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命題と恋愛  作者: 高居望
契命題
31/36

一、祭契命題

 自室。ベッドの上。十二月二十三日の夜十時、僕は明日のことを考えている。

 十二月二十四日、クリスマス・イブ。

 去年までの僕なら、この日に思考することといえば、クリスマスイブのつぶし方。彼女はもちろん、こんな日に一緒に遊ぶ親友もいなかった僕のような人間には、面白いことなんて何一つない日だった。まあぁ、強いて言うならクリスマスケーキぐらいが数少ない楽しみか。

 だけど、今年の僕は────契命題、これを差し置いてほかに考えるようなことはないだろう。

 ここ数日、そのことばかり考えている。命題にはだいぶ慣れてきたけれど、今回はいつもとは勝手が違う。その抑圧が緊張を生み、緊張から命題の予行を試み、導き出される芳しくない結果がプレッシャーとなり・・・そんな蟻地獄に陥っている。それがわかっていても抜け出せないのだから、なかなかどうしておかしな話だ。

「ふぅ」

 自然とため息が出る。そういえば、ため息をすると幸せが逃げるって聞いたことがあるけれど、それって人間にはもともと限られた幸せが生まれつき備わっていて、それを消費して生きているってことなのかな。いや、何も供給源がないなんて言っていないか。幸せを呼ぶ、なんて言うとまるで胡散臭いラッキーアイテムみたいに聞こえるけど、そんなものがあってもおかしくない。順当に考えれば、それは愛か何かかな。同時にもうひとつ、ため息をしすぎて幸せがゼロになった人間の末路というのも気になるな……。

 あれ? いつの間にか話の軸がずれている! 僕は明日のことを話していたのに。

 気を紛らわせるならもっと現状に関係のある話をしたほうがいいかな。たとえば、契命題についてとか────。



 契命題。僕がおとぎに告白して、これが始まった。

 それはつまるところ何なのかというと……間淵家の人間と結婚するための試練だ。

 契命題自体は幻のお父さんが作ったらしいけど、それ以前から間淵家ではそういう伝統が続いているそうだ。自分の娘を任せられるかをはかる試練。それはいろいろな形をとって、僕が受けるそれが契命題というわけだ。

 つまり、幻との交際を正式に認められる条件が契命題────間淵家の家族から与えられる命題について自分の意見を語り、相手を納得させること────を達成することというわけだ。

 


「はぁ」

 改めて現状を認識したところでまたしても幸せが逃げていく。

 これからやることが決まっていて、さらにそのルールすらも明示されているのに、いったい何にビビっているんだい? なんてあきれるかもしれない。

 しかし言おう、それは軽率であると。

 僕がこんなにも心配しているのは、そのルールについてなのだから。

 もう一度確認してほしい。『与えられる命題について自分の意見を語り、相手を納得させる』、これってかなりあいまいだと思わない?

 相手を納得させる、この不明確なルールが気にかかって仕方ない。つまり、僕がどんな意見を述べようと、相手が納得したと思わない限り認められないわけだ。納得なんて外からじゃわからないし、論点に関係のない感情、たとえば僕のことが嫌いとか、そんなこんなが混じりかねないじゃないか。

「ふぅ」

 わかっている。本当はわかっている。そんなこと当たり前だって。

 人と人との関係に個人的思考が入らないわけがない。要するに、僕は当たり前のことをさも問題のようにいって、僕が失敗したときの責任を僕以外の何か、他人の気まぐれ、それに押し付けようとしているだけだ。

「あぁ、かっこわりぃ」

 もう寝よう。これ以上考えても悪方向へ落ちていくだけだ。

 見えないカオスにビビったところでどうしようもない。備えあれば憂いなしとはいっても、何を備えればいいのかわからないときだってある。そんなときは必要以上に考えないことも大事なはず。

 なんてったって、僕は僕のできることしかできないんだから。

「おやすみなさい」

 ふっきりで少し楽になった頭を休ませるよう、僕は意識を閉じていく。明日へ向けての休息。


────────────────────────────────────────


「それじゃあ、はじめよっか」

 祭さんが開始を宣言した。

 

 間淵家。和室。これまで一度も足を踏み入れたことのない、広さ十五畳程度の畳部屋に、僕と幻、そして祭さんが向かい合って座っている。ほかには誰もいない。ギャラリーは禁止なようだ。

「それじゃ、最初ははるっちね。バッチリ聞くから、ズバッとどうぞ!」

 僕の緊張をほぐすためか、いつもどおりフランクな祭さん。

「はい」

 肩の力を抜いて、雑念を追い払って集中する。そして、はじめる。

「どうして努力をするのか。それが今回の命題でしたね。まず何のために努力するのかについて考えて見ます」

 大丈夫。声もそんなに震えていないし、頭だって働いてる。さっきの祭さんの励ましが効いているのだろうか。

「努力の理由、それは目的達成のため。はじめはそう思ってました」

「はじめは……ね」

 相槌を入れてくれる祭さん。些細なことだけど、僕が話しやすいように心を配ってくれてる。

「でも、目的達成が理由だとしたら、それがかなわなかったとき、その努力は、それまでのがんばりは無駄になってしまうのか。もしそうなら、努力は目的を達成したときだけ価値があって、それ以外ではやってもやらなくても同じ、ということになってしまう」

「それだと現実と反してしまうわね」

 幻も僕のサポートをしてくれる。自分も緊張しているだろうに……心が少しあつくなる。

「そう。現実では、目的を遂げたか否かにかかわらず、がんばったことに価値がある。努力自体に価値があって、それは無駄になるものじゃない」

 無駄な努力なんてない。きれいごとじゃなく、本当にそうだと思っている。

「だから、努力の理由は別のところにある」

「それは何かな??」

「それは────生きるため」

「生きるため、とはどういう意味かしら?」

 幻からの問い。話の流れがスムーズでやりやすい。

「いまから話すよ。自分が何かがんばっているときのことを想像してみてください。たとえば運動、たとえば学問、たとえば料理」

 最後のひとつに幻は反応した。適当にあげた例だったけど、彼女にとっては想像しやすいものだったらしい。最近料理うまくなってたしね。

「そのとき、どんなことを思っていたか、思い出してみてください。……どうですか? 意外とおもいだせないでしょう」

 僕自身も自分が努力しているときに何を思っていたかなんて思い出せない。

「がんばっているときは、それしか頭にないとか、とにかく夢中だった、とかよくいうけれど、実際のところあまり、いやほとんど覚えていない。いわば謎、それが正体」

「確かに、力いっぱい走ってるときとかって、何を考えているのか思い出せないにゃあ」

 かわいらしい語尾は大歓迎だけど、今日このときは遠慮してほしかった。思わず微笑んでしまった僕の隣、そこには幻がいるのだから。

「そうね。何か努力しているとき、つまりは集中しているときの自分の思考はわからない。それがわかったら集中していることに矛盾するものね。わん」

 ……。語尾装飾に失敗した人間の末路か。まぁそれでもかわいいけど。

「とりあえず、努力しているときに何を考えているかわからない、というところまでは納得してもらえますか?」

「うんうん! 大丈夫だよ」

「では次に、何を考えているか分からないことを承知で、何を考えているのか想像してみてください」

 祭さんの、そして幻の反応を待つ。

「うーん。どうだろう……。プラスかマイナスで言えば、たぶんプラスのことを考えていると思うけど……」

「私もそれくらいしか想像できないわね。きっと自分の想像する楽しい未来、そんなことを想像しているんじゃないかしら」

 二人とも、こんな無茶なお願いにも付き合ってきちんと想像してくれている。

「それでいいんです。プラスなこと、楽しいことを想像している。それはきっと、そのときの高揚した気持ち、目的に向かって進んでいるときのわくわくする気持ちから導いた想像だと思うけど、その想像が導かれることが重要なんです」

「んん、どういうこか、よくわからないかも」

「あ、すみません。努力しているときはわくわくしている、それは当然といっていいでしょう。しかし一方で、目標を追いかけることへの疲れ、なかなか思うようにいかないもどかしさ、そういったものもあるはずです。いいことだけじゃなくて悪いこともある」

 どんなことでもそうだけど、いいことだけのことなんかない。当然何かしらのマイナスの要素も絡んでくる。

「にもかかわらず、そういったプラスとマイナスを併せ持った努力を振り返ってみると、僕たちはなぜかプラスのことばかり覚えている。楽しかったことと同じくらいつらかったこともあっただろうに、どうしてかつらかったことはそれほど覚えていない」

「確かに、それを確かめる例ならたくさんありそうね」

 料理の特訓とかね、とは言わないでおこう。料理がうまくなるまでには、それに見合った失敗、それを経験しているはずだけど、今幻に残っているのは、料理が得意だという事実。人はそうやってできているんじゃないんだろうか。

「同じ楽しいでも比較的努力の少なかった楽しみ、その場限りの楽しみっていうのは意外と忘れちゃったりする。それも考慮すると、最初の命題への僕の考えが完成する」

「わわっ! ついにはるっちのまとめが聞けるのかなっ!」

 話の続きをわくわくして待つ祭さん。顔にこそ出さないが幻だって聞きたいと思ってくれているだろう。

「つまり、努力をするのは楽しい思い出を作るため。将来つらくなったときに思い出せるような楽しい思い出をを未来の自分にプレゼントすること。またがんばろうって、壁を乗り越えて生きていけるように」

 がんばったことは忘れない。それが自分の糧になり、明日の自分を支えてくれる、なんて言ったら格好つけすぎかな。

「それが、はるっちの考え、そういうことでいいのかな?」

「はい」

 自信を持って答える。僕のできることはできた。後は祭さんの判断を待つだけだ。

「では、宣言します。わたしはあなたの主張に納得しました。私はあなたと幻ちゃんの契を認めます」

 祭さんはやさしく微笑んだ。そして右手を差し出す。

「幻ちゃんのこと、よろしくね。わたしもはるっちよりかっこいい人を見つけちゃうからっ!!」

「祭さん」

 祭さんと握手をして、第一の契命題は終わった。

 って、あれ?

「そういえば、幻も命題についての考えを話すんじゃなかったっけ?」

「ああ、それはね」

 祭さんが答えてくれる。

「私たちが判断するのは、はるっちが幻ちゃんを幸せにできる人かってことと、幻ちゃんがこの家を出ても立派に生きていけるかってことなんだけどね。後の方のは割りと体裁だけで、はるっちのことを認めた後に、最後の締めをかねて幻ちゃんと私たちが命題について一言語るってことなの。って幻ちゃんから聞いてない?」

 僕は首を横に振る。そんなこと、完全に初耳だ。

「え、あら。ふふっ、それは春くんを油断させないためよ。余計な情報を聞いて春くんの集中にさし伝えたらまずいものね。ええそうよ、わざとってなかっただけで、全然まったくこれっぽっちも忘れてなんかなかったわ」

 ……。幻、忘れてたろ。

「命題については事前に相談するのはしないって決めたのは春くんだったし、このことも『命題について』に含まれることだから言わないでおいたのよ」

 ……、いや、確かに言ったけど。事前に相談することで、逆に自分の考えがぶれてしまうかもしれないからって、幻の考えに曳航された『自分の考え』ができうるからって、相談は無しにしようって言ったけど……、それは事前に知っておきたかった。

 まぁ知っていたからってどうこうなるものえもないか。でもとりあえず、忘れていなかったふりはする必要はないと思う。ていうか、するな。

「じゃあ、次はわたしたちだねっ! それじゃ、幻ちゃん、先にどうぞっ!!」

「努力をする理由。それは自分のやりたいことを見つけるため。いろいろなことに挑戦して、自分が本当にやりたいことを見つけるためだと、私は思うわ」

「つぎはわたしね。がんばる理由。世界を広げるため。自分の知らないことでもがんばって、そうやって自分の知っていること、自分の見えている世界を広げるためって思うかな」

 二人がそれぞれの考えを語った。二人とも僕とは違う意見。短いながらも言いたいことが伝わってくる。

 やっぱり、こうやって自分の意見を聞いてもらって、相手の意見を聞いてって楽しいなぁ。

「じゃあ、これで私の番は終わり、ましろちゃんが夕食を作ってくれてるから、はるっちも食べていくよね」

「はい、お願いします」

「それじゃ、わたしは先に行くから。夕食は三十分後だからねっ!!」

 そう言って、祭さんは部屋を出て行く。部屋には、僕と幻が残された。


「ふぅ、何とか終わったなぁ」

「あら、春くんはお疲れのようね。そんなに緊張したの?」

 座っている状態からそのまま後ろに倒れた僕の顔を覗き込むように、幻が聞く。

「そりゃしたさ。しないわけがない。このまま眠りたいぐらい疲れたさ」

 一応見回してみるけど、この部屋には枕になるものが何もない。

「何をお探し?」

「ちょっと枕になるものを。まぁ、なくてもいいか。悪いけど、夕食までの三十分、ちょっと休ませてもらうよ」

 人の家に来てなんだけど、正直僕はそれほどに疲労している。今までの緊張は、それほどのものだった。

「そう、わかったわ。三十分たったら起こしてあげるわ。私は読書でもしてるから、気にしなくていいわよ。ああ、それと枕も貸してあげるわ」

 枕なんてどこにもなかったけど、といぶかしみながら幻のほうを見ると、その正座しているひざを指差している。反対の手には、ブックカバーのかかった本を持っている。部屋に入るときから持っていたのだろうか。

「どうしたの。私は読書してるだけだから、別に使ってもいいわよ」

 すまし顔でそう言う幻。……、えっと、それじゃあ。

「お言葉に甘えて」

 幻の枕を貸してもらうことしよう。家の枕よりもやわらかくて暖かい枕を。

 

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