第1話: 霧の森の目覚め
俺は、ぼんやりとした意識の中で、自分が死んだことを思い出した。いや、正確には、死んだはずだった。残業続きのサラリーマン生活で、過労で倒れたんだ。心臓が止まるような痛みを感じて、暗闇に落ちた。次に目覚めた時、世界は一変していた。
周囲は深い霧に包まれ、湿った土の匂いが鼻を突く。いや、鼻じゃなくて、舌で空気を味わっているような感覚だ。体を動かそうとして、違和感に気づいた。手がない。足もない。代わりに、長い胴体がくねくねと地面を這っている。視界が広くて、低い位置から世界を見上げている。慌てて自分の体を振り返ると、そこには緑がかった鱗に覆われた、蛇のような巨体があった。尻尾の先がピクリと動く。鏡がないから確かめられないけど、これって……バジリスク? ゲームやファンタジーで見た、あの伝説の怪物だ。視線で相手を石化させるヤツ。
「マジかよ……転生? 異世界転生? でもなんでモンスターなんだよ!」
声を出そうとしたけど、出てきたのは低いうなり声だけ。喉が震える感覚が不気味だ。霧の向こうに、古い木々が立ち並ぶ森が見える。苔むした幹が湿気を帯び、葉っぱから水滴がぽたりと落ちる。空は灰色で、朝なのか夕方なのかわからない。体を動かしてみると、意外とスムーズに這える。鱗が地面を滑る感触が心地いい……いや、そんなこと考えてる場合じゃない。まずは状況を把握だ。
森の奥へ進むと、小さな川が見えた。水面に自分の姿を映してみる。赤い目、鋭い牙、頭に角のような突起。完全にバジリスクだ。ゲーム知識で思い出すと、こいつは危険なモンスター。冒険者から狙われやすいはず。だけど、俺はただの人間だった。殺す気なんてないのに。
試しに、近くの小動物──ウサギみたいなヤツ──に視線を向けてみる。集中すると、目から奇妙な力が湧き出る感覚。ウサギの体がピタリと止まり、灰色の石像に変わった。マジで石化するのか! これはヤバい。危険すぎる力だ。でも、コントロールできれば……いや、今はそんな余裕ない。
突然、遠くから人の声が聞こえてきた。「あの気配……間違いない、伝説のバジリスクだ!」「討伐すれば大金だぜ!」 革鎧を着た男たちが、剣や弓を構えて霧の中から現れる。リーダーらしき剣士は、鋭い目で俺を睨む。「奴の目を見ないように! 石化の呪いだ!」 彼らは訓練された動きで、俺を囲むように広がる。
心臓が──いや、俺の心臓はどこにあるんだ?──ドキドキする。逃げなきゃ。体をくねらせ、木々の間を這って逃げる。枝が鱗に絡まり、痛いけど我慢。後ろから矢が飛んでくる。「逃がすな!」 俺は慌てて視線を振り返り、一番近い弓使いに集中。視線が交差した瞬間、彼の体が固まり、石像のように転がる。「うわっ、仲間が!」 他の連中が慌てる隙に、俺はさらに奥へ。
霧が濃くなって、視界が悪くなる。いいぞ、これで追われにくくなる。川沿いを這い、岩陰に隠れる。息を潜めると、心拍が落ち着く。だけど、力が制御しにくい。さっきの石化、意図せず強く出てしまった。もしこれが弱くなったら……いや、弱くなるわけないか。でも、転生したんだから、何か変化があるかも。俺は危険なモンスターだけど、徐々に人間味が出てくるんじゃないか? そんな希望を抱く。
追手はまだ諦めていない。足音が近づく。「奴は傷ついてるはずだ! 探せ!」 俺は静かに体を動かし、霧の奥へ潜む。木の根元に体を巻きつけ、息を殺す。鱗が周囲の色に溶け込むような感覚──これがバジリスクの擬態か? 便利だけど、寂しい。人間だった頃の記憶がよみがえる。会社で上司に怒鳴られ、残業でクタクタ。せめてここでは、自由に生きたいのに。
やがて、追手の声が遠ざかる。「くそ、霧が邪魔だ。今日は引き上げるぞ。」 ホッとして、体を緩める。川の水を舌で舐め、喉を潤す。冷たくておいしい。体が疲れているけど、生き延びた達成感がある。だけど、この力のせいで、ずっと追われるのか? いや、きっと違う。少しずつ、この力が弱まるか、コントロールできるようになるはず。もしくは、味方が現れるかも。森の奥で一息つき、俺は次の道を考えた。この転生生活、意外と悪くないかも──追われなければな。
(つづく)




