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グレーゾーンな恋人  作者: 久遠夏目
第一章 記憶喪失の天使
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04

 にぱ、と子供のような笑みを咲かせた彼女は今、何と言った?


「記憶、喪失……?」

「はい!」


 いや、そんな笑顔で結構深刻なことをさらっと言われても、逆にこっちがどうしていいのかわからなくなってしまう。


「失礼だけど、記憶喪失というのはどこまでの記憶がないのかしら」


 困惑していたぼくの横から出てきた黒羽がすらすらと言葉を紡ぎ、彼女の現状を尋ねた。


「えっと、あ、名前は覚えてます!」

「じゃあ、お名前は?」

「マシロです。天ヶ原真白あまがはらましろ。天国の天に小さいカタカナのケに原っぱの原、あとは色の真っ白と書いてマシロです」


 彼女は大きな身振り手振りで自分の名前を説明してくれた。

 天ヶ原真白と名乗った少女のミルクティー色の髪がふわり、となびく。肩のあたりまでのびたそれは、横で二つに結ばれていた。男子であるぼくはともかく、女子である黒羽も平均より少し身長が高いため、ぼくたちと向かい合った彼女の身長はかなり低く見える。おそらく一五〇センチ台前半なので、中学生か、下手したら小学生なのかもしれないが、年齢も忘れているようなので、真相はわからない。


「そう、じゃあ天ヶ原さん」

「はい!」

「ほかに覚えていることはある? とういか、どこからの記憶がないのか、覚えているかしら」

「うーん、そうですねえ……」


 両のこめかみ――それは、彼女の結ばれた髪の付け根のちょうど真上に当たる――にそれぞれ人さし指を当て、目をつぶって考えこむ彼女。そして、ぼくと黒羽が見守る中、ぱちり、と目を開けて、


「残念ながら、名前しか覚えていないようです。いつどうやってここに来たのか、まったく記憶がありません」

「そう……」


 はあ、とため息をつき、困ったように首を横に振る彼女――天ヶ原真白を見て、黒羽も眉をしかめた。こんなに難しそうなカオをするこいつも珍しい。


「なあ、どうする? 警察とかに連れていったほうがいいんじゃないのか?」

「ええ、それが一番よさそうね」

「でも、わたしは何か目的があってここに来たような気がします」

「え?」


 こそこそと二人で話し合い、結論が出たと思ったそのとき、彼女はぽつりとそうつぶやいた。しかし、


「それ、思い出せますか?」

「うーん、大事な大事な目的だったと思うのですが……ダメです、思い出せません」


 どうやら重大な目的があったということは思い出せても、その重大な目的そのものは思い出せなかったようだ。少し期待していたぼくと黒羽は同時にため息をついた。

 結局、彼女が覚えているのは天ヶ原真白という自分の名前のみ。残念ながら、身元を証明できるものは何もなかった。不幸なことに、ケータイも財布も落としてしまったらしい。ならば、ぼくたちにできることはもう何もない。


「じゃあ、申し訳ないのだけれど、わたしたちにできることはないわ。近くに交番があるから、一緒にそこまで行きましょう」

「すみません、何から何までご迷惑をおかけして……お願いします」


 ぺこり、と頭を下げてお辞儀をした彼女は、敬語で話していることも相まって、とても礼儀正しい性格なのだと感じた。

 そんな彼女を無事交番まで送り届け、ぼくと黒羽は学校へと向かう。


「朝から災難だったわね」

「記憶喪失の人なんか初めて会ったよ。本当にあるんだな。早く記憶が戻るといいけど」


 率直に希望的観測を述べると、するり、とあごの下に二本の指が侵入してきた。もちろん、それはトナリを歩く黒羽の指だが、そう認識するよりも早く、その指でぐい、と無理やり黒羽のほうを向かされる。


「何す……」


 顔をしかめて黒羽をにらみつけようとすると、すぐ目の前に黒羽の整った顔が広がった。容姿だけを見れば、こいつは本当にムカつくくらいキレイだ。彼女は何かを探るように、鋭い目でじっとこちらを見つめている。


「あなた、やけにあのコのことを気にするのね」

「はあ? 別に普通だろ。記憶喪失とか大変そうだし」

「そうね。でも、それだけじゃないでしょう」

「は?」


 黒羽はいつも以上に棘のあるセリフを吐いたが、ぼくには何故こいつの機嫌が悪くなっているのかさっぱりわからなかった。

 確かに面倒なアクシデントではあったものの、そんなに時間を食ったわけでもないし、むしろこいつは率先して彼女に手を差しのべ、一緒に悩んでいたではないか。それこそ、こいつが悪魔だということを忘れるくらい、慈悲深い行為だったと思う。

 しかし、今の黒羽はぞっとするほど冷たい目でぼくを見つめ続けていた。


「意味わかんないんだけど。何でそんなに機嫌悪いんだよ」

「あなたって本当に最低ね」

「お前にだけは言われたくないね」

「わたしという恋人がいながら、あのコに見とれていたでしょう」

「いや、だからお前なんか恋人じゃな……へ?」


 まったく予想だにしなかった言葉に、ぼくはマヌケな声を出すことしかできなかった。それを見て、呆れたようなカオをした黒羽はぼくのあごから指を離し、正面を向いて歩き出す。

 確かに、彼女――天ヶ原真白に見とれていたことは認めよう。黒羽とは正反対のかわいい系で、その言動から癒しを感じさせてくれた。だけど、だからといって特別な感情を抱いたわけではない。本当にただ、記憶喪失ということを心配していただけなのだ。

 それなのに、こいつの機嫌の悪さ、そしてさっきの言葉。つまり、黒羽は彼女に嫉妬した、ということなのだろうか。


「何をじっと見ているのかしら」

「いや、別に」

「あらそう」


 こいつがただの人間であったのなら、少しはかわいいところもあるな、と微笑ましく思えるし、「惚れた弱み」ということでぼくが優位に立てたのかもしれない。

 だけど、やっぱりこいつは悪魔であり、ぼくにとっては忌むべき存在なのだ。恋人なんかじゃない。ぼくは何とかしてこの「契約」を解き、自由とその先の人生を手に入れなければならない。


「お前が記憶喪失になってくれればよかったのに」

「ふふ、残念でした。でも、わたしが記憶喪失になったとしても、悪魔であることに変わりはないもの。契約は解けないわよ」

「ちっ」

「それに、わたしが記憶喪失になったら、あなただけ二十歳で死んでしまうのよ。あなたのいない世界で生きていくなんて、絶対に嫌だもの」

「……あっそう」


 こいつは悪魔だ。だけど、心底ぼくに惚れている。だからこそ、ぼくに「死」という呪いをかけ、それによって自分のものにしようとしているのだ。

 まったく、本当にそれさえなければな、と思わずにはいられなかった。




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