こわい幽霊
放課後、帰り支度をするフミヤにクラスメイトが声をかけた。
「なぁ、カラオケに行かないか」
「あ~ゴメン、俺、弟のお迎えに行かないといけないから」
「お迎え? じゃあ、明日は?」
「ん~明日もダメかな。ゴメン」
そう言うとリュックを背負い教室から走り出る。
高校の校門まで走って来たフミヤは立ち止まった。
カラオケか、ずっと行ってないな
後ろ髪を引かれながら校門をくぐり抜け、そして保育園に急いだ。
「あ、良ちゃん、お兄ちゃん、来たよ」
いつもお世話になっている保育士の女性がフミヤを見つけて言った。
「あー」
嬉しい時にいつも口にする『あー』を言いながら良太がヨチヨチとフミヤ目がけて歩いて来る。
一歳の誕生日を過ぎて良太は歩けるようになった、この頃は表情も豊かになって一段と愛らしい。
「お待たせ、良太」
弟の頭を撫でるフミヤはカラオケに行きたかった事などすっかり忘れてしまっていた。
良太の手を引きながらゆっくりと家路につく。
ようやく自宅近くの交差点に着き
やっとここまで来た
と思った瞬間、目の前の交差点でバイクと軽自動車が出合いがしらにぶつかった。
そして宙に浮いたバイクが自分達の方に飛んでくるのが見えた。
フミヤはとっさに弟を守る為に良太の体の上に覆いかぶさった。
ずっとフミヤは歩き続けていた。
亡くなって七日目には三途の川を渡り冥途の道を歩き続けて来たが、それも終わりらしかった。
今日で亡くなってから四十九日、彼はエンマ大王の前でその言葉を待っていた。
「お前を極楽浄土に送ろうと思うが」
「・・・・」
「なんだ、不服か?」
「いえ、ホッとしました・・」
「何だ、言いたい事があるなら言ってみろ」
「はい、旅立つ前に一度でいいから家族に会いたいです」
「う~ん」
「ダメですか?」
「・・・・いや、特別に許そう。さあ、行け」
気付けば朝もやの中、自宅の庭の木の下に立っていた。
母が目の前で花壇の花に水をまいている。
その後ろ姿があまりに懐かしくてフミヤはじつと見つめていた。
ふと、気配を感じたのか、振り返った母が叫んだ。
「フミヤ」
彼は母に頷いた。
「ああ、フミヤ、フミ・・」
むせび泣く母の言葉は最後には形にならなかった。
フミヤは良太を探した。
弟は窓ぎわでガラスに手をついて立っていたが、フミヤと目があうと急に泣き出した。
泣く弟をあやそうとフミヤが近寄ると火が付いたようにもっと激しく泣く。
フミヤは察してしまった。
良太はもう自分を憶えていない・・
まだ一歳で四十九日も会っていなかったから、俺の事を忘れてしまったのだ
だから俺が怖いのだ・・
彼は弟に頷くと少し悲しげに笑った。
そして朝もやと一緒に消えていった。
我にかえると目の前にエンマ大王がいた。
「どうだ、家族には会えたか?」
「はい・・でも会わない方が良かった」
会わなければ良太が自分を忘れている事を知らずに済んだ。
残酷な現実を知らずに旅立つ事が出来た。
「・・そうか」
エンマはそう言いながら、何故か、かすかに笑った。
そして十六年後。
お盆の準備が終わると母は暗い庭に目をこらした。
「また庭を見てる」高校生になった良太が笑いながら言った。
母はお盆になるとひっきりなしに庭を見ているのだ。
「うん、お盆は亡くなった人が帰って来るって言うじゃない、フミヤがいる様な気がするのよ」
「ふ~ん」
「良太には黙ってたけど一度だけ、四十九日の時にフミヤが帰って来て木の下に立っていたのよ。だからまた立っているんじゃないか、と期待して見ちゃうのよ」
「・・知ってるよ。憶えてるから」
「えっ・・でも良太、あの時、まだ一歳で・・」
「うん、俺、一歳で事故の事も、生きてた頃の兄貴の事も全然、憶えてないけど・・あの日の事は憶えてる。一歳だから幽霊なんてわからないけど、なんか怖くて泣き出したんだ」
「そうね、フミヤを見て泣き出しちゃったのよね」
「うん、でもだから憶えてるんだ。すごく怖かったから強く印象に残って忘れなかった。色白で背が高くて少し華奢に見えた体も・・泣いてる俺に戸惑って悲しそうに笑っていた顔も・・ずっと憶えてる。そして絶対に忘れない。たった一度きりの兄貴との思い出だから」
風もないのに、庭の木の葉がうれしそうにサワサワとゆれた。




