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グレーゾーンな恋人  作者: 久遠夏目
第一章 記憶喪失の天使
7/32

06

 きょとんとした表情で紡がれた言葉を、すぐに理解することはできなかった。というか、信じられなかったと言ったほうが正しいかもしれない。

 とんでもない事実を告げられているはずなのに、本人はまったく動じていない。これは、彼女に記憶喪失だと告げられたときと同じ感覚だ。


「それは、どういう意味?」

「確かに、わたしの記憶はほとんど戻りました。だけど、わたし自身についての記憶がほとんどないのです」

「両親のことを覚えているのなら、自分の記憶もあるんじゃなくて?」

「はい、確かに両親とこんなことをしたな、という記憶はあるんです。だから、この人たちがわたしの両親だっていうのはわかるし、客観的にはわたし自身についての記憶もあるんです」

「それじゃあ……」

「でも、それはあくまで客観的な記憶なのです。うーん、何と説明すればいいのかわからないのですが……幽体離脱したわたしが、両親と過ごした実体のわたしを見ているような感じ、とでも言えばいいのでしょうか。記憶の中のわたしが本当にわたしなのだろうかという疑問があるというか……」


 おそらく本人が一番混乱していて、思っていることをそのまま言葉にするのがとても難しいことだとわかっていても、たどたどしい説明のせいで、ますます意味がわからなくなってしまった。


「――つまり、あなたは今の自分と記憶の中の自分が同一人物であるという実感が持てない、ということかしら」


 少しの沈黙を挟んで、黒羽が冷静に言葉を紡ぐ。もしその考えが合っているのなら、先ほどよりも彼女の現状が理解できた気がする。


「そう、かもしれません。一人のときの記憶はまったくありませんし」


 うつむいた彼女の表情は、その難しい現状を正確に物語っていた。

 自分が自分であるという実感が持てない、というのはどんな感じなのだろうか。両親の記憶はあるのに、自分がはっきりと覚えているのは名前だけ。両親とともに過ごした自分が、本当に今ここにいる自分の記憶なのか確信が持てない。自分が何者か、なんていう疑問はよく思春期に考えることだけれど、その前提となる「自分」が崩壊しかけているのだから、彼女はもっと深刻だ。


「早く記憶が戻るといいですね」

「ありがとうございます。でもわたし、そんなに気にしてませんから大丈夫です」

「強いのね」

「いえ、危機感がないだけだと思います」


 えへへ、と照れたように後頭部に手を当てた彼女からは、確かに危機感が感じられない。まあ、落ちこんで塞ぎこんでしまうよりはいいと思うけれど。


「あ、でも保険証に生年月日が書いてあったので、年齢はわかりましたよ」

「おいくつ?」

「今年で十七歳です!」

「え」

「あら、じゃあわたしたちと同い年じゃない」

「本当ですか!?」


 黒羽はわずかに驚いたような表情でそう言ったが、ぼくはそれ以上に驚きすぎて、開いた口が塞がらなかった。この子供みたいな彼女がぼくたちと同い年だって? ウソだろ、小学生か中学生にしか見えないぞ。


「すごい偶然ですねえ」

「そうね、驚いたわ」


 二人の会話を聞いても、やっぱり彼女が同い年だとは信じがたい。もちろん、身長や口調のせいもあるかもしれないけれど、どう考えても黒羽のほうが年上に見える。

 そんなことを思いながらまじまじと彼女を見ていると、彼女は小首をかしげた。


「そういえば、お二人の名前をまだお聞きしていませんでしたね。何とおっしゃるのですか?」

「わたしは夜神楽黒羽。夜と神様の神、そして楽しいでヤカグラ。クロハは黒い羽よ。彼は一ノ宮灰人。漢字は――ほら、自分で説明して」

「途中で投げるなよ」

「名前までは言ってあげたんだから、あとは自分でやるのが筋でしょう」


 自分で勝手に言ったくせに、と心の中で文句をたれつつ、ぼくは黒羽から彼女に視線を移した。


「えっと、イチノミヤは数字の一とカタカナのノと宮殿、名前は灰色の灰と人って書いてカイトです」

「おお、三人とも名前に色が入っているのですね! またまたすごい偶然です!」

「あら、本当ね」


 確かに言われてみれば、白・黒・灰と色の名前が入っているが、そこまでテンションの上がることではないだろう。だが、彼女は世紀の大発見でもしたかのように顔をほころばせてはしゃいでいた。やっぱり、本当に子供みたいだ。

 しかし、白と黒と灰色か。二人の色が混ざったものがぼくの色だなんて、偶然にしても出来すぎている。まあ、だからどう、というわけでもないのだけれど。


「では改めまして、一ノ宮さん、夜神楽さん、今日はありがとうございました」

「いいのよ。人として当然のことをしたまでだから」


 いや、お前は悪魔だろ。何だよ、その聖人君子ぶった笑みは。ウソくさすぎて、寒気がする。


「お二人の家はここから近いのですか?」

「ええ、この先の角を曲がって少し行ったところに――」

「あれ? お二人の名前って、一ノ宮さんと夜神楽さんでしたよね」

「ええ」

「じゃあもしかして、あの一ノ宮さんと夜神楽さんですか!?」


 考える人のようなポーズをとったかと思えば、何かを思いついたようにばっと顔を上げ、ずいっとこちらをのぞきこんでこきた天ヶ原さん。その勢いに気圧され、ぼくは一歩後ずさる。あの一ノ宮さんと夜神楽さんって言われても、どの一ノ宮さんと夜神楽さんだよ。

 ぼくが引いているのに気付いたのか、天ヶ原さんは慌てたように両手を振りながらもとの位置に戻った。


「ごめんなさい。本当にすごい偶然だから、わたし感動しちゃって!」

「はあ……?」

「わたし、今日、一ノ宮さんの家のトナリに引っ越してきたんです! これからよろしくお願いしますね!」


 にこり、と咲かせたその笑顔は、まるでひまわりのようだと思った。




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