの光景は、いつでも彼女に涙を流させる。

 目に溜まりかけた涙を彼女は指で拭った。


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