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グレーゾーンな恋人  作者: 久遠夏目
第四章 たった一つの願い事
30/32

06

「ああああああっ」

「おい黒羽、黒羽! ――いって!」


 降り注ぐようにして穏やかに黒羽の周りを囲っていた光は、今や最初に落ちたときの雷のような猛威をふるい、黒羽に襲いかかっていた。苦しそうな悲鳴を上げる黒羽に触ろうと手をのばしても、ぼくには触れられないものなのか、バチッと弾かれてしまう。


「天ヶ原さん! 何だよこれ!」


 助けを求めるように彼女のほうを振り向けば、天ヶ原さんは無邪気な笑みを咲かせた。いつもと何一つ変わらないはずなのに、このときばかりはそれが悪魔の微笑みのように思えてしまい、絶望が全身に広がっていくのがわかる。

 どうしようかと再び黒羽に顔を向けると、絶妙なタイミングで天ヶ原さんが口を開いた。


「大丈夫ですよ。これは神様が黒羽さんを人間にしてくださっているだけですから。浄化している、とでも言えばいいでしょうか」

「浄化……これが?」

「はい。わたしのときはちょっと強い静電気程度で済みましたけど、神様の力はそんな比じゃありませんからね」


 その説明を聞いて少し落ち着いたせいか、黒羽がまだ苦しんでいるにもかかわらず、神様はなかなか荒っぽいことをするな、と他人事のように捉え始めた自分がいた。まあ天ヶ原さんが言うのなら、本当のことなのだろう。あの光は強力ではあるものの、嫌な感じはしないし。

 すると、天ヶ原さんがすっとぼくの横をすり抜けて、黒羽に声をかけた。


「どうです? 黒羽さん。苦しいですか?」

「ま、しろ……?」

「でも、これは灰人さんが今まで受けてきた苦しみでもあるのですよ。悪魔が簡単に救われるだなんて、思わないでくださいね」

「あら……天使のくせに、厳しいのね」

「ふふ、厳しさも愛の一種ですよ。だから、もう少しだけ我慢してくださいね」


 そう告げた天ヶ原さんはにこ、と笑ったかと思うと、黒羽のもとを離れ、また先ほどいた位置まで戻った。そして、くるりと振り向いて、


「やっぱり心配ですか?」

「……まあ、ちょっとは」

「かなり荒っぽく見えるかもしれませんが、浄化にはそれなりの痛みも必要なのですよ。人の痛みをわからずして、改心などありえませんから」


 それは一理あると思うけれど、何も別に物理的な痛みを与えなくてもいいような気がする。

 すると、その考えが表情に出ていたのか、天ヶ原さんは困ったような笑みを浮かべてこんな提案をしてきた。


「心配なら、手でも握ってあげたらどうですか?」

「は?」

「あの光は、人間である灰人さんには無害です。わたしと触れたときも、特に何ともなかったでしょう?」

「いや、確かにそうだけど……」


 さっき触れたときは弾かれてしまったし、ちょっと痛かったんですけど。あれにもう一度、いや、それ以上に手を突っ込むなんて、かなり厳しくないか?

 そう躊躇している間にも、黒羽の悲鳴は響き続けている。――ああもう、仕方ないな。


「ふふ、さすが灰人さん」


 ゆっくりと黒羽に向き合うように身体を動かすと、愉快そうな天ヶ原さんの笑い声が聞こえてきた。それはまるで黒羽のようで。すっかり立場が逆転しているじゃないか。


「……天ヶ原さんって、そんな性格だったっけ」

「わたしは何も変わっていませんよ?」

「あっ、そう」


 じゃあ、変わったのはぼくの見方なのだろうか。まあ、そんなこと今はどうでもいい。今は、癪だけどこいつに手を貸してやるのが先決だ。


「――黒羽」

「カイ、ト?」


 しっかりと名前を呼べば、黒羽はゆるゆると頭を上げ、ぼくの名前を呼んだ。それはあまりにも弱々しい、こいつらしくない声だった。


「天ヶ原さんが言ってたように、それはぼくがお前に会ってからずっと受けてきた痛みだ。わかったか」

「あら……わたし、肉体的苦痛を与えた覚えは、ないわよ……?」

「うるさい。それと同じくらい精神的苦痛を味わったんだよ。それに、お前は人間じゃないんだから、それくらい耐えられるだろ」

「バカね、人間じゃないからこそ――悪魔だからこそ、神様からの光が一番つらいんじゃない」

「知ってるよ。だから、ほら」

「え?」


 ぶっきらぼうに、しかし真っ直ぐに自分の手を黒羽に向かってのばす。光の中に手を入れる瞬間はやっぱり少し痛かったけれど、さっきよりはすんなり入っていったのではないだろうか。


「手、握っててやるから。もう少し、頑張れ」


 さすがに恥ずかしくなって目をそらすと、ふふっ、と耳をくすぐるようなやわらかい笑い声が聞こえた。


「あなたと手をつなぐなんて、いつ以来かしら。思えばわたしが悪魔だって知って以来、あなたからわたしに触れることなんて一度もなかったものね」

「お前と手なんかつないだら、洗脳でもされそうだからな」

「まあ酷い」

「握らないなら引っこめるぞ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 そっと差し出された手は、少し震えていた。それをぎゅっと握ってやれば、黒羽は一瞬瞠目し、しかしすぐに嬉しそうにはにかむ。

 こいつの手、こんなに小さかったっけ。さっき言われたとおり、最後に触れたのはずっと昔だ。そのころはぼくのほうが小さかったくらいだから、ちょっと変な感じがする。

 それからは、あんなに途切れることなく聞こえていた断末魔の叫びは鳴りをひそめ、黒羽はその光が消えるまでじっとこらえていたのだった。


       * * *


「お疲れ様でしたー! 気分はどうですか?」

「悪くはないわね」


 光が消えると同時に駆け寄ってきた天ヶ原さんの質問に、けろりとしたカオで答える黒羽。おい、回復早すぎないか? まさかあれも演技だったとしたら、ぼくは願いを取り消すぞ。


「でも、これで本当に黒羽が人間になったの?」

「じゃあ、試してみましょうか。はい!」


 半信半疑で尋ねると、天ヶ原さんは黒羽の前に自分の右手を差し出してきた。天使である自分と握手をして試してみろ、ということなのだろう。


「初めて逢った日みたいね」

「でもきっと、あのときみたいにはならないはずです。あっ、悪意は流しこんじゃダメですからね?」

「さて、どうかしらね」


 冗談口を叩きつつも、そちらに向かってゆっくりとのばされていく黒羽の手。そして、二人の手が触れ合うと、


「ほら、ね?」


 かくり、首をかしげた天ヶ原さんはとてもやさしい笑みを浮かべていた。

 二人の手が触れ合っても、反発など起こらなかった。黒羽の具合が悪くなる気配もない。

 ということは、つまり。


「わたし、本当に人間になれたの……?」

「ええ、神様にできないことなどありませんから!」


 その言葉が信じられないというような表情で天ヶ原さんを見つめる黒羽。正直ぼくも信じられないけれど、こいつの驚きようからしてウソではないのだろう。

 それに、今もしっかりと結ばれた二人の手が、それを証明していた。


「よかった、な」

「ええ」


 ぽつりと一言つぶやけば、黒羽もそれだけ返し、また嬉しそうに微笑んでいた。




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