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お化け屋敷から今出てきたところだ。現在、僕はすすり泣いている幻を背負って遊園地の出口に向かって歩いている。彼女はなんと、最初の仕掛けでギブアップした。そこからずっとおんぶ状態。お化けの人も気を使って過度な怖がらせ方はしなかったが、機械の仕掛けはそんな僕たちにもお構いなしに仕事をしてきた。ぜひ空気を読める機械を作ってほしい、と切実に思った。
彼女は根を上げてから一度も喋っていない。僕もそんな彼女をいじることはせず、遊園地を出て、駅のホームについた。
「そろそろ落ち着いた? あそこのベンチに座ろうか」
やはり駅にもそれほど人がいないので、僕たちは近くのベンチに腰掛けた。
「ありがとう」
素直に礼を言う彼女。あれほど泣いたことだし、相当疲れたのだろう。
「ええ、もう大丈夫よ。今私をおびえさせているのは、春君に私への三つの命令でどんなことをされるのか、ということだけだから。先に言っておくけど、あんまりエッチすぎるなのはだめよ。ちょっとなら、まぁ、問題ないけど」
「そんなことするか!」
どんな誤解をされているんだ。これはあまりにもひどいんじゃないか。僕が今までそんな想像をさせるようなことをしてきたわけが・・・いや、意外としてる?
「ふふっ、冗談よ。それより、そろそろ命題について話してもらいましょうか」
命題、なんかすっかり忘れていたが今日は僕が答える番だったな。今日の命題は”読書をする意味”だ。
「読書をする意味か。これは前に話した”勉強をする意味”と似ているね。やっぱり僕の考えも前と同じ、自己形成のためだな。今回の命題のほうがより具体的だけど」
”勉強する意味”は僕と幻が初めて語った命題だ。わずか一ヵ月半ほど前の話だけど、もうずいぶん前のことのように感じる。
「本を読むこと、それで得られることはいくつか思いつくけど。まずは言葉、ボキャブラリー。ボキャブラリーが多いってのは、話していて面白いというのにつながるし、選べる言葉が多いほうが、自分の思っていること、自分の内にある感情をより伝えられるよね。もちろん持っている言葉が多いことだけが、面白い会話の条件ってわけではないけど、決して小さな要因ではないはずだ」
僕ももう少しボキャブラリーが多ければ、幻ともっと楽しい会話ができるのかな?
「もうひとつは思想、個性。個人的にはこっちのほうが言葉よりも重要だと思う。それに、これはこの前の”ほかとの差異”ってのにも関係するね。評論はもちろん、小説でも作者のあらわしている主人公の考え方、主人公を通して伝わってくる作者の思想、そういうものがあるだろう。それが自分の思想の糧になるんじゃないかなって思う。僕自身もそういう経験があるし、幻だってあるだろう? 読書とは、それに含まれている思想、意見によって自分の考え方、人間性に厚みを与えていく、そういうものの一つ、それが僕の考えだ」
僕の考え。これも考えてみると面白いな。
「僕の考えってのも、僕の読んだ本がそれの形成に大きく関わっているのだから、はたして本当に”僕の”と言っていいのかな? それにその本を書いた作者も、おそらく何かしらの本を読んでそこから何かを得ているだろうから、そうしてどんどんさかのぼっていくと、どこに行き着くんだろう? 古代人かな?」
「もしあなたの思想が、みんなの思想が、その人が読んだ本から感じたことから成り立っているものだとしても、それを行ったのはあなた自身、その人自身じゃない。だったらそれはその人のものだわ」
そうか、そう考えることもできるのか。何か、今回は僕が語って彼女に何かを感じさせる役だったのに、逆に彼女からまた教えられたな。幻の言葉、これも間違えなく僕の思想を深めてくれているのだろう。
「どこに行き着くのかというのは、どうなんでしょうね? 思想が人間から人間へ伝わっていくものだとすると、はるか古代に生きていた人たちなのかもしれないわね。もしくは、神とか? だとしたら、ゴッドジョブね!」
ゴッドジョブ!・・・グッドジョブ!か。最後に余計なことを言った幻。このギャグが僕の思想に反映されるのは避けたいな・・・
「今回はここまでにしておきましょうか。まだ降りる駅まで三十分ぐらいあるわね」
彼女はかなり眠そうだ。もともとインドア派なのに加えて、今日ははしゃいだり泣いたりとずいぶん体力を使ったから、そろそろ限界だろうでも、たぶん彼女は自分からは寝ない。僕に気を使って、このまま雑談でもしようとするだろう。だったら僕にも考えがある。
「ところで、僕は三つの命令の一つを使いたいんだけど、いいかな?」
彼女は僕の唐突な質問に少し怪訝な顔をする。
「もう使うのね。まぁ約束は約束だし仕方ないわね。で、何に使うの? ここは公共の場なのだから、節度は守ってね」
相変わらずひどいことを言う幻。そんなに信用ないのかよ・・・
「それわもちろんわかっているよ。僕はここで三つとも使おうと思う」
これから僕のやることを自分で考えてみても、もったいないな~って思う。
「一つは、僕はさっきから肩が寒いからそれを暖めてほしい。二つ目は暖め方の指定。そのままこっちに倒れてくるようにして。そう、そんな感じ。そして三つ目、そこで動かれると気になるから、寝ていてくれると助かる。降りる駅が着たら教えるから」
三つの命令で僕は僕に寄りかかって寝る幻を完成させた。彼女はその意図がわかったようだが、命令なら仕方ないわね、と言ってすやすやと眠った。
楽しいこと尽くしだった今日の外出。外に出かけるのもたまにはいいな、としみじみと思い僕も彼女のほうに寄りかかった。