三日目の朝・消失と襲撃
私は、ベッドの上で、目を開いた。寝汗が、びっしり全身から流れていた。いやな夢を見た。これも例の画像のせいか。光亮高校のことを嫌でも思い出す。
私は、大学を出て、私立光亮高校に体育教師として勤務していた。
授業と陸上部の顧問が私の仕事だった。私自身、中距離の選手として、高校インターハイにも出場し、体育大学でも陸上部の選手としてインカレにも出た。陸上が私の専門だった。
ただし、情熱はあったが、体育会のせいか、あまり話すのが得意ではなかった。かといって、理論の裏付けもない練習を押しつける馬鹿ではなかったつもりだ。スポーツは、心理学と運動力学の裏付けがあれば良い。結局、スポ根でも同じだ。罵声や竹刀で心理的に追い詰めて、精神を鍛える。度を越した運動量を負荷して、運動能力を高める。ただスポ根は効率が悪い。それに指導者の資質に負うところが大きい。一定の論理の指導技術があれば誰でもいい、そして、目標はシンプルに。個人の能力を否定する気はないが、極端に指導者が、宗教のカリスマみたいな人間ではいけないのである。俺についてこいは、はっきり言って傲慢だ。全部を否定する気はないが、私は、それはとらないつもりだった。
しかし、それなら、一選手に一方的に肩入れすることも、やってはいけない、はずだった。高校の運動部は教育の一部だ。文化活動をする生徒もいる。勉強だけという生徒もいる。スポーツが学園のすべてではない。その中で、ほんの僅か、全国大会で良い成績をとれる人間がでる。才能というやつだ。だが、才能があるからと言って成功するとは限らない。そもそも才能があるというのは曖昧な概念だ。早く技術を覚えるのは才能ではない。早いか遅いかを別に技術は習得できる。そこからがスタートに過ぎない。簡単に技術を習得できる者は、案外伸びない。長く地道に努力した者が最終的に勝つ場合が多々ある。地道な努力が実った時、人は覚えたことに感動を覚える。地道に得た技術は身につくのだ。マスコミは、一切そういうことは考えずに、天才とか簡単に言う。マスコミで、そうやって野球やサッカーで高校生がもてはやされることがあるが、彼らのような存在は一万分の一の確率にすぎない。私はスポーツマスコミが嫌いだ。はっきりいって、話題になる選手が、まるで何かの英雄にでもなったように錯覚させる報道はうんざりする。たまたま足が速い、ボールを蹴ることがうまい。ただ、それだけの存在だ。大人のプロなら、宣伝があって仕方が無い面もあるが、たかが高校生をもてはやすマスコミには反吐が出る。スポーツ選手は特別でない。それが、私の考えだった。はずだった。
私はしばらく、悪夢の余韻でじっとしていたが、ゲームのことを思い出した。さて、今日は、だれが襲撃されたか。自分だったら、決着がつくまで、傍観者か、まあ、それも良いだろう。
ホールに出た私を待っていたのは、スクリーンの前の人だかりだ。皆、本当に早起きだな。
青木さんが振り向いた。
「黒田さん、あれ」とスクリーンを指した。指先の延長線上に、はっきりと赤城七瀬の黒文字と、そして、紺のランニングシャツに白の短パン姿で走るショートカットの少女の画像が映っていた。ゼッケン6の上にSOUMAと白い文字があった。
「相馬…」と私は唖然とした。
「え、黒田さん、あの子知っているんですか」と青木さんが聞いてくるが、私は首を振った。
「いいや…何も」
「今、相馬って言いませんでした」
青木さんが、そう言うと、白田君、金井さん、桃井さんが、そして青木さんが私をじっと見ている。その顔は沈鬱だ。何だ、何が、彼らをそうさせている。私は黙って彼らを見返した。
沈黙を破ったのは金井さんだ。
「灰田さんの部屋に行ってみましょう」
灰田さんの部屋? 金井さん何を考えている。
「どうして」と思わず私は聞いた。
「藍田さんを思い出してください。私は灰田さんが気になる。現にここに居ない」
茶川君が、ぼそっと言った
「赤城のおばさんも居ないぜ」
確かに追放された灰田さんも襲撃された赤城さんも居ない。
「確かめる価値はあると思うぜ」とポケットに手を突っ込んだまま、目だけはマジで茶川君が言った。皆も顔を見合わす。とにかく画像のことは後だ。
私たちはホールの女性専用のドアを開いた。灰田さんの部屋はNO3だ すると道を閉ざすようにドアが開いていた。驚いて見ると、窓が開いて冷風が部屋に吹き付けている。その中には誰も居なかった。そして緑川さんが一番奥のNO6、赤城さんの部屋の前に立っていた。
「緑川さん」と私が声をかけると、
「灰田さんの部屋は誰もいません」
「何ですって!」
私と白田君が、灰田さんの同時に入った。白田君が勢いよく、ベッドの掛け布団をひっくりかえす。シーツがゆがんで、しわになったベッドには誰も寝てはいない。
そして窓がいっぱいに開かれて、雪山の景色が眼前に広がっていた。
私はベッドの下をのぞき込み、誰も居ないことを確認した。
灰田さんは、紺野さんと同様に忽然と消えた。
皆、黙って、静まりかえっていた。あの茶川君も、沈痛な表情をしている。こいつも、人の子だ。だが、問題がもう一つある。
私たちは、赤城さんのドアの前に居る緑川さんに声をかけた。
「緑川さん、その部屋は」と私が聞くと、
「鍵がかかっています」と緑川さんが答えた。
私はごくっと喉を鳴らした。否が応でも藍田さんの遺体が目に浮かぶ。
「結城さんに知らせて来ます」と白田君が言って、廊下を走っていった。多分いたたまれないのだろう。
結城さんを待つ時間は長かった。一分が何十倍もの時間に感じられ、心臓の鼓動が鳴り響く。結城さんが来たら、ドアが開けられて、そこに何があるか、いやでも想像する。これはまったく前日と同じなのだ。ここまでは。
白田君が結城さんを伴って帰ってきた。そして結城さんがマスターキーを取り出す。全員が見ている前で、結城さんは鍵を開けて、ドアを開けた。部屋は、しんと静まり返っていた。結城さんは暗い部屋に入ると「赤城さん」と声を掛けた、が、返事は無い。私と、白田君、結城さんが部屋に入った。青木さんと茶川君は部屋に入らず、ドアのそばで部屋をのぞき込んでいる。女性陣は、廊下に立ちすくんでいる。
結城さんが、暗い部屋の灯りを点けると、そこに冷たくなった部屋の中でベッドに横たわる赤城さんが見えた。じっとしている、まさか。藍田さんの死に顔が嫌でも脳裏によみがえってくる。
結城さんが、そっと近づくと、私も続いた。そして赤城さんの顔を覗き込んだ。生気のない白い顔が見える。そして横たわった赤城さんの首筋にはっきりと紐跡のようなものが刻まれているのを私は確認した。これは!
素人の私には紐のようなものとしか言いようが無いが、これは絞殺ではないのか。だが、問題は入口のドアに鍵が掛かっていたことだ。私は思わず、窓を見た。結城さんが窓の側に行きカーテンを開けた。するとクレセント錠が下りていた。また密室か! だが、こんどは間違いなく殺人だ。すると私の目に、窓の外の雪に覆われた地面に、はっきり前方に向かう足跡が目に飛び込んできた。何だこれは!
「結城さん、足跡!」と私が言うと、結城さんは錠を上げて、窓を開いた。私も結城さんも窓の外に乗り出した。間違いない足跡だ。赤城さんの様子から見て、これは殺人だから、もしかすると殺人犯の足跡かもしれない。だが犯人はどうやって内側から鍵が掛かっている部屋から外に出て足跡をつけたと言うのだろう。
「結城さん、これは、どういうこと?」
結城さんは沈痛の面持ちで足跡を凝視している。すると緑川さんが近づいてきて、
「私にも見せて」と声を掛けて来た。私が窓から離れると、緑川さんはちらっと外を見ると「確かに足跡……」と呟いた。そして窓の縁に触って、何か考えているようだった。
皆、押し黙っている。これで四人目だ。遂に殺人が実際起こった。それもドアにも窓にも鍵がかかって、ほかの出口は一切無い密室で。
緑川さんが結城さんに向かって聞いた。
「結城さん、外への連絡は、まだできませんか」
皆、急いで携帯を出して、画面を見る。私もまた携帯を見たが
圏外の表示が出ているだけだ。携帯の繋がった者はいない。
結城さんは、首を横に振って言った。
「外への連絡は、まだ出来ていません」
私は、この、あまりに沈着すぎる答えにいら立った。
「結城さん、これは殺人ですよ。いったい、このゲームはどうなっているんです。これは殺人ゲームなんですか」
私は胸倉を掴みそうになったが、かろうじて思いとどまった。
「私は、何度も申しますが、単なる管理人です。雇い主の指示通りやっているだけです。藍田さん、紺野さん、灰田さん、赤城さんに何が起こったのか知りません」
「嘘だ。あんたが何も知らないなんて、ありえない。殺人が行われているじゃないか」
「これは、心外です。私が殺人を行ったとでも仰るのですか」
「そうだ、ここは密室だ。マスターキーを持っているあなたが、怪しいのは、当然ではないか。警察でもそう言うぞ。だいたい藍田さんも不審死だ、密室で。同じじゃないか」
「私に、藍田さんも赤城さんも殺す理由はありません。警察にでも、どこにでも仰ってかまいません。」
「じゃ、あんたの雇い主が、命令したんだろう」
「私は雇い主に、そんな命令は受けていません」
「警察はいずれ来る。白状するなら、今の内だ」
「警察が来ても、同じことを言うだけです。藍田さんは病死です。赤城さんは、首を絞められたようですが、その凶器は何でしょう」
私はうっと詰まった。
「それは、紐のようなもので」
「ここには、凶器になるようなロープはありません。しかし不信なら、建物内を探して見てください」
「あなたが隠したら、分からないだろう」
結城さんは、あくまで冷静に答えた。
「警察も、探し出せないでしょう。その様なものはありませんから。動機も凶器も無い犯罪はありません」
すると緑川さんが、結城さんを睨みつける私の肩をポンと叩いた。そして結城さんに聞いた。
「結城さんは、本当にマスターキーを使っていないのですね」
結城さんはゆっくり頷いた。
「はい使っていません」
緑川さんは、じっと結城さんを見ていたが、私に振り向くと、
「とにかく、いったん出ましょう。あとは結城さんにまかせて」と言った。
私は不服だった。この老人が証拠隠滅を図るのではないか。
すると白田君が言った。
「私も手伝いましょう。これでも検察事務官ですから」
桃井さんが目を見張った。
「検事さんなの、白田君」
白田君は苦笑いをした。
「事務官です。ただ殺人事件で警察が何をするか、知っています」
「何をするんですか」
「現状維持です。藍田さん窓を閉めてください。みなさん、外の足跡には絶対触れないでください」
結城さんは黙って、窓を閉めた。
緑川さんが皆に声をかけた。
「私たちは、出ましょう。ここに居ても、多分意味がない」