二、白契命題 (中編)
「物語の解釈、といっても何をどうすればいいのかあいまいですね。なので、今回これから考える点を決めましょう」
この物語、敵対する二国の王子と王女による許されない恋、そしてそれが巻き起こす悲劇、これにはたくさん考えさせられるところがあった。どれについて考えるとしても、いろいろと考えさせられるだろうし、そして何より楽しい。ここには、誰と考えるか、という要素が作用しているかもしれないけど。
「あ、これは先に言っておいたほうがいいかもしれませんが……」
白さんはいつの間にか、普段の彼女に戻っていた。いつもの、おとなしくてやさしくて、かわいらしいはにかみ方をするお姉さんに。
「契命題の目的は、春さんが幻ちゃんを幸せに出来るかについて家族が試すもの。私はそんなことをするまでもなく春さんの人となりを知っているつもりです」
車の振動音は相変わらず無に等しい。窓の外には一面畑が広がっていた。左右に無限に広がるような土。それらに囲まれた車内で僕らは会話をしている。
「なので……」
白さんは僕の手を握り、そして幻の手を握った。
「私は十坂春さんを、幻ちゃんの相手として──認めます」
「ありがとう、白姉さん」
……。え?
「な、なので、これは…… あくまで楽しむための催し物といいますか…… あの……」
もじもじしだす白さん。うつむきがちにチラチラとこちらを見ている、が…… 僕の頭は今、冷静にそれに対応できる余裕はない。え? いま僕は白さんに認められて、それで契命題はこれからやって、でももう認められていて……
「あ、あの…… そんなに、見つめないでください……」
ぐはっ。
「春君。どういうつもりかしら。もしかして、心変わり?」
「えっ? いやっ違っ」
剣呑な雰囲気をかき消すようにブンブンと顔を横に振る。と否定しながら、今のうちに白さんの言葉も脳内録音しておかないと…… こ、これくらいは別にいいよね?
「ただ、驚いたから」
何とか静かな炎を鎮めた幻。いつになく迫力のあったあの表情は嫌でも永久記憶されてしまうだろう。
「いや…… てっきり、今回もいつもみたいに、僕が考えてそれから判断されるものとばっかり思っていたから」
「春さん…… こんなことは釈迦に説法かもしれませんが……」
僕の瞳に語りかける白さん。でも、釈迦に説法ってのは言いすぎだと思います。子供に注意、ぐらいが妥当なのかな。
「あなたの挑む契命題…… それについて確かにいえることがひとつあります。おそらくもう気づいていて、今はうっかり忘れていただけだと思いますが、それでも言わせていただいて、いいでしゅか?」
……。かわいい……。
「……いかがですか?」
「はい」
僕は笑いそうになるのをこらえ、これ以上彼女に恥をかかせないようにと努めた。幻はとくに笑うこともなく、無言でうなずいている。きっと彼女は白さんのこういうところを飽きるほど経験しているから、いまさらどうこう思うこともないんだろう。経験は刺激を薄める。それがプラスであれ、マイナスであれ…… って別に、こんなにかわいらしいものをかわいいと思えないなんてかわいそうだなぁとか、そう言うことを言ってるわけじゃなくて……
閑話休題。彼女へ順番を譲ろう。
「それは──”いつもどおり”とか”経験則”とか、そういった『前提』として考えていいものなんてない、ということ、です」
最後のほうは小さな声になっていたが、それは自信を持って語っている言葉だった。故に、かみ締めるべき、考えるべき言葉。
「そういう意味では」
ずっと黙っていた幻が口をあけた。正面を見たまま、一面の畑を目に移しながら語る。
「春君の先ほどの狼狽も、そういった『前提』を信じていたから起きたものかもしれないわね。破天荒とか、想定外とか、そんなことを感じたのなら、それは今回で最後にしておいたほうが良いわ」
そう言ったものは、何も毎回よい方向へずれてくれるわけじゃないんだから、それが致命傷にならないように。とだけ言ってから僕の瞳を見つめた。
「うん…… そうだね」
反省。そうだ、何を甘えていたんだ僕は。定石とかパターンとか、そんなものを信用、いや盲信してどうにかなるようなものが、そんなもので人を試せるわけがない。僕はルールを見極めて従う力を試されているわけじゃない──違うだろう。彼女に、魔淵幻を幸せに出来るかを試されているんじゃないか。だったら、そんな甘えや慢心は今のうちに捨ててしまおう。持たないことを恐怖してはいけない、時には手放さなきゃ、離れなきゃわからないモノだってあるのだから。
「わ、私の今回の方式も、ただ前回と…… 祭お姉さんと違っただけで、これも『ひとつのあり方』ということですが…… あの…… やっぱり余計なお世話でしたか?」
心配そうな顔をする白さん。僕は首を横に振る。
「いいえ、ありがとうございました。気づいてなかったことを教えてもらいました」
「なら、よかったです」
はにかむ白さん。あぁ、やっぱり優しいなぁ…… と、和んでいると……
「コホン」
幻の咳払い。
「それじゃあ、そろそろ良いかしら? 春君?」
上品な微笑の幻。何か言葉に出来ない迫力に気おされ、僕はコクコクと二度うなずいた。首が少しだけ痛くなった。
「それじゃあはじめましょうか。いくら契自体は認められたからといっても、ちゃんと考えてくださいね」
「それはもちろん」
むしろ契命題でないからこそがんばらないと。コレは僕という人間が試される、幻という人間が、白という人間が試される、そんな問答なのだから。僕の人となりがさらされる、二人の哲学を感じる場なのだから。
「テーマは『なぜ彼女は死を選ばなかったか』です。王女が王子の死で崩れることなく、生を選び抜いた理由です」
畑は森林へと変わった。僕たちの思考は始まった。
「まず王女に起こった事柄について整理しましょう」
テーマが定められてから思考に沈黙する、ということもなくそのまま問答は始まった。最初に口火を切ったのは幻。
「王女が絶望の淵に立たされ、どちらへ一歩を歩むのか──そのまま下へ落下するのか、悲しみを背負ったまま生きるのかを選ぶことになったのは、二人が出会ってから三年目だったわね」
どうあったかを知り、それからどう思ったかを感じる。物事はつながっている。そのつながりを、今幻は見定めようとしている。
「王女の…… 今思ったのだけれど、王子とか王女とか、王女の兄とかの名称で語るのは面倒ね。無駄に話がややこしく見えてしまうわ。この三人はこれからの会話に多く登場するだろうし、きちんと固有名詞をもって呼びましょう」
「名前ね。具体的な呼び名がついていると、考えがそれだけ狭められてしまうと思ったから、あえて伏字にしたけれど…… 幻ちゃんがそう言うなら、特定しない呼び方はやめましょう」
僕も同意を示すためにうなずく。白さんの行っていた配慮も確かにわかる。でも、三人ともその物語を知っているんだったら、それぞれ名前を使ったほうが感情移入できるというのは一理ある。固まることは、悪いこととは限らない。
「えっと確か、王子がジェイ王女がフィフ。それでフィフの兄がレンだったっけ」
僕は頭からそれらの名を引っ張り出した。
「ジェイとフィフとレン。ついでに言うならジェイを殺した弓兵はシェルだったわね」
幻の補足。これで主な登場人物の名前は明かされた。やっぱり実名を用いたほうが、王子王女なんて呼び名よりしっくりくる。幻のあの一言は意外に大きな影響を持っていたのかもしれない。
「それで、まずはフィフの立ち位置でしたね。ジェイと誓いを立ててから二年後の秋、フィフが自分の部屋でベランダに出て星に語りかけていたんですよね『あぁ、あれからもう何回の夜をすごしたのかしら。ジェイと誓いを交わして以来、私の中にあるこの熱は、この思いはいつまでも薄まることなく、むしろその強さを日に日にまして行くようだわ。これはきっと、ジェイの愛がさらに深まるための、神様の試練なのね。そうなのでしょう、我らが主』という台詞でしたね」
フィフの喜び、フィフの心の高まりを表現するような読み方。ありきたりな感想かもしれないけど、その情景が目に浮かぶようだった。
「そしてその話を、彼が聞いていた」
フィフの兄、レンは偶然その話を聞いていた。そして、妹の思いと、国の立場について思い悩んだ。
「じー」
ん? 幻が僕をじっと見ている? え、台詞? って、僕があの台詞を言うの? でも、さすがになんて言っていたかなんて覚えていないよ。
「どうぞ……」
なんて顔をして二人を見たら、白さんが手持ちのバックから例の本を取り出した。ご丁寧に、僕の読むべきページをすでに広げてくれている。なんて用意のよさなんだ……
「ん、こほんっ」
「じー」
「じ、じー」
……って、そんなに見られると緊張するよ…… まったく、何でこんなことに……
なんてぼやいても仕方がないので、僕はのどの調子を確かめてから、いや実際そんな微調整したところで何も変わらないんだけど、それでも雰囲気作りもかねて軽くせきをしてから口を開いた。不自然なほどのどが渇いていた。
「おぉ我が妹よ。どうして、どうしてその男なのだ? なぜよりによって敵国の王子なのだ? 私は、お前が誰かを愛したときには、それを誰よりも応援しようと心に誓っていたのに、よりにもよってジェイとは…… あぁ、フィフ…… その恋は、いや、愛と呼ばないと無礼にあたるか。その愛はかなわない。それは我ら両国が許すはずもない。あぁ、我が愛する妹よ」
「……」
「……」
……。あれ? 台詞間違えてた? いや、そうだとしてもさ、黙られてしまうとこっちもどうすればいいのか……
「……やりますね」
白さんが気合のは至った目で僕を見ている。
「……さすがね」
いや、そんなにうなずかれても……。あれ? こんな唐突な芝居が以外に好評価?
「あ、あれでよかったのかな?」
なんだかよくわからないけど感心されているのか。なんだか偶然ひったくりにぶつかって、その結果罪人を逮捕できたときのような、バットを振ったら偶然ホームランを打ってしまったような…… そんな奇妙なかゆさが残るものだけど…… って、どっちも経験したことないからただの想像なんだけど。
「えぇ、コレはまるで……」
幻が言葉をためて、ためて……
「毎日お風呂でこっそりと好きな漫画の台詞を練習している人並みの演技力ね」
「そうですね。トイレに入るといつも仮想人格で演技練習している人クラスの迫力でした」
ぐはっ。なんなんだその的確な例えは。いや確かにねそりゃ僕だって好奇心もあれば向上心もある男の子だからそんなことの一回や二回ないこともないけどさでもそんなピンポインチョ…… あ、噛んじゃった……
「さて、春君の迫真の演技も披露してもらったことだし、そろそろ次へ移りましょうか。あら、どうしたのかしら春君?」
「いや、なんでも……」
このアクションで僕の被ったダメージは、肩を切って町を歩いていたらズボンのチャック開いていることを指摘された中学生レベルだ…… モチロン、そんな経験ありませんがっ!
「えっと、ここでレンが妹とジェイの、敵国の王子王女の契りを知りましたね。ここから、レンの葛藤、フィフへの説得などがありますが…… これも台詞を読んでいきますか?」
ブンブンブンブン。
「そうなの、残念ね。まぁ、そういうものは後でのお楽しみにとっておきましょう。それでレンは結局王国で一番の弓使い、シェルにジェイを殺させるのよね。このシェルは実はジェイと知り合いだったりするけれど、それは今回の命題にはかかわらないだろうから、割愛させてもらいましょう」
前半部分は聞こえなかった。聞こえなかったのでなかったことにっ! ならないのが人生である。
「これで、ジェイが暗殺され、王女フィフの身辺の事情は把握し終わったわね」
「暗殺が起きたのは夜中、次の日の朝にはもうフィフはそのことを知ったのでしたね」
「それで、彼女は選択した」
うん。いつまでもしょげていても仕方ない。意趣返しってわけでもないけど、一番かっこいいあの台詞は僕が言わせてもらおう。迫真の演技とやらで。
「神はどうしてこんな仕打ちを?」
幻の言葉に、僕は深く息を吸って準備をする。
「どうして、私たちが何をしたというのですか?」
僕は頭で一度、その台詞を練習して、噛まない程度にリラックスして、そして……
「「「これがあなたの決定ですか」」」
……。今ここに、以外にいいところを取りたい人間が三人いることが判明した。……こんなことってあるんだぁ。
車は坂道に入り、僕の体は自然とクッションにしずんだ。心もちょっとしずんだ。
蓬「え? え? 今回で後編で終わりで…… 次には僕らも出れるんじゃなかったの?」
蓮華「うるさい僕っ娘。そう言うこともあるのよ」
世御「ほっほっ。あの若造、一話分命拾いしたの」
凪「あらら、あなたたちはまだ出てきちゃだめよぉ。困ったわぁ、どうしましょうか」
次回、後編です。うそ予告してしまってすみません。