第4話: 湖畔の幻影
山脈の岩場を抜け、俺は静かな湖のほとりに辿り着いていた。目の前に広がる水面は鏡のようで、周囲の緑や空の青を映し込む。岸辺には色とりどりの花が咲き乱れ、甘い香りが漂う。風がそよぐたび、葦が揺れてカサカサと音を立てる。舌で空気を味わうと、湿った草と水の清涼な匂いが混じる。砂漠や山の過酷さに比べ、ここはまるで楽園だ。だが、俺の鱗だらけの巨体が水辺に映ると、風景に不釣り合いな怪物がそこにいる。バジリスク。俺だ。
「こんな綺麗な場所で、なんで俺みたいなのが……」 心の中で呟くが、喉から出るのは低いうなり声。転生してから、だいぶこの体に慣れてきた。石化の力も少しずつ制御できている。山で小石だけを固めたのは、俺の意志が強まってる証拠だ。人間だった頃の記憶──同僚と飲んだビールの苦味、週末に読んだ小説の余韻──が、俺をただの危険なモンスターから遠ざけている。いつか、この力を完全に抑えられたら、冒険者たちに追われずに済むかもしれない。そんな希望を胸に、水辺で体を休める。
だが、静けさは長く続かない。「見つけたぞ! 湖の呪いの化身だ!」「浄化の時だ、魔法で仕留めろ!」 葦の向こうから、ローブを纏った魔法使いの一団が現れる。杖を構え、色とりどりの魔力の光が先端で揺れる。リーダーらしき女魔法使いは、青いローブに銀の髪をなびかせ、冷たい目で俺を捉える。「目を合わせるな! 奴の視線は死の呪いだ!」 彼らは浮遊魔法で水面を滑るように近づき、俺を囲む。
「またか……俺、ただ水飲みたいだけなのに!」 心で叫びながら、俺は湖に飛び込む。水しぶきが上がり、冷たい水が鱗を包む。バジリスクの体は水の中でも滑らかに動ける。湖底の砂を蹴り、葦の影に隠れようとする。だが、魔法使いたちは容赦ない。杖から放たれた光の矢が水面を貫き、俺の近くで炸裂する。「逃がすな! 湖を浄化する!」 爆発の衝撃で水が揺れ、体がグラつく。
俺は水中で視線を集中。石化の力を最小限に抑え、試してみる。葦の束をターゲットに、赤い目が光る。葦の一部が灰色に固まり、水面に浮かぶ。「何だ、あの葦が石に!」「奴の力だ、気を付けろ!」 魔法使いたちが動揺する隙に、俺は湖の対岸へ泳ぐ。鱗が水流に乗り、意外と速い。人間だった頃、泳ぎは苦手だったのに、この体はまるで別の生き物だ。
対岸に這い上がり、茂みに身を隠す。だが、魔法使いたちは追ってくる。女リーダーが杖を振り、青い魔力の障壁が俺を閉じ込めようとする。「封印しろ! 奴をここで仕留める!」 障壁がキラキラと光り、俺の動きを制限する。やばい、このままじゃ逃げられない。俺は再び視線を集中し、障壁の一角に力を送る。石化の力を弱め、障壁の一部だけを固めるつもりだ。すると、青い光がピタリと止まり、ガラスのようにひび割れる。「障壁が!? どういう力だ!」 リーダーが驚く中、俺はひび割れた隙間を這い抜け、森の奥へ逃げる。
森の中は木々が密生し、葉の隙間から木漏れ日が差し込む。俺は太い木の根元に体を巻きつけ、息を整える。鱗が木の色に溶け込み、擬態が働く。魔法使いたちの足音が遠ざかる。「くそっ、逃げられた!」「湖周辺を捜索しろ!」 彼らの声が小さくなり、俺はホッと息をつく。石化の力、今回は葦と障壁の一部だけ。かなりピンポイントにできた。少しずつ、力の制御が上手くなってる気がする。
木の上で鳥がさえずる。湖の水音が遠くで響く。俺は考える。人間だった頃、こんな自然の中で過ごすことなんてなかった。会社で書類に埋もれ、電車で押しつぶされ、休日はスマホを眺めるだけ。でも今、こんな美しい場所にいる。追われるのはキツいけど、生きてる実感がある。石化の力も、今日は人を傷つけずに済んだ。もしこの力がもっと弱まれば、魔法使いたちとも話せるかもしれない。「お前、実はいい奴だろ?」なんて笑い合える日が来るかも。そんなバカな想像に、俺は少し笑う。いや、笑えない。顔が蛇だから。
夜が訪れ、湖畔は静寂に包まれる。星が水面に映り、キラキラと輝く。俺は茂みで体を丸め、次の行き先を考える。危険なバジリスクから、ただのデカい爬虫類くらいになれたら、こんな争いも終わるかもしれない。次の場所では、もっと上手くやれるはずだ。
(つづく)




