第三話 それ、データあるんですか?
三日目の夜。
寝室に現れたルーファスは、どこか自信に満ちた表情をしていた。
初夜のうなだれた姿が嘘のようだ。
「カレン、今夜は私に任せてくれ」
「はあ」
カレンは本から顔を上げ、夫を見た。
ルーファスは上着を脱ぎながら、妙に晴れやかな笑みを浮かべている。
「昨夜、私は気づいたんだ。
君も……その、悪くない反応をしていただろう?」
「反応、ですか」
「ああ。だから今夜は、もっと君を喜ばせられると思う」
カレンは栞を挟み、本を閉じた。
「すみません、具体的に何の話をされていますか?」
「だから、その……君も感じていただろう、と」
「感じていた?」
小首を傾げる。
「それ、何を根拠におっしゃってるんですか?」
「え? だって、君は声を……」
「声?」
カレンは眉をひそめた。
「生理的反応と快感は別物ですよ。
くすぐられたら声が出るのと同じです。
それを『喜んでいる』と解釈するのは、論理の飛躍では?」
「いや、しかし……」
「そもそも、私が『悪くない反応』をしていたというのは、
あなたの主観的解釈ですよね?
私に確認しましたか?」
「確認って……そんなこと、普通聞かないだろう」
「なぜですか?」
「なぜって、雰囲気というか」
「雰囲気で判断したと。つまり、根拠はないんですね」
ルーファスの自信に満ちた表情が、少しずつ曇り始めた。
「で、では聞くが、昨夜はどうだったんだ?」
「何がですか?」
「だから、その……良かったのか、悪かったのか」
「良い悪いの定義を先に明確にしてください。
何を基準に評価すればいいんですか?」
「そ、それは……」
「契約履行という観点では、問題なく完了しています。
それ以上の評価を求めるなら、評価基準を示してください」
「私が聞きたいのは、君が快感を……」
「快感の有無が、この契約に何か関係あるんですか?」
「関係って……」
「ないですよね。跡継ぎを作るのが目的なんですから。
私が快感を得ようが得まいが、結果には影響しません」
ルーファスは言葉に詰まった。
「で、でも、夫として君を満足させたいと」
「それ、誰のための欲求ですか?」
「え?」
「『君を満足させたい』という欲求は、
私のためではなく、あなたの自己満足ですよね?
『妻を満足させられる自分』でありたいという」
「そんなことは……」
「違うんですか?
では質問を変えます。
あなたは私に『どうしてほしいか』を聞きましたか?」
「……」
「聞いていませんよね。
つまり、あなたの言う『喜ばせたい』は、
私の意見を聞かずに、あなたが勝手に想像した『私の喜び』を
押し付けようとしているだけです」
「押し付けって……私は良かれと思って……」
「良かれと思って、の主語は誰ですか?」
「私、だが」
「ですよね。あなたが良かれと思っただけで、
私が良いと思うかどうかは確認していない。
それを『自分本位』と言うんですよ」
ルーファスの顔が赤くなった。
恥ずかしさと、反論できない悔しさが入り混じっている。
「わ、私は君のことを考えて……」
「考えてる『つもり』ですよね。
実際に私の意見を聞いていない以上、
それは『考えている』とは言いません。
『想像している』だけです」
「……」
「そして、あなたの想像が正しいという根拠はありません。
データがないんですから」
カレンは立ち上がり、寝台に向かった。
「では、具体的に指示を出しましょうか」
「指示?」
「ええ。あなたの想像に任せると、的外れになる可能性が高いので。
私が何をしてほしいかは、私が一番よく知っています。
それを伝える方が、効率的ですよね?」
「効率……」
「不満ですか?」
「いや、不満というか」
ルーファスは複雑な表情を浮かべた。
「私は、その、男として君をリードしたかったというか」
「リードしたい、というのはあなたの願望ですよね。
でも、あなたにリードする能力があるかどうかは別問題です。
経験も浅いのに、なぜリードできると思ったんですか?」
「っ……」
「初心者が熟練者のふりをしても、結果は出ませんよ。
まずは基礎から学ぶべきでは?
私の指示に従って経験を積んでから、
リードするかどうかを議論しましょう」
ルーファスは黙り込んだ。
完膚なきまでに論破されて、もはや反論する気力もないようだ。
「さあ、始めましょうか」
カレンは淡々と言った。
「今夜のあなたの課題は、『相手の反応を観察すること』です。
自分の想像ではなく、実際のフィードバックに基づいて行動する。
それができるようになったら、次のステップに進みましょう」
「……わかった」
「よろしい。では、まずーー」
その夜、ルーファスは生まれて初めて「指導」を受けた。
プライドは粉々だったが、学ぶことは多かった。
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「経験のない人間が自信を持つのは、ただの無知です」
カレン・ベルンワード侯爵夫人




