その名前、事故現場で呼ばれます
1. 黄金のジャンクション
東名阪をつなぐ大動脈、その要所に位置する「霞ヶ関インターチェンジ」。
年間数千万台の車両が通過するこのコンクリートの巨大な結節点に、史上初となる『命名権』が売りに出された。
「年間の契約料は一億五千万。契約期間は五年。悪くない商談だと思わないか?」
大手広告代理店・電報堂のシニアプランナー、佐久間は、眼下に広がる夜のインターチェンジを見下ろしながら呟いた。
彼の正面に座るのは、地元の大手食品メーカー『サク旨食品』の広報部長、沼田だ。
沼田は湯気の立つコーヒーを啜りながら、複雑な表情を浮かべていた。
「佐久間さん、話は魅力的だ。日本初の『ネーミングライツIC』。看板、カーナビ、交通情報。ありとあらゆるメディアで我が社の社名が連呼される。宣伝効果は計り知れない」
沼田はそこで言葉を切り、夜の闇に吸い込まれていくヘッドライトの列を見つめた。
「だが、これは諸刃の剣だ。……あんたも分かっているだろう?」
佐久間は微笑を崩さなかった。だが、その指先は資料の端を強く掴んでいた。
彼がこのプロジェクトの最大の「穴」に気づいていないはずがなかった。
2. 負の言霊
数日後。ネーミングライツ導入に向けた検討委員会が、日本道路公団の会議室で開かれた。
仮にサク旨食品が権利を取得した場合、インターチェンジの名称は『サク旨ポテト霞ヶ関インター』となる予定だった。
「反対です。断固として受け入れられません」
声を上げたのは、報道局のデスクや警察関係者のオブザーバーたちだった。
「想像してください。そのインターチェンジで悲惨な多重衝突事故が起きた時のことを。アナウンサーはこう読み上げるんですよ。
『本日午後二時ごろ、サク旨ポテトインター付近で、大型トラックが炎上する事故がありました。この事故で三名が……』
これでは、まるで我が社の商品が事故を引き起こしたかのような印象を与えてしまう」
沼田の危惧は正しかった。
ネーミングライツが導入されている球場やホールとは違い、高速道路のICは、常に「死」や「事故」と隣り合わせの場所だ。
逆走、車両火災、飛び降り。それらのネガティブなニュースが流れるたびに、企業名は凄惨な現場の住所として連呼されることになる。
「『サク旨ポテトインターで、路面凍結によるスリップ事故が……』。不謹慎ですが、まるでお菓子が滑りやすいようなイメージを植え付けかねません」
会議室に重苦しい沈黙が流れた。
広告の輝かしい光の裏側に、報道という冷徹な影が潜んでいる。
この「呼び方」の問題を解決しない限り、企業の看板を公道に掲げることは、ブランド価値を毀損するリスクでしかなかった。
3. 言葉の魔術師
佐久間は窮地に立たされていた。
道路公社側は予算不足を補うために契約を急ぎたいが、企業のコンプライアンス部門は「事故報道での社名露出」に極めて慎重になっている。
彼は深夜のオフィスで、過去の事故報道の記録を洗った。
そこで一つの事実に気づく。
報道機関には独自の「言い換え」のルールがある。例えば、公共性の高い場所や、企業名がそぐわない事件の場合、彼らは意図的に表現をぼかすことがある。
「……これだ」
佐久間は翌朝、沼田と道路公社、そして主要メディアの代表者を一堂に会させた。
「提案があります。契約条件に『報道用呼称のガイドライン』を組み込むんです」
「報道を規制するのか? それは検閲だぞ」
メディア側から反発の声が上がる。だが、佐久間は冷静に続けた。
「いえ、強制ではありません。ただ、事故や事件などの負の報道の際、企業イメージを著しく損なう恐れがある場合に限り、従来通りの『霞ヶ関インター』という地名呼称を併用する権利を認めるというものです。
一方で、渋滞情報や観光案内などのポジティブ、あるいは中立な情報では、積極的にネーミングライツ名称を使用してもらう」
沼田が身を乗り出した。
「だが佐久間さん、報道陣がそんな面倒な使い分けをしてくれる保証があるのか?」
「そこが、この契約の肝です。私たちは、このインターチェンジの『愛称』を売るのではない。このICを起点とした『地域安全維持費』をセットで販売するんです」
4. 楔の価値
佐久間の提案はこうだ。
サク旨食品が支払う命名権料の一部は、そのインターチェンジ周辺の「安全対策」に直結させる。
最新のAI事故検知システムの導入、路面の高機能舗装、そして万が一の際の救急体制の強化。
つまり、『サク旨ポテトIC』という名前が冠されている間、その場所は「日本で最も安全なインターチェンジ」であることを約束するプロジェクトにするのだ。
「もし事故が起きたら、それは我々の努力不足です。その時は甘んじて社名を冠した報道を受け入れましょう。
しかし、我々が目指すのは『名前がついているからこそ、事故が起きない場所』にすることです。企業の責任を、看板を出すことではなく、その場所を守ることに置くんです」
沼田の目が変わった。
ただの看板代としての一億五千万ではない。それは、地域のインフラを支え、人命を守るための『投資』としての意味を持ち始めた。
「……面白い。それなら、広報部ではなく経営企画として予算を通せる」
5. 走り出す名前
一年後。
東名阪を走るドライバーたちの目に、鮮やかなオレンジ色の看板が飛び込んできた。
『サク旨ポテト霞ヶ関インター』
カーナビの音声が「まもなく、サク旨ポテトインターです」と告げる。
導入から半年、皮肉なことに、この区間の事故率は前年比で三割減少した。
企業が提供した安全対策予算により、照明は明るくなり、路面は整備され、注意喚起の電光掲示板が最適化されたからだ。
ある雨の夜。そのIC付近で、軽微な接触事故が起きた。
翌朝のニュース。アナウンサーは原稿を読み上げた。
『本日未明、霞ヶ関インターチェンジ付近で事故がありました。現場は最新の安全システムにより速やかに処理され、渋滞は最小限に抑えられています』
そこには企業名は出なかった。だが、ネット上の掲示板やSNSでは、違った反応が起きていた。
「サク旨インター、また事故を防いだらしいな」
「あそこの路面、走りやすいから好きだわ」
報道が名前を隠しても、人々はその場所が誰によって守られているかを知っていた。
佐久間は、深夜のパーキングエリアで缶コーヒーを飲みながら、光り輝く看板を見上げた。
言葉は刃にもなるが、盾にもなる。
高速道路という名の巨大な川に打ち込まれた、企業名という名の「楔」。
それは今、単なる宣伝を超えて、社会のインフラを支える新しい形として、夜の闇に浮かび上がっていた。




