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新婚初夜に『白い結婚にしてほしい』と言われたので論理的に詰めたら夫が泣きました  作者: ささい


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8/8

第八話 話がある、と言ったはずなんですが


「カレン、今夜は話がある」


夕食の席。

食器が触れ合う微かな音が途切れた瞬間を見計らい、ルーファスは意を決してその言葉を口にした。

母マリアンヌからの忠告が、頭蓋の裏側に張り付いて離れない。

嘘の上に関係は築けない。

その通りだ。このまま偽りを重ねた先に待っているのは、破滅と軽蔑だけだろう。

正直に言わなければならない。

今日こそ、全ての虚飾を剥ぎ取り、ありのままを打ち明けるのだ。

ルーファスは己を鼓舞した。


「話、ですか」


カレンが淡々と答える。

その声には何の感情も乗っていない。

事実を確認するだけの、冷ややかな響きだ。


「ああ。食後に二人で」


「わかりました」


妻の視線があまりにも冷静で、喉の奥が引きつる。

射抜かれるような感覚に、心臓が物理的に縮み上がる思いがした。



食後のとばりが下り、場所を居間へと移す。

暖炉の中で薪が爆ぜ、揺らめく炎が二人の影を壁に長く伸ばしていた。

使用人たちを下がらせた空間には重苦しい沈黙と、パチパチという燃焼音だけが満ちている。


「それで、話とは何ですか?」


カレンがソファに座り、姿勢を正して彼を見つめる。

逃げ場のない法廷が開かれた気分だ。


「ああ……その前に」


喉が張り付いて声が出ない。

潤滑油が必要だった。

ルーファスはサイドテーブルに置かれたワインのデキャンタに、救いを求めるように手を伸ばす。


「一杯だけ……いや、少しだけ飲んでもいいだろうか?」


「どうぞ」


許可を得て、グラスに赤黒い液体を注ぐ。

一気に煽った。

芳醇な香りを味わう余裕などない。

液体が食道を焼きながら胃の腑へと落ちていく感覚だけが、生々しく感じられる。

喉の渇きは癒えない。

いや、渇いているのは喉ではなく、勇気の方だ。

もう一杯。

まだ言葉が出てこない。舌が重い。思考がまとまらない。

三杯目。

注ぐ手つきが少し乱暴になる。


「……ルーファス様」


咎めるような声が飛んでくる。


「もう少しだけ」


四杯目。

グラスの縁から少し零れたが、構わずに飲み干す。

視界の端がぐにゃりと歪み始めた。

世界が少しだけ曖昧になり、ようやく恐怖という名の輪郭がぼやけ始める。


「あの」


「んー……」


五杯目を注ごうとした手が、空中で止まった。

重力が増したように腕が重い。


「ルーファス様。話があるんですよね?」


「ある。あるんだ」


ルーファスは瓶を置いた。

置こうとした、というのが正確だろう。

距離感が狂い、テーブルにガツンと硬質な音を立てて底がぶつかる。

中身が大きく波打ったが、奇跡的に倒れはしなかった。


「あの、カレン」


「はい」


「俺……いや、私は……」


舌が回らない。

脳内の検閲官がアルコールによって職務放棄をしているようだ。


「俺、で構いませんよ。それで?」


「俺さ……」


ルーファスはぼんやりとした視線をカレンに向けた。

暖炉の暖かな灯りに照らされた妻の顔。

いつもならその冷徹な表情に胃を痛めるところだが、今の彼の目にはそれがやけに神秘的で、美しく映った。揺れる炎が彼女の瞳の中に星を宿している。


「お前って……綺麗だよな……」


思考を経由せず、本音が口をついて出た。


「は?」


素っ頓狂な声が返る。


「いや、前から思ってたんだけど……目とか、すごく綺麗……」


「……話というのは、それですか?」


「違う……違うんだけど……」


否定しながら、身体がふらりと揺れた。

重力に引かれるままに立ち上がり、ふらつく足取りでソファへ近づく。

そのままカレンの隣、パーソナルスペースを完全に無視した距離に座り直した。


近い。

彼女の香りが鼻腔をくすぐる距離だ。


「ちょっと、近いんですが」


拒絶の声も、今の彼には心地よいBGMのようにしか聞こえない。


「カレン」


「何ですか」


「俺……お前のこと……」


熱を持った手が、無意識にカレンの手を求めた。

白く細い指を包み込む。

冷たくて、気持ちがいい。


「好き……だと思う……」


「……は?」


「いや、わかんないけど……でも、気になる……」


論理もへったくれもない。

胸の奥で燻っていた感情の断片が、アルコールの奔流に乗って溢れ出しただけだ。


「酔ってますよね?」


冷静な指摘。


「酔ってない。酔ってないぞ」


子供のような言い訳をしつつ、視点は定まっていない。

瞼が重い。

世界が心地よく回転している。

明らかに泥酔状態だ。

瞳はとろんと濁り、焦点は虚空を結んでいる。


「カレン……俺、ほんとはさ……」


「ほんとは?」


「ほんとは……」


意識が急速に遠のいていく。

言わなければならないことがあったはずだ。

重大な秘密。嘘。謝罪。愛。

言葉の断片が脳裏をかすめるが、強烈な睡魔という黒い波が全てを飲み込んでいく。


 


ルーファスの頭がカクンと揺れ、ゆっくりと重力に従った。

カレンの華奢な肩に、ずしりとした重みが落ちる。


「………………」


規則正しい、安らかな寝息が聞こえ始めた。


「……話があるんじゃなかったんですか」


返事はない。

ただ、寝息だけが返答の代わりに繰り返される。


カレンは夫の重みを左肩に感じながら、呆れたように天井を仰いだ。

暖炉の光が天井に不規則な影絵を作っている。


「……はあ」


深いため息が一つ漏れた。

このままにしておくわけにもいかない。

彼女はベルを鳴らし、駆けつけた使用人たちに指示を出して、泥のように眠るルーファスを寝室へと運ばせた。

ルーファスが運び出された後、カレンは一人、静寂が戻った居間に残る。

ソファに座り直し、自分の右手を見つめた。

大きく、熱く、そして無骨に握られた手の感触。

その熱が、まだ皮膚の上に残留しているような気がした。


「……好き、ですか」


誰に聞かせるでもなく呟き、即座に首を横に振る。


「酔っ払いの戯言はデータに含めません」


自分に言い聞かせるように断言し、立ち上がった。

感情という不確定な要素を排除して論理の鎧を纏い直す。

彼女は、背筋を伸ばして自室へと戻っていった。


翌朝のことは明日の自分に任せればいい。

被告人がシラフに戻った時こそ、真の開廷だ。

尋問の準備は、既に万端に整っている。


---


「酔った勢いで言ったことには責任が伴います。覚悟してくださいね」


カレン・ベルンワード侯爵夫人

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