05
その日の放課後、いつものように黒羽と一緒に下校し、同じ学校の生徒たちが見えなくなってきたところで本音に切り替えようとすると、
「あっ」
弾けるような声が聞こえた。そちらに顔を向ければ、前方でぶんぶんと両手を振っているシルエットが見える。
黒羽と互いに怪訝そうな顔を合わせ、もう一度目を凝らしてそちらを見てみれば、そこにいたのは、
「あれって……」
「今朝の記憶喪失の女ノコじゃない」
どうやら黒羽にも同じものが見えていたらしく(むしろそうでないと、どちらかの目がおかしいことになる)、そのまま歩みを進めると、向こうは走ってこちらに近づいてきた。まるで飼い主を見つけた犬のようだ。
そして、ぼくたちの目の前まで来て、彼女――天ヶ原真白はぴたりと足を止めた。
「よかった、やっぱりここは通学路だったのですね! 今朝会ったところで待っていれば、お二人にまた会えるかと思いまして」
肩を上下させながら、そう言ってにぱ、と笑う彼女。やはりその笑顔は無垢であどけなく、またぼくに癒しを感じさせてくれた。その笑顔につられて、自然とほおがゆるむ。
すると、目ざとくそれを見つけた黒羽に肘で小突かれてしまった。
「またしまりのない顔をしているわよ。やっぱりそうなんじゃない」
「別に癒しぐらい感じさせてくれたっていいだろ。こっちはお前のせいで毎日ストレスがたまってるんだから」
「あら、わたしだって今、あなたのせいでストレスがたまったわ」
「はあ? ふざけ――」
「あ、あのぅ……?」
険悪なムードの中に割りこんできた控えめな声。音量は小さかったものの、男女で音域が違うせいか、それははっきりと耳に入っていた。見れば、心配そうに眉を八の字にした彼女が、ぼくと黒羽を交互に見つめている。
「ああ、ごめんなさいね。彼、本当に気が遣えなくって」
「それはお前だろ」
「け、喧嘩はよくないですよ? 今朝はあんなに仲良しだったのに」
今朝も今も口喧嘩をしていたことに変わりはないと思うのだが、彼女にとっては何か違いがあったらしく、おずおずとそう注意してきた。
それに対して黒羽はにこ、と微笑み、
「大丈夫よ。いつものことだから」
と返す。まあ、確かにいつものことだけれど、何が大丈夫なのかわからない。
しかし、
「あっ、喧嘩するほど仲が良いって言いますもんね! じゃあ、大丈夫ですね」
彼女はそれにあっさりと納得し、安心したように笑ったのだった。純粋というよりは、単純といったほうがいいのかもしれない。やはり小学生か中学生なのだろうか。
そんなことを考えていると、彼女は今朝のようにまたぺこり、と頭を下げた。
「今朝はありがとうございました。お二人のおかげで助かりました」
「記憶のほうはどう?」
「おかげさまでだいぶ思い出せました!」
聞けば、ぼくと黒羽から交番に送り届けられたあと、警官と話をしていると、何とも幸いなことに、彼女の財布とケータイをその交番に届けてくれた人がいたらしい。しかも、財布とケータイを拾ってくれたのはそれぞれ別の人だったのだとか。幸せと不幸せの量は同じだと聞いたことがあるが、それが本当のように思える。ただし、ぼくにとってはまったく当てはまらない気がするけれど。
それはさておき、財布にあった保険証から身元が判明し、ケータイにあった両親の番号に電話をして無事迎えに来てもらった、とのことだった。そして、両親の顔を見て安心したのか、そこで記憶が戻ったのだとか。
何とも奇跡的で喜ばしい話ではあるが、ぼくは簡単には感動できそうになかった。両親の顔を見たからといって、そんなにすんなりと記憶が戻るものなのだろうか。というかそれは、
「……記憶喪失っていうよりは、ただの記憶力の問題じゃ……」
「そうね。もしくは、脳に何か障害があるのかもしれないわ」
「おい、今日はやけに気が合うな」
「あら、わたしも同じことを考えていたわ」
少しだけ首を動かし、ちら、と互いに互いを一瞥する。不本意だが、今日ほどこいつと息が合う日はないと思う。
「はい、わたしもそう思います」
「え?」
どうやらぼくと黒羽の会話が聞こえていたらしく、彼女が口を挟んできた。冷静になって自分たちの会話を振り返ってみると、かなり失礼なことを(主に黒羽が)言っていたと思うのだが、彼女は何故かそれに同意してうなずいている。言動は子供っぽいが、自分の現状をよく理解しているということだろうか。
でも、やっぱりここは一応謝るべきだよな。そう思って口を開こうとすると、それよりも先に彼女がとんでもない言葉を紡いだ。
「いや、だってそうじゃないですか。どうしてわたし、自分の記憶だけがないんでしょう」
「……は?」