二、白契命題 (後編)
車は坂道を走っている。上り坂を登っているということは、帰りは下り道になるわけだ。
「フィフのおかれた位置についてはもう十分ね。これでやっと、本題にはいれるわ」
下準備、今までの整理は言ってみれば地盤固めだ。足元をきちんと固めておけば、それなりのものをたてることが出来る。それが建築の組み立てであれ、思考の組み立てであれ。フィフはなぜ死ななかったのか、この命題も三十分前よりはずっと考えやすくなった。
ここで一応いっておくと、考えやすくなったからと言ってより納得のいくものを考えられるとは限らない。空はあんなに高いのに僕たちが地面を歩いているように、上限があがってもスコアは変わらない。
でも、こんな言い方も出来る。
人はあの高い空を見るからこそがんばれる。リミットがはるか遠くにあるほど張り切れる。
こんな相反する考えなんてどこにでもあるものだけど、こういう時僕はプラス思考の元になるものを選んでとる。後ろ向きな気持ちでいるよりは、楽しいから──
「それでは、ここは春さんから語っていただきましょう」
白さんの促しにうなずく。幻のこちらを見る瞳を一度見つめ返して、それからはじめる。
「フィフが選んだ選択は死なないこと、ジェイとの約束を果たすこと、だったよね。この選択が今回のテーマになる。どうしてその選択をしたのか、どうしてか」
道は少し険しくなり、僕の座っている黒皮のシートにもほんのわずか振動が伝わってくる。僕はそのゆれを感じながら続ける。
「僕が思うフィフの取れる選択肢は、進み続けることか立ち止まることか…… あとは終わること」
進むにせよ止まるにせよ、そこには自分がある。だから残された選択は、自分をなくすこと。精神的にでも、肉体的にでも。
「そうね。しいて言うならそこにあとひとつ、終わらせるという選択もあると思うけど」
「終わらせる。ジエイを殺めた彼らを、終わらせるということですね」
確かにその選択もあるのか。全体を見渡しているつもりでいても、やっぱり見落としているものはある。そして僕には幸い、それを拾って届けてくれる人たちがいる。僕は彼女らの補足に感謝して、そして少しだけ考え直してから口を開く。
「フィフはここでとまらず進んだことを選んだわけだけど…… 正直言うと僕はこのとき、彼女は終わることを選ぶと思っていた」
立ち止まる、というのは聞こえはあまり良いとはいえないけど、その行動自体は歩み続けるのと同じくらい厳しい。止まり続けるというもなかなかに難しい。続けることは、何でも難しい。
だから──終わる。その選択をフィフは選ぶと思っていた。もちろん終わるということを、自分を亡くしてしまうということを甘く見ているわけではない。ある意味で言えばそれは、あり続けるということよりも難しいといえるかもしれない。それでも、永遠の痛みよりも瞬間の雷に身を任せるのではないかと思った。
「私も、ジェイがシェルの弓に射抜かれたときには、そう思いました」
「そうね、もうひとつの可能性なんて出してみたけれど、私もその選択を予想していたわ」
みんなの想像は一致していた。そしてみんな間違っていた。フィフは、彼女は、僕らの予想とは別の行動をとった。
「僕らの考えとは違ったその選択を選ばせた要因、彼女の持っていた力はなんだったのか。これが今回の命題の核だと思う」
周りの飾りをはいで、輪郭をぼやけさせている煙を吹き払って…… そうして見える中心は、一番大事なところは『その力』だと僕は思う。そうと考えて論理を展開していこう。
「こういうときは『もしも』を考えてみると良いんじゃないかな」
「もしも? イフのもしものことかしら?」
僕はうなずく。幻は唇の指を当てて考え込んでいる。白さんはひざに手をそろえて僕の話を聞いている。タイヤの受け取る細かい振動が妙に気持ちいい。
「もしも彼女がそうしなかったら。もしも彼女が終わりを選んでいたら…… あの物語はどういう展開を迎えていたのか。その『もしも』を想うことが手がかりになる。この『もしも』、白さんはどう思いますか?」
「え? そ、そうですね…… 繰り返し、だと思います」
思ったよりも早く返事が返ってきた。それも一言で、既に自分の考えをまとめた上で、その本質だけの返事。急にそんな粋なまねが出来るはずはないから、白さんも同じようなことを考えていたのかもしれない。もしくは、僕には出来ないことが出来る人なのか…… いや、根拠のない妄想はやめよう。想像は自分の行く先を照らし、妄想は光をまげて道を険しく見せる。わざわざ自分からつらい思いを受ける必要はない。
「繰り返し? というのはどういう意味かしら?」
首をかしげる幻。実を言うと、僕もそれがどういう意味なのかわかっていない。考える方法は同じものを使っていたのかもしれないけど、その行き着いた地点は別物のようだ。もしくは同じ場所でもその景色の表現の差で、別のものだと思っているだけか……
「ぁ…… すみません、あいまいな返事でしたね。繰り返しというのは、文字通りリターンのことなのですが…… もしもフィフが自らの死を選んだとき、彼女が二国を平和にまとめる、という未来は消え去ります。そしてそこには、いまだに争いを続けている二国、が残ります」
聞き取りやすい声。白さんは何かを説明するとき、それが伝わりやすいように工夫をしている。それの行き着く先が演技になるのか。それとも演技を学んで途中で得たものがこの工夫なのか。なんて、まるで『卵と鶏』のようだな。まぁどちらが先にせよ、今白さんはそれが出来る、ということは事実だ。過程はどうあれ、そういう結果にはいたっている。
「そして、繰り返される」
僕は彼女に一度うなずいてから言った。やっぱり言葉が違っただけで思っていることは同じだった。同じだったからいいとか違ってたから悪いとか、そういうものじゃないのは解っているけど、なんとなくうれしくなる。
「だから、繰り返しって?」
幻にしては珍しくまだその言葉の表す風景が見えていないようだ。坂はいつの間にか下りになっていた。振動もさっきより大きい。僕はなんとなく、到着の予感を感じた。
「悲劇の繰り返し。と形容詞をつければ解りやすいでしょうか?」
「あ! それわかりやすい」
「……」
あらら、幻がむすっとしてしまった。僕らだけが認識していて、彼女だけが気づいていない話題で盛り上がっていることが不満なのか。でもそんな反応をされるとついついこの状態を続けたくなってしまう。
「じー」
……。幻がにらんでいるので今回はこれ以上はやめておこう。引き際が肝心っていうけど、僕は少し遅かったようだ。
「つまりさ、フィフの国にもジェイの国にも、彼らと同じような状況になったカップルがいるかもしれないってことだよ。彼らのように生まれた土地によって愛を果たせない恋人たちが、きっといるってことだよ。フィフが自分の悲しみにつぶされて、そのまま終わりを選んでいたら、彼らと同じような状況の人たちもずっとすくわれないことになる。物語での二国関係を考えれば、その後和睦するっていうのは考えにくいし、あってもきっとずっと先のことになる。だから──」
「だから、フィフは死ななかった。わけです」
今度は目で白さんに先を譲った。幻がすこし面白くなさそうな表情を浮かべたが、すぐにいつもどおりに戻った。いつもどおりの冷静な幻に。
「あぁ、そういうこと…… 私は私で、別の考えをもっていたから。てっきり二人とも同じことを考えているのかと思っていたわ」
「考えが視野を狭める。そんなこともあるんだね」
僕は主に数学の問題を解くときにそれを起こすけど。このやり方があっていると思うと、たとえそれが間違ったプロセスだとしても、その先を行こうとしてしまうことがある。切り替え、できていそうでできていない大きな技術だ。
「それで、別の考えというのは?」
「そうね。白姉さんに倣って言うなら、まぶたの問題、かしら」
まぶたの問題? これはまた、まったくわからない。
「つまり、現実を見るか見ないか。ここで言う現実は、死は何も解決してくれないこと。ここからだと春君たちの思考につなげられるわね。死を選んでも、繰り返し──悲劇の繰り返しは必ず起きるということかしら」
先ほど彼女をむっとさせたあのフレーズを、幻はあえて使った。気がつくと、僕らを乗せた車はいつの間にか私有地らしき土地を走っていた。終わりの予感、というよりもはや確信か。
「でもさ」
終わりの予感なんていいながら、ぜんぜんしめに入るつもりはない。最後にひとつだけ、どうしても二人の意見を聞きたいことがあるから。
「人間ってさ。そんな使命感や責任で動けるものなのかな。繰り返させないためとか、現実を見るとか。そんなことをしてもさ、結局のところ彼は戻ってこないわけだよね」
二人は黙る。車はどんどん終わりに近づいていく。僕は続ける。
「だからさ…… そういう気持ちを持たせるさらに根っこっていうのがあるんじゃないかなって、思うんだけど」
白さんは一度だけ目を閉じて、それから澄んだ瞳を見せた。幻は深く息を吸って、その肺を膨らませた。
「そうですね……」
「そうね……」
「うん……」
二人とも、そして僕も、思っていることは同じなのかもしれない。説明は出来なくても知っているそれ。その一言が頭の中に浮かんでいる。
「これは僕の力不足を明らかにするしめの一言になるんだけど…… ふたりは、それ以外で何か言葉を持ってる?」
「いいえ」
「私もです」
そうだよね。死っていうのは、まだまだ僕たちが語れるものじゃないのかもしれない。なんでかって、最後の最後でまた今の自分たちでは説明できない言葉を使うんだから。
「それじゃあ、さいごはみんなで」
「はい」
「ええ」
車が止まった。ここまで運転してくれた人が先に下りて、後部ドアを開けてくれようとしている。いまならこの恥ずかしい敗北宣言を聞かれずに済みそうだ。僕たちは苦笑いしている。
「フィフが死を選ばなかった理由は」僕が歌うようにいった。
「その責任を果たすことが出来たのは」幻が目を閉じていった。
「フィフの心の根にあるそれは」首を振っていった。
「「「愛」」」
だね。よね。ですね。そこだけは重ならなかった。
影「まだ子供だね」
光「アタシらもな」
凪「でも、そうと知ることは確かな一歩よ」