08
黒羽と同時に彼女の手に触れた刹那、バチリ、と電流のようなものが走った。静電気、だろうか。だけど、それが発生する季節はとっくに過ぎている。
それに、そんな指先だけで終わるようなものではなくて、彼女からこちらに電気が流れこんできたような感じだ。今のは一体――
「黒羽さん、大丈夫ですか?」
とても心配そうな声が聞こえ、視線を自分の手のひらから目の前の黒羽に移すと、黒羽が彼女と握手した手を反対の手で押さえていた。おそらく、黒羽にもあの電流が走ったのだろう。
しかし、黒羽の肩は小刻みに震え、顔も少し青ざめているように見えた。確かにびっくりしたけれど、そんなに痛かっただろうか? しかもその表情は、まるで何かに怯えているかのようにも見える。こんな黒羽は今まで見たことがない。
「おい、大丈夫か?」
「……ふふ、あなたが心配してくれるなんて珍しいわね。明日は雪でも降るのかしら」
「アホか」
「ウソよ、嬉しいわ。大丈夫、ちょっとびっくりしただけだから」
心配して損した、と思わせるような冗談を返してきた黒羽はにこ、と微笑んだが、その笑みはやはりどこか力がないように思える。
「本当にびっくりしましたよね。お二人の手に触れたとたん、ビリビリって……季節外れの静電気ですかね?」
そう言って、真白さんは自分の両手を見た。本当に今のは何だったのだろうか。一応身体に異常はないみたいだからいいけれど、ただの静電気にしては威力が強すぎる。
「心配かけさせてごめんなさい。何の話をしていたかしら」
すると、その思考を遮るようにして黒羽が話を切り出してきた。そのカオに、先ほどのかげりはない。
「えっと、お二人は恋人ではないけれど、黒羽さんは灰人さんがすきだって話だったかと」
「ああ、そうだったわね。真白という味方ができて、心強いわ」
「黒羽さんはすごいですね。さっきもさらっと告白していて、びっくりしました」
「もう今まで何度も言っているもの。そのたびにフラれているのよ」
「そうなんですか? 灰人さん、黒羽さんの何が気に入らないっていうんです? 黒羽さんはこんなにキレイでやさしいのに!」
嘆かわしげにほおに手を当てた黒羽の演技にだまされた真白さんは、ぼくを責めるようにそう言って、ずいっと顔を近づけてきた。ああ、ぼくはまた選択を間違えたのかもしれない。あのとき、むしろ付き合っていることにしたほうが楽だったのではないだろうか。こうしてまた一人、ぼくと黒羽をくっつけようとする人が増えてしまった。
家ではいつかぼくと黒羽が恋人になるだろうと思われ、学校では公認の恋人だと思われているが、実はぼくと黒羽が恋人であるとか、ぼくが黒羽のことをすきだと公言したことは一度もない。まず前提としてあの女は悪魔であり、ぼくに「死」の呪いをかけた人物であるということから、ぼくはこいつのことが嫌いだ。すきになることなど有り得ない。こいつの気に入らない点は、そこにすべて集約されている。
しかし、幼なじみという地位も手に入れた黒羽とは必然的に一緒にいることが多いし、あいつのほうはぼくがすきだと人前で言うことがよくある。だから、学校でも家でも勘違いされてしまうのだ。黒羽はただ、入学早々彼女に告白し、ぼくたちが付き合っているのかと聞いてきた人物に対して、「さあ、どうかしら。わたしはすきだけれどね」と言っただけなのに。まあ、噂が流れた時点で「違う」と否定しなかったぼくも悪いのだが、もう否定できるような雰囲気ではなかった。あの女は外堀を埋めることに関しては天才だと思う。いや、人を陥れることに関しては、か。さすがは悪魔だ。
しかし、そんなことを知るよしもない真白さんは、ほおをぷくっと膨らませながら、こちらをにらみ続けている。その横で、くすくすと愉快そうな笑みをこぼす黒羽。先ほどまでのしおらしさはどこに行ったんだよ。お前がすべての元凶だろうが!
「あー、えっと、ほら、真白さんの言うとおり、黒羽はキレイでやさしいからモテるんだよ。なのに、ぼくなんかでいいのかなー、って自信がもてなくて」
ああ、自分の言い訳に吐き気がする。あとで黒羽にはちゃんと言っておかないと、またつけあがりそうだ。まったく、ウソを並べるのも楽じゃない。
「灰人さんはやさしい人なんですね」
「え?」
「だって、黒羽さんのことをちゃんと考えているじゃないですか」
いや、さっきのは真っ赤なウソなんだけど。純粋で無垢な彼女は、何でも信じてしまうらしい。黒羽とは別の意味で、彼女にもウソをついてはいけないと感じた。
「それに、灰人さんもわたしのことを助けてくれた良い人なんですから、自信をもってください!」
「あ、ありがとう」
彼女を助けたのはほぼ黒羽であって、ぼくではない。だから、ぼくはやさしくもないし、どう自信をもてばいいのかもわからない。
だけど、彼女にそう言われると、何だか本当に自信がもてるような気がした。この無垢な純粋さ、そして癒しは、まるで天使のようだ。悪魔である黒羽とは大違いだ。
「あらあら、ずいぶん気に入られたようね。もしかして、真白も灰人がすきになってしまったかしら。そっちもまんざらでもないようだし」
「は?」
「いえいえ、とんでもない!」
ちらり、と一瞬向けられた視線は、ぼくの心を見透かしたようにとても冷たいものだった。しかし、真白さんからすぐに否定され、少し落ちこんだのも事実。
「灰人さんは素敵な人だと思いますが、黒羽さんの、友人のすきな人をすきになるなんて、不謹慎じゃないですか」
「そんなことないわよ。だって、確かにわたしは彼のことがすきだけれど、付き合っているわけではないもの。だから、あなたが彼をすきになるのは悪いことではないはずよ」
「そう、ですかね?」
「ええ。たとえわたしと彼が付き合っていた場合でも、あなたが彼をすきになるのはおかしくないと思うわ。男と女だもの、惹かれて当然よ。人をすきになるのはとても素敵なことじゃない。略奪愛っていうのも、一つの愛の形じゃないかしら」
「うーん、わたしにはよくわかりません」
「まあ、さすがに話が飛躍しすぎたわね。とりあえずわたしが言いたいのは、あなたが灰人をすきになっても構わないということよ。彼はわたしのものじゃないもの。最終的に選ぶのは、彼よ」
諭すように話をまとめた黒羽の口角が上がる。その笑みは「でも、最後はわたしのものになるということが決まっているのだけれどね」とでも言いたそうだった。
略奪愛、ね。それは真白さんが黒羽からぼくを奪うこともアリだと言っているのではなく、もしぼくと真白さんが付き合うことになっても、最終的には黒羽がぼくを奪う、ということを暗示しているのだ。つまり、略奪者は真白さんではなく、黒羽自身。まったく、相変わらず悪趣味だ。
「黒羽さんは心が広いのですね。普通ならすきな人を横取りされるんじゃないかって、牽制するところですよ?」
「確かに独占欲がないわけではないわ。でも、自分のすきな人を誰かほかの人もすきになっているのを見ると、やっぱりわたしの選択は間違っていなかったんだなって思うのよ。わたしのすきな人は、ほかの人からもこんなに好かれている素敵な人なんだな、ってね」
「そうですね。わたしもお二人がたくさんの人から好意を持たれているのを見たら、とても嬉しいと思います。自慢の友人だって胸を張って言えますね」
「ふふ、ありがとう」
黒羽が至極まっとうなことを言っていることに、ぼくは目を瞠った。すらすらと自分の恋愛観を――ひいては、おそらくぼくのことを語る黒羽の眼差しは、悪魔とは思えないほどやさしい。
昔からたまに見せるこんなカオの黒羽までを、ぼくは嫌いだとは思わない。普通にしていれば本当にただの人間の女ノコだし(だからこそ、人間の世界に溶けこんでいられるのだろう)、高圧的で性悪なところもあるけれど、ぼくをすきだと言ってくれるのは、素直に嬉しかったりする。恋愛観だってまるで人格者のようだ。
だけど、その恋愛の成就のさせ方が間違っているのだ。そのために、何故ぼくが死ななくてはならない? 何故ぼくの未来を犠牲にしなくてはならない? お前の恋愛なんだ、お前の何かを犠牲にしろよ。
――まあ、そんなこと、言うだけムダなのだけれど。だって、あいつは悪魔なのだから。自分を犠牲にすることなど、絶対に有り得ない。
その後、特に大人同士が盛り上がり、時計の針が零時を過ぎたころにようやく解散となった。片付けを手伝ってくれた真白さんに対して、母さんは「もう一人お嫁さん候補ができたわね」などと言い、とても喜んでいた。一方、同じく片付けを手伝っていた黒羽に対しても「でも、黒羽ちゃんのことも応援してるわよ」と助言することも忘れずに。まったく、こいつの正体を知らない人は気楽でいいよな。
片付けを終え、風呂から上がったころにはすでに夜中の一時を過ぎていた。明日も学校だし、早く寝ないとな――そう思ってベッドに寝そべった、そのとき。
「こんばんは」
あの憎き悪魔の声が聞こえた。もぞもぞと頭の向きを変えると、そこには予想通り、黒羽がいた。ただし、先ほどまで家にいた状態ではなく、霊体で。また壁をすり抜けてきたのか。
「何の用だよ。勝手に入ってくるなって言ってるだろ」
「相変わらず冷たいわね、あなたは。彼女にはそんな態度とらないくせに」
「彼女? ……ああ、真白さんのことか」
「ええ、そうよ」
「そりゃあ、ストレスを感じさせるお前と違って、癒しを感じさせてくれるからな」
「当たり前じゃない。だってあのコ、天使なんだから」
「……はあ?」




