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グレーゾーンな恋人  作者: 久遠夏目
第四章 たった一つの願い事
27/32

03

 それを聞いた黒羽は一瞬瞠目したが、口に手を当ててうつむいたかと思うと、すぐに顔を上げた。狂ったように、笑いながら。


「あははははっ。ねえ真白、聞いた? 彼は神様と取引するために、あなたを利用していたのよ。彼があなたにやさしかったのは、自分を寿命を延ばすためだったの。酷い男よね」

「は、先に天ヶ原さんを利用しようとしたのはお前だろ。しかも、ぼくまで利用した。自分のことを棚に上げるのはよせよ」

「ふふ、あなたは本当にどこまでもわたしに逆らうのね。そういうところもすきなのだけれど、今回ばかりは譲れないわ」

「ぼくだって、引くわけにはいかないんだ」


 確かに、天ヶ原さんは黒羽にとっての人質ではあるけれど、神様との取引はあいつだけの特権ではない。つまり、天ヶ原さんは、ぼくが神様と取引するために、ぼくにとっての人質にもなりうるということだ。


「ねえ、真白。彼に利用されるくらいなら、わたしと組まない? そうすれば、あなたは彼とこのままずっと一緒にいられるわ。ただし、二十歳までだけれどね」


 この重苦しい雰囲気の中、一人だけ違うテンションで話しかける黒羽。しかも、相変わらず内容が下衆い。空気が読めないのか、あるいはあえて読んでいないのか――破壊を好むやつだ、おそらく後者だろう。


「いつ来るかわからない次の使命によって彼のそばを離れるくらいなら、記憶なんて取り戻さずに、二十歳という確実な時間まで一緒にいるほうがいいと思わない?」


 ぼくたちが黙っているのをいいことに、黒羽の演説はまだまだ続く。もはやここはこいつの独壇場だと言ってもいいだろう。饒舌で、狡猾で、こいつが悪魔だと知らなければ――いや、もし知っていたとしても、何か強い意志がなければ――、口車に乗せられてしまいそうだった。


「わたしはね、改心する気なんてないの。あなたもそんな存在に時間をかけるだけムダでしょう? わたしよりも助けるべき人間はほかにもたくさんいるわ。だから、あなたが記憶を取り戻せば、すぐにでも次の使命が与えられるでしょうね。そんなの、嫌でしょう?」


 だから、わたしと組んでここにとどまりましょうよ。

 それはまさに、悪魔のささやきとでも言うべき誘惑だった。的確に、そして確実に人の弱いところをついてくる。


(なあ、やっぱりお前がやったほうがいいんじゃないのか?)

(確かに、わたしのほうがあなたよりも数倍上手くあのコを懐柔できると思うわ)

(……じゃあ、何でぼくよりも数倍上手く懐柔できる黒羽さんがやらないんですかね)

(あらあら、ごめんなさいね。悪気はなかったのよ?)

(ウソつけ)

(でも、そうね。このくらいの年齢の女ノコはみんな恋愛に弱いからよ。友情よりも恋愛をとるほうが多いはず。だから、彼女をあなたに惚れさせる必要があるの。神様に対しての感情を友情とは言いがたいかもしれないけれど、記憶を失っている今なら、神様よりあなたをとるかもしれないでしょう?)


 あのときの言葉も、今のような事態を見据えてのことだったというわけか。恋愛だ友情だなんて少しバカにしていたけれど、こうやって(間接的にではあるが)追いこまれてみると、結構効果的だな。

 でも、


「彼女は天使だぞ。神様を裏切るわけないじゃないか」


 しかし、その意見に対して、黒羽はふっと嘲るような笑みを浮かべるだけ。


「あら、こういうときだけ神様を信じるの? ずいぶん都合のいい信仰ね」

「そりゃあまあ、日本人だからな」

「でも、彼女はすでに心が揺らいでいるはずよ。あなたをとるか、神様をとるか――天使にはあるまじき選択ね。神様は何よりも愛すべき存在なのに、たった一人の人間と天秤にかけられているなんて、なんて哀れなのかしら。でも、真白は悪くないわ。だって、あなたは記憶をなくしているのだから、今は人間に近いもの。恋愛にうつつをぬかし、迷ったって当然よ」


 黒羽の独壇場はまだ続いていた。こいつはいつまで主導権を握っているつもりなのだろうか。忌々しくそんなことを思いつつも、それを取り返せない自分が情けない。


「それにわたし、前に言ったわよね。人をすきになるのは悪いことじゃない、って。あれは天使であっても同じじゃないかしら。現にわたしだって人間をすきになっているもの。あなたが灰人をすきになるのだって、自然なことなのよ」


 まただ、あいつはあんなときから天ヶ原さんを揺さぶっていたというのか?


「さあ、真白。わたしと彼と神様。誰を選ぶ?」


 にやり、黒羽の顔に勝利を確信したような笑みが浮かぶ。


(生死に関わる選択だけは、間違えてはいけないわ)


 そのとき、何故かその言葉が頭をよぎった。そうだ、きっと今が天ヶ原さんにとっても「生死に関わる選択」なのだ。だから、ここでその選択を決して間違えてはいけない。


「……灰人さんもわたしを利用しようとして、わたしにやさしくしてくれたのですよね」

「……うん、ごめん」


 横から力のない声が聞こえる。それは、へたりこんだままずっと黙って黒羽の主張に耐えていた天ヶ原さんの声だった。

 純粋にぼくをすきになってくれたことは嬉しいし、それを知った今、利用して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 だけど、ぼくはそんなことであきらめるわけにはいかない。きっとこれが、神様とは思えないような存在が与えた理不尽な試練を乗り越えられる、最大のチャンスなのだから。

 だから、頼む。わがままだってことはわかっているけれど、お願いだからぼくを選んでくれ――


「そうですか……うん、それが普通ですよね。誰だって理不尽なことで死にたくはありません。交通事故ならまだともかく、悪魔の呪いで死ぬなんて嫌ですよね」

「……え?」


 ぎゅっと固く拳を握りながら、自然と垂れ下がっていた頭をゆるゆると上げれば、視線が合った天ヶ原さんはにこっ、といつものような笑顔を見せ、すっくと立ち上がった。


「まあ、失礼ね。やっぱりあなたは灰人を取るのかしら」

「どうでしょう。まだ聞いていないことがありますから」

「聞いていないこと?」

「はい。灰人さん、あなたの取引の内容は何ですか?」

「え?」

「あなたはわたしを人質にして、神様とどんな取引をするのですか? 神様に、何を願うのですか? 灰人さんの意見も聞かないことには、わたしは公平な選択ができませんから」


 黒羽のほうを向いていた天ヶ原さんが再びこちらに顔を向け、率直に問いかけてくる。


「そんなの、寿命を延ばしてくれ、に決まっているじゃない。ああ、それともわたしの消滅、かしら」


 眉を下げ、どこか自虐的に苦笑する黒羽。まさかの発言にぼくは思わず目を見開いてしまった。それを見て、黒羽はまた微笑む。


「ふふ、図星ね。それが一番都合のいいお願いだもの。わたしという煩わしい存在もいなくなるし、寿命も延びる。あなたの渇望していた自由が手に入るのよ。それを願わない手はないでしょうね」

「黒羽さん、わたしは灰人さんに聞いているのです」

「あら、ごめんなさいね」


 黒羽をたしなめるように言って、またこちらを真っ直ぐに見つめる天ヶ原さんは、もしかしたら何か勘づいているのかもしれない。


「灰人さん、あなたの願いは何ですか?」


 かくり、と首を傾げ、もう一度穏やかに問われた。


「ぼくの願い、は……」


 ごくり、とのどが鳴る。ふらふらと立ち上がったぼくは、今、きっと人生の中で一番緊張しているだろう。何故なら、


「ぼくの願いは、黒羽を人間にしてください、だ」


 そう告げた瞬間、天ヶ原さんはにこり、と満足げに笑った。




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