4 視線の先に
高い鐘の音が神殿から街へ響き渡る。
時を知らせる鐘の音だ。鳴らされる鐘の種類によってその目的が違うことはこの国の者ならばよく知っている。
ドロスマジン王国の王城でその主人である王はヘルーシュ神のヴァンニ神殿聖騎士隊の全五部隊のうち第一を除く四人の隊長、神官長、王立騎士団の団長、各貴族家の騎士団長五名、そして王子三人と向かい合う。
「ヘルーシュ神の要請により、命を下す」
重々しい言葉を放ったのは王である。
彼はこの場にいる面々を見回し、そして後方で控える一人の聖騎士に目をやる。
ラファイア・ベルシルク。
聖騎士のサラブレッドでありながら序列第一位の最高神に見初められて聖女に任命されるが、捨てられて舞い戻った数奇な運命を歩く女性。
ヘルーシュ神は彼女こそを任務の要としている。
「これより数名を選抜し、ハーヴェ神のファーレ神殿での神々との会合に出席してもらう。ファーレ神殿への移動にはヘルーシュ神がそのお力を貸して下さるそうだ。その神の気に耐えられる者を選ばねばならぬことを肝に命じてくれ」
隊長格であれば神気に耐えられる実力者揃いだがハーヴェ神の神気ともなると別格だ。だから生半可な力では太刀打ちできない。その覚悟を以って臨む者の選抜だ。
「父上、私が行きましょう」
第二王子ランドハーゲスが名乗りを上げる。王族は魔力量も多く、神の気に耐えられる者も多い。その自信がありありと見える。
「他に希望者はいるか」
「私が」
カーティスが名乗りを上げ、ゴドファンが挙手する。
他の面々は難しい顔で沈黙を守る。中でもベルシルク家騎士団のフィーランは苦虫を潰したような表情で口を閉じている。
「聖騎士であれば心強いが、神官長、彼らは神の気に耐えられると考えるか」
王は裁可を神官長に任せるようだ。視線を受けて神官長は口を開く。
「ハーヴェ神の奥の院には特別な結界があると聞き及びます。聖女見習いでもわずか数秒で気を失うのです。彼の神に仕える神官には特別な祝福が与えられ、奥の院で過ごすに支障はないのだか」
神官長は離れたところにいるラファイアに微笑みかけて、視線を戻す。
「我らが誇る第二、第三部隊隊長でも厳しい状況でしょう。ランドハーゲス殿下は王族に与えられる祝福により、問題はないと考えます」
神官長はそこでフィーランに目を向ける。
「できれば私はあなたに行ってもらいたいのですが」
全員の目がフィーランに向く。
「断らなくもない」
漆黒の瞳を挑戦的に全員に向けたフィーランはそれから大仰にため息をついた。
「だが、怒りのあまりあのクソ最高神を殺してしまうかもしれない」
この言葉に全員がポカンとしてしまう。
あながち冗談ではないことをラファイアは知っている。だが、どうしてフィーランがどんな神気にも耐えられ、そこまでの力を有しているのかは知らない。
「不敬でしたね。冗談はさておき、私も同行しましょう」
不機嫌をまるっと収めて、その目立つ美貌を最大限に魅力的に使い、にっこり笑ってフィーランは言った。
「感謝します、ライオハネル卿」
神官長がそう呼ぶとフィーランは愛想笑いを顔に貼り付けたまま固まる。
ベルシルク家騎士団団長はフィーランの父親だがフィーラン自身も騎士としては名高い。普段は区別されて氏ではなく名で呼ばれることが多いのだ。だから父が呼ばれる名前を自分にも使われるのは複雑な心境らしい。しかも豪傑で有名なフィーランの父はかなりの曲者で世渡り上手なフィーランでさえ扱いに困る傑物だ。
それはさておき、彼は内心考える。
聖女としてファーレ神殿にいたラファイアが聖騎士としてハーヴェ神のいる場所へ赴く。
何と皮肉なことだろう。
大切なラファイアを傷つけた最高神をこの手で殴っても足りないくらい腑が煮えくり返っているのは確かだが、彼女の意向を重んじるのも彼女の騎士として当然のこと。うまく立ち回らなければ怒りに飲み込まれそうになる自分自身を彼は知っている。
「今回は全神とその聖女が集まるという前代未聞の事態。ライオハネル卿がいて下さるだけで心強い」
神官長は苦悩に満ちた眉間を揉み揉みしながら第二王子に視線を向ける。
「殿下も心して下さい。神は人間の常識を遥かに超える存在。ちっぽけな人間など神の足元にも及ばない非力なものです。神々の慈悲により生かされていることをお忘れなきよう」
「承知している」
ランドハーゲスは大仰に頷き、この場にいる面々を見つめていく。
「出立はいつだ」
王子の言葉に神官長が言い淀む。
「今すぐだ」
不意にその場に圧倒的力が舞い降りてくる。
皆が席を立ち、膝を折ってヘルーシュ神の登場を恭しく迎える。
「良い、楽にせよ。王の子一人、聖騎士隊長が二人、そしてフィーランだな。ラファイア、近くに」
移動対象を視界に捕らえて、ヘルーシュ神は扉近くに控えているラファイアを呼ぶ。
「ことは性急に対処せねばならぬ。行くぞ」
その言葉通りに、彼らは一瞬でその場から消える。
次の瞬間に目にしたのは煌びやかなファーレ神殿の入り口だ。
ちなみに最高神ハーヴェの居する神殿はファーレ。序列六位の風の神アブライドは最高神への崇敬から自らの神殿の名をフォーレとしている。似ている名前に苦労する人間のことは神はお構いなしだが、神々にはその言葉の大きな違いが分かるらしい。人間には到底理解できない話なのだが。
さて彼らは無言で進んでいくヘルーシュ神の後ろに続き、ファーレ神殿に入っていく。
ファーレ神殿付きの神官や聖騎士たちが慌ただしく動き回り、他の神々や騎士を迎えるのに忙しくしているようだ。
「よう、ラファイア。来たか」
大声で名前を呼ばれたラファイアは彼らの前に嬉しそうに歩いてくる聖騎士を見つけて笑顔を見せる。
「ルガード隊長」
「息災だったか。あれからかなり心配していたんだぞ」
ワシワシと彼女の頭を撫でまわし、それを親の仇かという目で睨んでいるカーティス、ゴドファン、おまけにランドハーゲス王子に気が付いてルガードはアハハと笑って手を引っ込める。
「私は問題ありません。ルガード隊長の方こそ、いかがですか。多忙で休息もままならないのでは?」
「ああ、全くだ。人使いが荒いハーヴェ神にはかなわんよ、まったく」
ルガードの明るさにラファイアも笑顔になる。
「ファイフェも元気ですか。もし会えたらお礼を言おうと思っていて。あれだけお世話になったのに最後は挨拶もままならなくて」
あっけらかんと話すラファイアに禍根は見当たらない。
「新しい聖女の世話をしているようだが」
「では忙しいですね。会えたら自分から言いますが、ルガード隊長からもラファイア・ベルシルクが感謝していたと伝えて頂けますか」
「おうよ、お安いご用だ」
「ありがとうございます」
呑気に話していたラファイアはヘルーシュ神の視線に気が付いて我に返る。
「すみません、ヘルーシュ神」
「構わない」
いつもなら聖騎士の自覚云々、カーティスのようなお説教が続くのだが、今日は何も言わない。
「ヘルーシュ神、ご挨拶が遅れて申し訳ございません」
ルガードもまずいと思ったのか聖騎士の敬礼を捧げて謝罪する。いつぞやの光景、つまりラファイアと少し離れてヘルーシュ神がいる光景が当たり前になりすぎていて違和感がなかったせいもある。ついつい神の中でも厳しい部類に入る戦神のヘルーシュ神に対してあり得ない態度をとってしまっていた。
「主はどこにおられる」
神であれば最高神の気配など察知していそうだが、ヘルーシュ神は困惑顔でルガードに尋ねている。
「実は我々も存じ上げず。聖女ナッシュ殿の姿も見えないのです。とりあえず、お越しになられた神々には奥の院の広間に集まって頂くよう指示がありましたのでご案内致します」
ルガードは自らヘルーシュ神の前に立ち進んでいく。
奥の院はラファイアがいた頃よりも殺伐としているように感じられる。序列第一位という神殿の主人がいないせいか神気も和らいでいるように感じられる。だが、他の神が集まるというだけあって尋常ならざる圧迫感は漂っている。
ヘルーシュ神がヴァンニ神殿の面々にさりげなく盾を張ってくれる。ラファイアのようにファーレ神殿で生活するというには向かない祝福の一つだが、短い時間ならば神々の神気にも耐えられるだろう。こうして祝福一つとっても神々のルールは難しく、例え神官と言えど全てを理解している訳ではない。
ふと、ラファイアは視線を感じて振り返る。
ざわざわと聖騎士と神官たちが忙しそうに行き合っている。
しかし。
「誰……」
心を締め付ける、懐かしい視線。
どこにもいないのに、そこにいるのが分かる。
ハーヴェ神。
そんなことないと頭は否定するのに心は彼を感じている。
『まだいたのか。いかようにも好きにすると良い。ひと時でも我が寵愛を得られたのだ、幸運だったと思うがいい』
あの時の彼の冷たい声が耳に甦る。
「お嬢、奴に情けは無用です」
苛立たしげにフィーランがラファイアの手を取って視線を外させる。
「奴って」
「視線の先に何がいようと、お嬢が気にかけてやる必要はないんです。むしろ無視してやればいい」
怒りを抑えた声にラファイアは彼にもハーヴェ神が感じられるのだと悟る。
彼女の視線の先には彼がいる。
では彼の視線の先には?
華やかな彼の神殿にあるのは彼の残り香のような、自覚するには頼りない存在感だけだった。




