vs? code: Fool
符号を発し終えると、その魔導人形は鎌を左から右に振った。
それは空を斬り裂かんとした一振りではなく、まるで魔法使いが杖を振るような仕草だった。
鎌の描いた軌跡上に三つの球体が現出する。深き淵を思わせる漆塗りのごとき黒色を伴うその球は、宙に留まり一切の動きを見せない。
「謀りおったな小娘!」
激昂するクダ様の声を間近に聞きながら、サルスは眼前の者の動向を見続けた。
その魔導人形は小柄だった。これからやんごとない社交会に出席するかのような服を、燕尾服のようなソレを着ている。少なくとも先刻対峙したラピスのように、全身を武装しているわけではない。その点においてはやり易いことこの上ない相手だった。
ただ、あの三つの球体が不穏だった。その球体達は魔導人形の前に浮かび、依然として不動である。静かに得物を待ちうける猛獣、というよりも、ボーっと宙に浮かぶ雲を思わせる。なんだかとても、殺気というものが見受けられないのである。
なんなんだ、とサルスは考える。眼前の魔導人形には、殺意も敵意もなかった。なのに符号を発し、上辺だけの敵意を見せている。その行動の理由が、サルスには察せられなかった。
「な、なにやってんのよアンタは」
呆気にとられるアリスを、至極愉快そうに魔導人形は見つめる。そして、口の端を歪に吊り上げ、その黒い魔導人形は言い放った。
「おかえりなさいませ。我が主であるアリス・アーヴァリティが日夜焦がれたサルヴァ様」
そこまで言い、魔導人形は大仰な身振りで指を鳴らした。
黒い球体が、パアンというどこぞのパーティーグッズのような音を響かせて弾ける。サルス達のもとに向けて、弾けた球体の中から出でたカラフルな光の粒が降り注いだ。
「さて、サルヴァ様。ここに来るまでに、いったいどれほどの『好き』をアリスお嬢様からお受けになりましたか? 私の推測では、千を飛んで二百――」
「ちょ、待て、おまっ――おらぁ!」
アリスの蹴りが黒い魔導人形の鳩尾に入り、続く言葉を圧殺する。「ふぉほ」という心配を抱かざるを得ないような声を絞り出し、その魔導人形は後方に倒れた。よってこの勝負はアリスの勝ちとなる。
「ま、魔導人形を一撃で沈めおるとは、末恐ろしい小娘じゃの……!」
クダ様は慄く。それは本気の戦慄だった。
「あ――」
当の末恐ろしいアリス本人は、振り返ってサルスの顔を見、羞恥に頬を紅潮させる。
「ち、違うの! 私そんな――とにかく違うのよ!」
彼女は手を振り、懸命な様子で弁明に努めようとしている。必死だった。
「確かに違っておったわ。ワガハイの認識が間違っておった。小娘よ、貴様――兵だな」
「だからそれが違うってことなのよ! 私が強いんじゃなくて、コイツが弱いの!」
「それは、強者が自らを謙遜するときに吐く科白ぞ」
「ちーがーう! なにがなんでも私を腕っぷしの強い女に仕立て上げようとしてるでしょアンタ!」
「事実じゃろ」
「事実じゃないわ!」
ギャーギャーと騒ぎ、一人と一本はお互いの心を言葉で殴り合っている。
そんな状況にあるものだから、サルスはクダ様を廊下の壁に立てかけ、存分にアリスと口論させておくことにした。
賑やかな一人と一本を傍目に、サルスは黒い魔導人形を見下ろす。もちろん無言である。彼は、必要なこと以外はあまり喋ろうとしない。
黒い魔導人形は、仰向けに倒れ、黒で塗り潰された目をぱっちり開けて天井を見ていた。
「……、」
「……」
見つめ合う両者。お互いに何も発しようとしていない。
「名乗る必要が、ありそうですね」
サルスの表情を見てなにかを察したのか、その黒い魔導人形は言う。
「できれば、そうしてもらえると助かる」
サルスは言う。知らない者であったから、どう呼べばいいのか知りたかった。
「私は、ヨマ・ヨクラートルと言います」
ふ、とどこか悲しげに笑い、彼女は名乗った。そして多少の切なさを含んだ声で、
「サルヴァ様、あなたと私は、初めましてという間柄ではないのですよ。アリスお嬢様もまた、同様に」
と、続けた。
「アリスも、俺を知っているみたいだった」
「ええ、知っているでしょうに。あなたが忽然とその姿を消してから、一年と半年ほど、アリスお嬢様は確かにあなたを想い続けていらしたのですから。忘れるはずがないのです。あの方は、忘れられるほどにあなたを好いていないわけではありません。忘れられないほどに憎からしく想っておられましたから」
言って、ヨマは笑った。いかなるときであろうとも、彼女は笑う。
「この家を見て、なにか思うことはありませんでしたか?」
「……ずいぶんと状態が良いとは思ったが」
家の中も、人が住んでいる様子がないというのに、埃がほとんどない。それに、調度品にはつい最近拭かれたらしい輝きがあり、クモの巣なども全くかかっていない。この家の中には、明らかに誰かが手入れをしているらしい痕跡がところどころにある。
「かつてあなたがここを活動拠点としていたと言ったならば、どう、思われますか?」
ヨマの言葉に、サルスは幾分動揺を見せた。
現在の自己が開始するそれ以前の自分がいた場所。なにも、憶えていない。記憶をいくら想い起そうとも、過去の断片すら現れない。
「サルヴァ様。今のあなたは、どこから始まったのですか」
「……東。ずっと、東の方だ」
思えば、それから一年と半年ぐらいしか経っていない。そういうものだと、サルスはなにも気にしていなかった。
過去がないのならば、なくても良い。現に自分はなにひとつとして不利を被っていないのだから。そう、彼は考えていた。
自我が始まり、長い放浪と少しの滞在を繰り返し、こうして皇都に辿り着いただけである。クダ様が言う「灰の魔石」とやらを手に入れんがために。
「サルヴァ様、正直なところを申してもよろしいでしょうか」
「ああ」
「できれば他の誰にもおっしゃらないでいただけると助かります。特にアリスお嬢様に聞かれては、少々、厄介ですので」
「分かった」とサルスは小さく首肯し、ヨマの口からその“正直なところ”が発されるのを待った。
「またお会いできて、嬉しいです」
「……、」
どう答えればよいのかサルスは分からず、結果無言となってしまった。
彼よりも前の彼が生じさせた縁。現在の彼にとっては、そこはかとなく無価値に近い縁。全ての縁は、まったく記憶の中から消失してしまっていた。
「アリスお嬢様に限らず、私も、あなたのことを憎からず考えていたようだと――愚かにもあなたの姿が消えてから初めて、私は気付いてしまったようなのです」
そう言うヨマの黒塗りの瞳は、じっとサルスの目を見据えていた。そしてまるでふざけて冗談を言った後のように、彼女は薄く笑う。
アリスとクダ様の止まない口論をBGMに、サルスは遠い過去を眺めようと努めた。しかしなにも、モヤとも霧ともつかないなにか漠然とした障壁がそびえ、一切の光景が見えなかった。
その障壁は、かつての空のような澄み切った青色に染まっていた。




