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かつての根城

「はあ……はあ……」


 少女は膝に手をつき肩で息をしている。どうやら全力で走ったらしく、額に汗が粒を成していた。


「ふう……」


 ひとつ深呼吸をし、少女はサルスを見上げる。

 なにかの期待に満ち満ちた目だった。

 サルスの口から出てくる言葉をそこはかとなく期待している風だった。

 誰だ、とサルスは思う。この少女は誰だ。なぜ、そんな目を向けてくる。


「なんじゃ、このチビ助は。知り合いか?」


 クダ様の言葉に、サルスは「いや」と首を傾げる。確かにこの少女は、面識のない人間だ、とサルスは考えた。そうでないはずがない。記憶の限りでは、本当に知らないのだ。


「え」


 少女の瞳から、ありとあらゆる希望が消える。呆然とした面持ちで、絶望の面差しで、少女はサルスの目を見続けた。多少、目の中に潤みを帯び始めながら。


「あなた、サルヴァでしょ」


 言って、少女は口元を歪める。彼女はサルスに対して笑いかけようとしたのだが、出来なかった。サルスの目はまるで感情が宿っておらず、少女――アリスの記憶の中に佇む彼と、あまりにも大きな差異が生じていた。


「……、」

 

 サルスがアリスを眺める目は、あまりにも冷たい。

 なにも、その瞳に軽蔑や憎悪が込められているわけではない。ただただ、無関心だった。

 彼は何も思ってはいない、私は何も思われていない。

 全てがリセットされている。思い出が消えてしまっている。

 その事実を、少女はどうしても認めたくなかった。


「わ、私よ。アリスっ。アリスって名前なの。憶えて、いないの?」


 悲しみに震えそうな声を必死に抑え、彼女は訴えるようにサルスへ言う。

 サルスは首を振り、記憶にない意を示す。そしてぽつりと、少女が最も聞きたくないであろう言葉を放った。


「人違いだ。俺はサルヴァという名じゃない」

「そんなわけ、ない……」


 振り絞るように、アリスは言う。 


「それがあるのじゃよ。認めよ小娘。貴様が糧の姿に誰を想い描いたのかは知らぬが、ワガハイも糧も、貴様のことなど知らぬ」

「鉄パイプは、喋ったりなんかしない……!」


 そこからくるか、とクダ様は小さくぼやく。


「とにかく、ワガハイ達と貴様との間に接点などない。去れ」

「くず鉄は黙っててよ」

「なんじゃとう……!」


 アリスの言葉にクダ様はぷんぷんになった。くず鉄という単語は、クダ様のプライドに致命的な一撃を加えるソレである。ゆえに、それはもうすごく怒っていた。

 今にも言い争いになろうとしている一人と一本を、サルスは黙って見つめている。

 

 ――と、サルスの視界に、なにかが飛んでくるのが見えた。

 石だ、とサルスは理解する。避けるにも値しない。

 ゴン、と。サルスの頬に石が当たる。


「サルヴァ!?」 


 アリスは石が当たった部分に手を触れた。サルスはいたって平気そうに、相変わらずなんら関心の見えない目で彼女の姿を見ている。


「いったい誰が……!」


 怒りをあらわに振り返ったアリスの目に、群衆が映る。

 バスエ街の、ゴロツキ達。汚らしい襤褸ボロを着て、品性の堕落しきった表情をしている。アリスにとっては、彼らは生理的嫌悪感を覚える者達だった。


「場所を変えましょう。ここは少し、話しづらいから」


 言って、アリスはサルスの手を握る。もう離す気などないとばかりに強く握りしめる。


「ひとりで行けば良かろう。ワガハイ達は、これより向かわねばならぬ場所がある」


 付き合ってなどいられるか、とクダ様は言う。まだ、先程の怒りが尾を引いていた。


「うるさい」


 敵意を込めてアリスは言う。彼女は、クダ様が例の“鉄隷を呪っているモノ”だと信じている。それがために、クダ様に対し憎悪を向けている。

 少しばかり強引に、アリスはサルスの手を引っ張ってバスエの民衆から離れた場所へと足を向けた。

 サルスは抵抗を見せない。少しだけ、アリスは安堵した。手を振り払われたりしたら、恐らく彼女は泣き崩れてしまっていただろう。それほどまでに、彼女は無理をして気丈に振舞っていた。


 隆起した灰色の大地――コンクリートで舗装されたかつての街路を、アリス達は行く。

 街路をはさみ、両側に向かい合ってビルがある。そのいずれも、窓はことごとく割れて、所々が崩落しているという酷い有様だった。

 二人と一本は、ビルとビルの間にある路地へと入る。

 アリスは無言で、サルスの手を引っ張った。ときおり鉄パイプがなにか言っているようだったが、一切の聞く耳を持たなかった。

 歩き続け、ひとつの崩れかけた民家へと辿り着く。切妻屋根の平屋で、住宅街と思わしきその近辺の家々の中では、比較的状態の良い家だった。


「私の秘密基地なの」


 玄関のノブに手をかけ、アリスはそうサルスに笑いかける。


「良い家だ」


 そんな、毒に薬にもならないサルスの返答にさえ、アリスは喜ぶ。その一言一句が、彼女を深く傷つけ、もしくは花のように笑わせることだろう。彼女にとっては、彼が存在している事実それ自体が心から嬉しいのだから。


 ガチャリ、と玄関ドアが開かれる。

 開かれるドアから見える、家中の光景。

 薄暗闇の中に、外からの光が差し込み始める。

 そして現れる、一つの影。

 

 瞬時にサルスは身構える。 


 家の奥に佇む、一人の――一体の魔導人形。

 その表情は、道化のような薄笑いに歪んでいる。

 一切の光が塗り潰された黒い二つの瞳と、肩ほどの長さの黒髪。

 そしてなにより、その手に持っている大ぶりの鎌。生者を彼岸へと誘う死神の得物を持った何者かが、楽しそうに笑ってサルス達を見つめていた。

 その者の口が動く。紡ぎ出されるは魔導の符号。


FoWeダイ――


 道化は、彼の帰宅を歓迎する。


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