第3話: 山岳の崖っぷち
砂漠の灼熱を抜け、俺はゴツゴツした山脈にたどり着いていた。目の前にそびえる岩肌は灰色で、鋭い稜線が空を切り裂く。冷たい風が吹き抜け、鱗に覆われた体がひんやりとする。砂漠の熱さに比べればマシだが、長い胴体を這わせるには狭い岩の道が厄介だ。舌で空気を味わうと、湿った石と松の木の匂いが混じる。こんな場所でどうやって生き延びるんだよ、と思いながら、這い進む。
バジリスクに転生してから数日。石化の力は少しずつ制御できている気がする。砂漠で馬やブーツだけを固めたのは、偶然じゃなく、俺の意志が働いたからだ。人間だった頃の記憶──同僚と居酒屋で笑った夜や、休日に公園でぼんやりした時間──が、俺を殺戮マシンから遠ざけているのかもしれない。危険なモンスターから、もっとマシな存在に変われるんじゃないか。そんな淡い期待を抱きながら、岩の隙間を進む。
だが、平和な時間は長く続かない。「見つけたぞ! 山の災厄だ!」「栄光を我々に!」 岩の向こうから、野太い声が響く。毛皮のマントを羽織った戦士たちが、巨大な戦斧を手に現れた。リーダーらしき大男は、傷だらけの鉄兜をかぶり、俺を睨む。「目を見るな! 奴の呪いを避けろ!」 彼らは岩場を器用に飛び越え、俺を囲むように迫る。マジかよ、また追手か。なんで俺はこうも狙われるんだ?
「頼むから放っといてくれよ!」 心の中で叫ぶが、口からはゴロゴロとした唸り声しか出ない。俺は体をくねらせ、狭い崖の道を這い進む。鱗が岩に擦れてカサカサと音を立てる。後ろから斧が振り下ろされ、岩が砕ける音が響く。「逃がすな! 奴の首は俺たちの名誉だ!」 やばい、こいつら本気だ。俺は慌てて視線を集中し、一番近い戦士の足元に力を送る。石化の力を弱め、靴だけを固めるつもりだ。赤い目が光り、戦士の革靴が灰色に変わる。「うっ、足が!」 彼が転倒し、仲間が立ち止まる隙に、俺は崖の縁を這う。
だが、道はどんどん狭くなり、足を滑らせれば谷底だ。風が強くなり、体がグラつく。戦士たちはロープを投げ、俺を絡め取ろうとする。「縛れ! 動きを封じろ!」 ロープが鱗に引っかかり、締め付ける痛みに耐えながら、俺は体をひねる。バジリスクの体は意外と柔軟だ。鱗の間に生えた翼のような突起を広げ、風に乗って滑空する。本能が導いた行動だ。崖の反対側にある小さな洞窟に着地し、岩の影に身を隠す。
洞窟の中はひんやりと暗い。岩の表面に水滴が光り、滴る音が響く。息を整えながら、思う。石化の力、今回は靴だけで済んだ。砂漠の時より、もっとピンポイントにできた。少しずつ、力の加減がわかってきた気がする。もしこの力がもっと弱まれば、冒険者たちと戦わずに済むかもしれない。いや、話ができれば、誤解を解けるかも。人間だった頃、交渉ごとは苦手だったけど、今ならやってみる価値がある。
「奴はどこだ! 洞窟か?」 戦士たちの声が近づく。洞窟の入口に松明の光が揺れる。やばい、隠れきれなかった。俺はさらに奥へ這い、岩の隙間に体を押し込む。鱗が周囲の色に溶け込むように変化し、擬態が働く。バジリスクの能力、ほんと便利だな。でも、こんな力があるから、俺は狙われるのか。追手が洞窟に入り、足音が響く。「気配がするぞ。慎重に進め!」 リーダーの声が低く響く。
俺は息を殺し、視線を弱く調整して試す。入口近くの戦士に目をやり、地面の小石だけを石化させる。カチンと音が響き、戦士が足を止める。「何だ、この石? 不自然だぞ!」 彼らが小石に気を取られている間に、俺は洞窟の奥の裂け目から外へ這い出す。崖の裏側に回り、岩の陰で体を丸める。冷たい風が体を冷やすが、生き延びた安堵が広がる。
夜が訪れ、山は静寂に包まれる。星がちらつく空を見上げ、俺は考える。人間だった頃、こんな景色を見る余裕なんてなかった。残業でヘトヘト、休日は寝るだけ。でも今、こんな絶景の中で生きてる。追われるのはキツいけど、この世界には何か可能性がある気がする。石化の力も、今日は小石だけにできた。少しずつ、俺は変わってる。危険なバジリスクから、ただのデカい蛇くらいになれれば、冒険者たちも追いかけてこないかもな。次の場所では、もっと上手くやるぞ。
(つづく)




