人狼の闇
暗い冷たい夜だった。じっと息をひそめて、闇の中に居ると、自分の胸の鼓動が、どくどくと聞こえるようだった。ハーと唇を震わせると白い煙のような息が吐き出される。今、何時ころだろう。
人狼の夜は、永遠に続くような死の時間だった。ここに息をひそめて、じっとしていると、完全防音の部屋には、テーブルの上に置いてある小さな置時計の秒針がチ、チ、チ、とかすかに聞こえるようだった。私は息をひそめて待っている。待っている? 何を、何かを。
それは、多分確実にやってくる。
何かが必ず起こる。だが、見えない何かを、じっと待つのは苦しい。相手の正体が分からないからだ。出来の良いホラーは、恐怖をもたらすものが最後まで姿を見せない。見えない恐怖が、最大の恐怖なのだ。それは人間に畏れを感じさせ、あらゆる悪の想像を掻き立てる。その、最後の瞬間まで、奴は正体を見せない。だが、私の背中に、そいつは確実に近づいている。
誰かが、多分コインを落とした音が響いた。そんなかすかな音でも割れ鐘のように胸に響く。
「しっ」と叱責する声がする。落としたのは俺じゃない。
「すまん」と小さな声がする。
「落ち着いて」と、一層低い声がした。
そうだ。落ち着こう。時間は確実に迫っているのだ。
そして、何分か、何十分か時が過ぎ、微かに音がした。がちゃりと金属音だ。
その人は、間違いなく立って居る。ドアノブの回転の音は、無音に近かった空間の中で耳を澄ましていた私に、はっきり感じることができた。
そして足跡がした。
人影が、すうと空間に滑り込んでくる。その人影は、私の傍らを過ぎて行った。その暗い後姿を、私は、この目で捉えた。人影は、少し移動してから止まった。多分皮のレザージャケットのポケットからから、何か四角い物を出し、右手で持った。そして、ゆっくりと、それをベッドに寝ている人間の首筋に向かって突き出した。するとバチバチ! 電流がショートしたような音がして、光の点滅が煌いた。スタンガンだ。その時、パッと照明が点いた。
ベッドから、白田君が布団を跳ね上げ、その人のスタンガンを取り上げようと飛び掛かり、私が、腰に抱き着く。抵抗力は弱かった。
当たり前だ、その人影は女性だったからだ。
白田君が素早くスタンガンを取り上げると、その人は、抵抗を止めた。
「もう、終わりですよ、紺野さん」と机の下に潜んでいた緑川さんが窮屈そうに出てきて言った。
「俺、何にもしてないけど」と茶川君が頭を掻きながらぼやいた。
「もともと期待してない」と白田君が笑う。
緑川さんは、空いているドアの向こうに立っている人影に言った。
「もう、終わりです」
ドアの外に大柄な人物が立って言った。
「ゲームオーバー」
武藤さんはそう言うと、音もなく立ち去った。
二時間ほど前のことを思い出す。
私は、自室に入り、ポケットに入れたメモ帳の紙を取り出した。
話し合いの休憩に、緑川さんからもらったものだ。
「午後十時前に私の部屋に来て、必ず時間は守って」
休憩の後、乱闘騒ぎや白熱した話し合いで忘れていた、そのメモにはそう書かれてあった。緑川さんの部屋に来い。それも十時前に。いったい何が、緑川さんの部屋で行われるのか、私は見当もつかなかった。しかし、今、九時五十分。明らかに、部屋の制限時間前に来いと緑川さんは言っているわけだ。
「ルールを守る」と緑川さんは言った。ルールでは十時以降に人間は部屋の外に出てはいけない。だが、一人で居ろとは言ってない。それがルールだ。私が急ぎ、緑川さんの部屋に入ると続けて、茶川君、白田君もやってきた。緑川さんは三人の男を部屋に引っ張り込んだのだ。男性陣はやや当惑ぎみだが、何か起こるかもしれない。
「青木さんは」と私が聞くと、
「青木さんには知らせていません、戦力外です」
確かに、それは正解だ。緑川さんは続けて言った。
「ルールは守った。人狼も必ず動き出すはず」
そして、真の人狼、紺野さんがやってきた。
だが、私たちの行動は、もしかして知られているかもしれないのに、この律義ともいうべき行動は何だ。緑川さんを殺したければ、いくらでも、この孤立した山荘で行うことは可能だ。もちろん、警察はいずれやってくる。そうしたら、結城さんはまっさきに疑われるはずだ。つまり手の込んだ殺人をやってもやらなくても同じなのだ。
現に、紺野さんはマスターキーを持って、緑川さんの部屋に入ってきた。ルールなんか守らなくても、恨みがあるなら殺人を行えば良いはずだ。だが、その場合、動機が何かということになる。いったい何のために、この殺人は計画されたのか。緑川さんは全部を理解しているのか。
「緑川さんは、この人狼ゲームの全貌を理解しているんですか」
緑川さんはいいやと首を横に振った。
「私が分かったのは赤城さんが殺された部屋の謎です。これが分かった時、うっすら見えてきたものがあります。だから、結城さんも含めて、全員。この部屋に集めてください。白田さんお願いします」
あの密室の謎からか、それで何が分かったのだろうか。それを聞く権利は全員にある。




