プロローグ
ここはとある大学の研究室。
一見したところ、実験に使うであろう様々な高価な装置が所狭しと置かれていた。
奥には引き戸の扉があって、そこには教授室と書かれていた。
理工学系の何かの研究室であろうことは簡単に推測できた。
「先生、ちょっとプール行ってきます。」
と教授室の扉をノックをしたかして無いか分からない位の無礼極まりないマナーで三人の大学生は、
年配の白髪交じりの人の良さそうな先生と呼ばれるこの研究室の教授に一方的に伝えに来たようだった。
「お、おう、気をつけてな。」
と驚いた様子も無く教授は三人の学生を見送った。
「すみません、あいつら、今度叱っておきますので。」
と大学院博士課程生で教授のサポートをしていた石黒先輩が目で追いながら、
残念そうに三人の学生たちを見送った。
「まあ、学部生はあんなもんだろ、元気があってよろしい、わっはっは。」
と教授は笑い飛ばした。
「ところで、今回の実験結果なのですが、プラズマの発生時に、それぞれ3つの鉱石を
触媒に使って対照実験を行ってみたのですが、どうやらこの鉱石Cを使った際にだけ、
明らかな次元の歪みが認められるのです。」
と石黒は教授に手元の資料を使って、何事も無かったかのように説明を続けた。
「石黒君これは我々の研究ではあるが、これからは君の研究としてどんどん続けてくれたまえ。」
と教授は意味有り気なことを愛弟子に伝えた。
一般的には大学教授は名義貸しみたいなもので、実際の研究は部下が行い大発見をした際は、
教授の手柄にすることが当たり前だったが、その真逆の発想をする大西教授の発言はさすが
変わり者の異名を取るに相応しいお方だった。
「え、教授、お身体でもお悪いのですか?」
と周囲ではある程度噂には聞いていたのだが、大西教授が県内の有名大学の医学部の知人の教授を
たびたび訪れていることや、それまでは休みの日でも毎日教授室に居るので座敷童のように
揶揄われていることもあった教授が、最近は有給休暇を取得したりで、周囲からは検査入院では
ないかと噂する者も居たのだった。
どこの会社でも組織でもお偉いさんの権力争いや跡目争いは珍しい事では無く、この大学でも
既に大西教授の席を狙った人事の動きが少しづつ石黒の耳にも入って来ていたからだった。
「石黒君はストレートだね。はっはっは。まあそういう訳だよ。
そろそろ言う時期が来たかも知れないな、来月から入院が決まっていてね。
先日の検査入院ではまだ分からないことが多くて、入院してから本格的な検査を
するらしいのだよ。まあ友人の大学病院の教授に任せてみることにしたんだけどね。」
とあっけらかんとした様子で大西教授は答えた。
石黒はいろんなことが頭の中を回っていたので、それを聞いてしばらく声を発することが
出来なかった。
何故なら、実質上の大西教授の共同研究者として大学内では、大学に一つしかない
プラズマ発生装置を優先的に使わせてもらっていたり、同研究室の准教授、講師、助教などの
大西より職位が上の者たちも一切石黒の研究に口出ししてこなかったりで、これまで言わば
自由に研究ができたのは大西教授のおかげだったからだった。
「石黒君、何葬式みたいな顔してるんだね。私は大学にもちろん籍は残っているし、
あ、そうだね、入院したら、週に一度は石黒君の研究の報告や、実験室の使用申請書にも
サインするから、京畿病院に来てもらわないといけなくなるなあ、すまんねぇ。」
と教授はさすが年の功なのか、石黒が心配していることを全て見抜いているようだった。
「いえ、そんなことは無いです。週に一度京畿病院にお伺いさせて頂きます。」
と石黒は自分の研究が滞らないことを聞かされて安心したのか、いつもの冷静沈着な研究者の
顔に戻っていた。
大西教授が先月石黒に伝えたとおり、週一回の京畿病院訪問を除けば、今まで通りと
変わらない環境でプラズマ・核融合に関する研究を続けることができた。
先述のプラズマ発生装置の触媒に鉱石Cを使用した際に発生する特定の歪みの生成の関する実験を、
さらに深化させて、その歪みの安定性や歪みの増大化を目標とした実験に専念していた。
「先生、歪みのサイズを300ミリまで増大化することに成功しました。」
と石黒はノックしたのかしていないのか分からない無礼なマナーで京畿病院の個室ベッドに
横たわっていた大西教授の元へ駆け足で駆け寄って、そのことをストレートに伝えた。
「あー、石黒君か、すまん少し寝ておったようじゃわ、増大化できたのか?」
と目をしぱしぱさせながら横を向いて視線を石黒に合わせて寝たままの姿勢で大西教授は
嬉しそうに答えた。
「はい、歪みを約300mmまで安定化させることに成功しました。」
と石黒も嬉しそうに大西教授に伝えた。
大西教授は二カ月前の入院前と比べて頬が少しこけているように見えた。
それは病気のせいなのかカロリー制限された入院食のせいなのかは不明だった。
「向こう側には何かあったか?」
と大西教授は短い単語で石黒に微笑みながら問いかけた。
「はいっ?」
と石黒は頭に大きなクエスチョンマークが出たかのような答えをしたので、
そんな答え方しかできなかった。
「歪みの向こう側はどうなっているか調べたのか?」
と大西教授は今度は多くの単語を使って、石黒にも分かるように質問を詳しめにして問い直した。
「あっ、いえ、まだ調べておりません。歪みの増大化と安定化に専念しており、そこまでは意識が
行っておりませんでした。すぐに調べます。」
と石黒は、いつものことだったが、大西教授の研究者魂というのか先見の明というのか、
その思考と発想力にはいつも驚かされていた。
目から鱗が落ちるどころか、脳から脳みそが落ちる位の衝撃を何度も経験させられた。
石黒は泣いた。自分を責めた。また大泣きした。
大西教授の奥様が大西の研究室に私物を引き取りに来ていた際に、直接研究室で出会った時の
ことだった。
「たいへん申し訳ございません。お亡くなりになっていたことを存じ上げなくて。」
と奥様に深々と頭を下げながら、あれから4週間は本来毎週報告に行くべきであった週一回の
京畿病院への大西教授への報告を、研究に没頭するあまりすっぽかしてしまっていたのだった。
「いえ、いえ、主人は石黒君が報告に来ないことを半ば喜んでおりましたよ。研究が捗っているのだろう、邪魔しないでやってくれ。」
と奥様は不義理な部下を責める様子もなく半ば楽しそうに答えた。
教授と奥様とは仲良しで、似た者夫婦との噂は聞いていたが、奥様もやはり変わり者のようだった。
「主人は、石黒君は私の研究をしっかりと引き継いでくれているから、そうそう、
お手紙を預かっております。」
と奥様は石黒に一通の手紙を手渡した。
封は開いていたのですぐに取り出せたが、
白い便箋に書かれた文字はまさに大西教授の見慣れた筆跡だった。
「石黒君、ありがとう。
研究が上手くいっているようで
何よりだ。
私はもう長く無いようなので、
今見えていることを最後の言葉に。
トラの権威が消えた後の
望みはクラウドファンディング
歪みは異世界への入口
大西博 」
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