プロローグ
困難は、それを乗り越えられる者にしか訪れない。だから、神様は君たちに試練を与えるんだ。君たちには、それを乗り越える力があるということだよ。
これは、ぼくが中学三年生になった始業式の日、担任になった教師から言われた言葉だ。
それは、人生についてのありがたい教訓ともとれるが、中学三年生であるぼくたちにとって目下の試練といえば、受験だ。だから、担任はそれについての励ましとしてあの言葉をぼくたちに贈ってくれたのだろう。
思春期という難しい時期であったせいか――いや、そもそも「神様」なんていう信じがたい言葉を使ったせいか、それを信じる人もいれば、もちろん信じない人もいた。
そして季節はめぐって春、その言葉を信じていたのに志望校に不合格だった人もいれば、信じていなかったのにすんなり合格した人もいた。あの言葉が真実であろうとなかろうと、結局は自分の努力次第なのだ。まあ、多少運もあったかもしれないけれど、それも自分のものであって、誰かから与えられたものではない。
その後、クラスメイトたちがその言葉をどう受け止めていったのかはわからない。志望校に落ちたことも一つの試練と考え、これからもその困難に立ち向かっていく人もいるだろう。それでも、またいくつもの試練に遭遇し、いつかは挫折してしまうかもしれない。
はっきり言って、ぼくはそっちのほうが正しいと思う。あの先生は乗り越えられない困難なんてない、というような意味で言ったのだろうけれど、人生にはどうあがいたって乗り越えられない試練も存在するのだ。だから、そういうときはあきらめるしかない。あんな性善説みたいな言葉を贈るよりも、ぼくならこう言うだろう。「人生諦めも肝心」だと。
だから、ぼくはあの担任の言葉を信じなかった。そもそも、信じられるわけがないのだ。何故なら、ぼくにはどうあがいたって乗り越えられない試練が存在するのだから。
そう、本当に存在するのだ。乗り越えられない試練が、目の前に。
「おはよう。今日も不機嫌そうね」
「ああ、お前のせいでな。頼むから死んでくれ」
「あら、死ぬのはあなたのほうでしょう?」
「そんなの絶対にごめんだね」
乗り越えられない試練は存在する。だけど、ぼくはそれをどんな手を使ってでも乗り越えなければならない。そうでないとぼくは死んでしまうのだから。そう、目の前にいるこの悪魔のせいで。