第3話 耳かきは午後三時
私は今日も、耳かきおじさんの隣の席で働いている。
正式には営業二課・金子課長。五十代半ば、温厚で物腰が柔らかく、部下からの評判も悪くない。
――が、私の中では「耳かきおじさん」でしかない。
理由は単純だ。
彼は毎日、午後三時になると耳かきを始める。
* * *
午前中は平和だった。
金子課長は電話対応をしたり、書類に目を通したり、ごく普通の上司として機能している。
私も隣で黙々と見積書を作成し、何の問題もなく時間が過ぎていく。
問題は、午後三時である。
カサ、カサ……。
書類の山の向こうから、小さな音がした。
――また始まった。
私は手を止めて、そっと横目で様子を伺う。
金子課長は、デスクの引き出しから小さなケースを取り出し、中から銀色に光る耳かきを取り出した。
金属製。
彼のお気に入りらしい。
そして、何の躊躇もなく右耳に差し込んだ。
カサ、カサ、カサ……。
静かなオフィスに、その音だけが響く。
私は見積書に視線を戻そうとするが、どうしても気になって手が止まる。
だって、隣で人が耳かきしてるんだ。集中できるわけがない。
「ふー……」
金子課長が、満足げに息を吐いた。
そして、独り言のようにつぶやく。
「今日は左がよく取れるな」
左?
つまり、今から左耳もやるってこと?
案の定、金子課長は耳かきを持ち替え、今度は左耳に差し込んだ。
カサ、カサ、カサ……。
なぜ今ここで耳掃除なのか。
なぜ家でやらないのか。
誰かに聞いてほしいのか。
私にはわからない。
そのうち、隣の席にいる自分が「この会社でいちばん静かなクレーム」に遭ってるような気がしてくる。
何も言われていない。何もされていない。
でも確実に、私の精神は削られている。
「青木さん」
突然、金子課長が話しかけてきた。
「は、はい」
「耳かきっていいよ。頭がすっきりする」
そう言って、彼は満足げに耳かきをケースに戻した。
私の頭の中はまったくすっきりしていなかった。
むしろ、もやっとしたまま、午後はまだ続くらしい。
** *
ある日の昼休み、会議室。
「ねえ、相沢」
「ん?」
「隣で耳かきする上司って、どう思う?」
相沢は、お弁当の唐揚げを口に運びながら、少し考えた。
「……無理」
「だよね」
「でも、うちの社長、会議中に鼻毛抜くよ」
「は?」
「しかも、抜いたやつ、机の下に落とす」
私たちは顔を見合わせて、深い溜息をついた。
「やってらんないよね」
「ほんとそれ」
――ここには会獣たちがいる。
そして今日も、静かな午後三時の儀式が始まる。




